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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

書評詳細0

借金地獄のアメリカ リアリティのある破産のシナリオを描く――ローレンス・マルキン『アメリカが破産する日』東洋経済新報社

アメリカの対外債務は、90年代に1兆ドルを突破するといわれている。貿易と財政の双子の赤字は、一向に解消される気配がないのだ。
アメリカはいまや、世界史上に類をみないケタはずれの累積債務国への坂を転がりはじめたといわれているが、なぜ、アメリカはそのような財政上のブラックホールに落ち込んでいったのか。そして、そこからはい出すことができるのかを説明したのが本書である。

ジャーナリストの著者は、まず、アメリカではじめて国家債務が発生した時代から、歴代大統領の経済政策を説きおこして、アメリカが今日、国民をあげての借金地獄に落ち込んでいった姿を、描き出している。

たとえば、「政府支出の五ドルに一ドルは、借金によって賄わなければならないのである」「アメリカ国内で支出されるどの一ドルをとっても、そのうちの三セント分は海外からの借金である」――と、著者はいう。

借金地獄に陥ったのは、なにもアメリカ政府だけではない。「自動車から大学授業料に至るまで、あらゆる物がローンで支払えるようになっている現在、消費者負債総額は一〇年間で三倍に増大した。平均的なアメリカ人の税引後の給料からは、八ドルに一ドルの割合で、月賦やクレジット・カードの金利と返済金が差し引かれていく。これに住宅ローンの返済を加えれば、可処分所得のほぼ五ドルに一ドルを借金が飲み込んでしまうことになる」

つまり、政府も国民も借金漬けになっており、それがもはや限界に達しているというのだ。

彼は、「アメリカが破産する日」のシナリオを、次のように描く。

「一九八九年二月二十八日、火曜午後一時。(国債)入札の締め切り時間が来た。係官達が入札票の封を開いていった。結果は惨憺たるものであった。アメリカの大手証券業者の中には、額面一万ドルの国債に対して、一〇〇〇ドルから二〇〇〇ドルも割り引かれた価格を入札するところさえあった」

しかも、コンピュータの端末機は、入札総額もいつになく小さいことを示していた。なぜか。大和、日興、野村、山一の各ニューヨーク支社と連銀をつなぐ専用電話回線が、まったく使われていなかった。日本の投資家たちは、アメリカ国債への投資を見送っていたのである。

「日本の債券投資家がたんに、その資金を国内で運用しようと決め、アメリカのブラックホールの穴埋めをやめてしまう場合」―アメリカは、破産するのだ。

「そのとき、アメリカ人はその穴埋めを、即座に、しかも超高金利下の自分達の金ではじめなければならない」

同午後3時15分、アメリカ政府は、国債をジャンク・ボンドと同列におとしめることによって、ようやくその資金手当てを完了した。

いっぽう、ジャンク・ボンド並みの安値で、アメリカ国債を手に入れた日本企業は、合弁相手の工場を買い占めていく―。

著者はいう。
「以上の物語は、アメリカが公式に宣言することなしに破産できるということを示すものである。それは、深い借金の沼に落ち込みながら、大国であるがゆえに倒産を許されない国が、かといって身軽に方向転換もできない時、何が起きるのか、また長年にわたって借用証書という紙切れを売りつけてきた国に、その買い手が業を煮やして、工場か何か実体のある物との交換を迫ってきた時、何が起こるのかを示している」

こうした未曽有の危機をもたらした背景として、著者は、ニクソン以降の歴代政権の経済政策の失敗と、そのブレーンをつとめた経済学者の無能ぶりに鋭い批判の矢を放っている。ただ、破産のシナリオのリアリティにくらべて、それを回避する政策については、いまひとつ迫力に欠ける。アメリカ経済の病弊の救いがたさからいって、それは止むを得ないことか。

 

ローレンス・マルキン著・野村誠訳『アメリカが破産する日』東洋経済新報社
『週刊読書人』(1988年5月2日掲載)

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