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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

書評詳細0

日本人はいま、東京で極限の実験を進めているのだ――山崎正和編『都市開幕』TBSブリタニカ

<生活を豊かに自由に、楽しくするのが「都市の文化」だ>

最近、「企業文化」という言葉がしきりに用いられる。企業活動に文化という2文字がいまや、なくてはならない要素になっているようである。

実際、経営者に会うと、「わが社の課題は、いかに独自の企業文化を築いていくかでして……」とか、「企業活動の中に、いかに文化を取り込んでいくかが今後のわが社の経営命題」などと、「文化」という言葉が連発されるのを、私はだいぶ前から感じている。

経営者たちが口にする「文化」は、むろん非日常的で、芸術的なそれではなく、人びとの生活を豊かに、自由に、そして楽しくするような「文化」である。しかも、特徴的なのは、のちに説明するが、それが「都市の文化」であるということだ。

よく知られているように、サントリーは、活発な文化活動を展開している、わが国有数の企業だ。それを証明するかのように、サントリー文化財団はじつに興味深い1冊の本を出した。『都市開幕』(TBSブリタニカ刊)がそれで、編者の評論家・山崎正和氏は、あとがきの中で、次のように語っている。

「都市論といえば汗牛充棟ただならぬ昨今の出版界であるが、(略)本書は、どれよりも色濃く都市の薫りをおびていることを、確信している」

この本は、サントリー文化財団の10周年記念事業として、同財団生活文化研究所が2年間にわたって行ってきた、都市論の研究会の研究成果をまとめたものである。

「都市の歴史」「都市の骨格」「近代都市の理念」「現代都市の夢と課題」の4章から構成されており、山崎氏のほか木村尚三郎、祖父江孝男、鳴海邦碩、藤森照信、樋口忠彦、陣内秀信、海野弘、宮尾尊弘、下河辺淳ら都市問題に詳しい諸氏が執筆者に名を連ねている。

「今後、都市の中心的な課題が文化活動の旺盛な高揚にあることは、疑いをいれない。そして、現代の都市文化の育成にとって、企業の貢献がひとつの重要な鍵であることも、また衆目の認めるところである」山崎氏は、そう述べているが、まさに同書は、それを実践した成果にほかならないわけだ。

<東京は、人類史上最大の街に発展した>

いまの東京がどんな街であるか、自画像を語るのが困難であると同様に、東京人にはむずかしい話だ。ましてや、この繁栄した東京が世界史的にいかなる位置づけにあるのかといわれても、われわれシロウトは皆目見当もつかない。

ただ、ニューヨークやロンドン、パリなど、世界の一流都市に比べても、東京がいまや、遜色のない街であることは、われわれは海外旅行を通して経験的に知っている。私は、15年以上前にニューヨークやパリにいき、しっかりとお上りさんを演じたものだが、しかし、そのような人は、今日はほとんどいない。

「ニューヨークって、東京と少しも変わらないわね」「パリは、意外に都会じゃないね」などと、若い人たちはこともなげに感想を述べる。世界的にみて、いかに東京が発展した街であるかを、彼らは、むしろ海外旅行に出て、身をもって確認するわけである。

この東京の急速な発展と繁栄はどういうことなのだろうか、と私は常々考えてきたが、山崎正和氏は、同書のなかで、ズバリ指摘している。

「東京はいま、人口のうえで人類史上最大の都市になった」

首都圏と呼ばれる大東京地域には、ほぼ3000万人、日本の総人口の4分の1の老若男女が住んでいる。

「しかも、このまちは、住居や交通にいくつかの問題を抱えながらも、がいして治安のうえでは安全であり、衛生的にもすぐれた水準を保ち、収入や教養の点で平均化された市民が、世界的にも相当に高い生活水準を維持している。たんに人口の量だけではなくて、住民の生活の質の点でも首都圏は世界に稀に見る文明的成果を示している」

つまり、人間の文化がどこまで都市化しうるかという可能性について、日本人はいま、極限の実験を東京で進めつつある、と山崎氏はいうのである。

<経済のグローバリゼーションが、都市から国家という枠をはずす>

「人類史上最大の都市である」東京が、都市化現象の象徴であるとしても、東京のように都市に人口が集中し、情報の集中・集積が進むのはいまや、世界の大都市の共通現象である。

実際、ロンドンのテムズ川沿いのウオーターフロントで行われている、ドックランド開発の現場をみて、私はその感を強くした。ロンドンではシティの膨脹から、オフィスビルの不足、地価高騰が深刻で、業務空間の創設が急がれているが、その解決策としてドックランドのウオーターフロント開発が現在、盛んに行われている。ロンドンと並ぶ世界3大センターのニューヨーク、東京でも、いま、同じ事情からウオーターフロント開発が都市再開発の焦点になってきている。

なぜ、かくも都市は膨脹し、繁栄をみせているのだろうか。

「ひとことでいえば、現代は、国家よりもむしろ都市が目立ちはじめた時代であり、文明というものが、国家単位ではなく、都市を単位として議論される時代になった、といえるかもしれない」山崎氏はいう。

この山崎氏の言葉を受けるように、下河辺氏は、こう記している。

「東京について考えてみると、国家の枠を超えてと言ってもいいほど、地球上の他の大都市との相互関係が非常に強くなっている。つまり、国家と企業との関係が変わってきていることを反映して、企業の根拠地としての大都市と、国家を代表する大都市の性格とが、折り重なったり、離れたりという現象が現れてきた。東京がはたして日本の首都であるのか、世界の大都市のネットワークのターミナルのひとつであるのかということが、東京を設計するときのひとつの話題になってきた」

これに近いことは、証券会社など金融機関を取材したときに、私も感じてきたことである。

たとえば、証券マンの話を聞いていると、グローバリゼーション(地球化)という言葉が頻発される。24時間トレーディングの時代を迎え、カネはいまや、国境はおろか、まさに時空を超えて地球を飛び回っている。しかも、証券には、膨大な情報のやり取りが伴う。野村証券が在日米軍についで国際通信の大口利用者だといわれるが、そのためである。

証券会社は、地球的規模のネットワークの確立が勝負になってくるのだ。ごく近い将来、ニューヨーク、ロンドン、そして東京の3大金融センターは、通信衛星によって各都市のテレポートにある地球局を結ぶ形で、ますますグローバリゼーションが進むことだろう。

そのあげくに、下河辺氏のいうように東京は「日本の首都であるのか、世界の大都市のネットワークのターミナルのひとつであるのか」といった、世界都市化の現実がいよいよ進展するわけだ。

その意味で、下河辺氏は、じつに興味深いエピソードを紹介している。

「かつて四全総を報じた新聞の1面トップに『東京一極集中構造』といった大きな見出しが出たときがあった。そのとき、韓国や台湾の人びとが、これは自分たちの国が東京へ集中することだ、と大騒ぎになった。そこで、『あれは国内問題だ』といったところ、『そうは思えない。実感として、われわれは東京と関係を持たざるを得ない方向へきているので、東京一極集中論ということを日本の国内世論だけに終わらせては困る』といわれて、なるほどなと思った」

つまり、東京のような世界的都市は、国家の枠を越えて、強力な吸引力さえもっているということである。

<情報と人口の相関関係を抜きに「東京論」が語れない>

現在、この東京一極集中を是正し、国土の均衡ある発展を目指す方策など、さまざまな議論がなされている。山崎正和氏は、単純な地方分散や、単純な田園都市構想は、むしろ逆の効果しかもたらさないことだろうという。

「われわれが都市の問題を考える場合、けっして忘れてならないのは、都市がたんに住民の生活の空間であるだけではなく、人類全体のために、都市だけが生みうる情報を生産する場所だということである。そのために必要な条件は、一方では、情報の創造的な生産を可能にするような、個人の自由であり、また、無数の情報が葛藤し合って新しい情報を生み出すような混沌であるが、そのためには、都市には一定以上の人口の集積がなければならない」

東京について、さまざまな角度から考える東京論ブームが根強くあるが、この山崎氏の見解は、きわめて示唆に富んでいる。『都市開幕』は、執筆者の顔ぶれをみればわかるように、美学、西洋史、文化人類学、都市工学、景観論、都市経済学、都市行政などの専門家が多角的に都市を論じており、知的刺激に満ちている。

山崎正和編・木村尚三郎・祖父江孝男・鳴海邦碩・藤森照信・樋口忠彦・陣内秀信
・海野弘・宮尾尊弘・下河辺淳『都市開幕』TBSブリタニカ
『IMPRESSION』(1988年11月号掲載)

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