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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

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元祖‶NO〟と言える男が新しい日米関係を読む――黒田眞『日米関係の考え方』有斐閣

せんだって、三菱地所によるニューヨークのロックフェラー・ビル買収のテレビ・ニュースを見ていたところ、元通産相の審議官・黒田眞氏がコメンテーターとして登場した。黒田氏といえば、日本人に珍しい〝タフ・ネゴシエーター(手強い交渉者)〟として、役人時代から知られている。実際、黒田氏の最近の著作『日米関係の考え方』(有斐閣刊)を読むと、いかに彼がタフ・ネゴシエーターであるかがよくわかる。

たとえば、彼が日米半導体協定交渉の責任者をしていたときのことだ。「米国が日本の政府機関にスーパーコンピューターを売り込もうと思っても、時間の無駄だ」と、昼食会の席上で暴言を吐いたと、ワシントン・ポスト紙に書き立てられた。その暴言なるものが、いかに意図的にねじ曲げられたものであるかについては、著書の中に詳しく書かれているが、ただ、「彼はアンチ・テーゼをたてることを得意とする。それが論争に火をつけるからだ。論争こそ彼が最も好むところだ」というウォール・ストリート・ジャーナル紙の報道に対し、「これはまあ当たらずといえども遠からずかもしれません」と、自ら次のように述べている。

「というのは、昔、各省会議で大蔵省のある人に〝アンチ・テーゼの黒田さん〟とアダ名をつけられたことがあるのです。私は人の意見に対して、なかなか『そうですね』とは言いませんからね。二の矢、三の矢をうけても対応し得るように、考えられる反論を徹底的にすべきだと考えている」

私は、右の文章を読みながら、ある通産官僚から聞いた、黒田氏のタフ・ネゴシエーターぶりを物語る興味深いエピソードを思い出した。

1978年、ジュネーブでの東京ラウンドの交渉における出来事だという。交渉のテーブルに着いたところ、「ミスター・クロダは来るのか?」と、アメリカ側は聞いた。「いや、彼は新しいポジションに異動したので、多分やってこないと思う」日本側は答えた。

「日本は、ミスター・クロダをジュネーブに寄こさないわけか。それじゃ、日本は、今度の交渉は真剣ではないということだな」アメリカ側は、半ば突き放すように、そういった。

あわてた日本代表団は、「アメリカは、なんだか黒田を寄こさないといって騒いでいますよ」とトウキョウに緊急電話を入れた。これを受けて、通産省の幹部たちは、鳩首会談。その結果、黒田氏を急ぎジュネーブに派遣することを決めた。

さて、おっとり刀で現地にやってきた黒田氏がまたすごかったのである。彼は、ホテルに到着するやいなや、

「オレは、いまから6時間寝る。何が起こっても起こすな」

そのように現地の部下にいいつけて、本当にベッドに入って寝てしまった。そして、サッパリした顔で起きてきた彼は、やおら徹夜の交渉に臨んだが、交渉がヤマ場を迎えた深夜、いちばん頭が冴えていたのは、たっぷり睡眠をとっていた彼だったという。

「あの人は、すべてを読んでいたんです。打ち合わせなんて、どうだっていい。それより、交渉の席上で、自分の頭がクリーンな状態がなにより大事なんだと……。やはり大した自信だと思いましたね」話を聞かせてくれた官僚は、感心したように語った。

<日米両国民に芽ばえるナショナリズムの台頭が懸念される>

その自信家の黒田氏は、著書の中で、次のように記している。

「最近わが国に新しい流れがあって、アメリカ相手でも言うべきことはきちんと言え、という議論も出てきています、そうしないと、善意でやったこともすべて誤解されてしまう恐れがある」

たとえば、日本が市場開発という言葉を使うと、「閉まっているから開くのではないか」と揚げ足を取られたりするというのだ。

この間、盛田昭夫ソニー会長、石原慎太郎衆議院議員の共著『NOと言える日本』が、米国内で物議をかもした、日米経済摩擦が激しくなっている折に、日本は対米屈辱外交から脱却すべきだ、と主張したからである。が、〝NOと言える日本〟をハッキリと打ち出し、実践したのは、黒田氏のほうが両氏よりも、よほど以前からだといっていい。つまり、元祖〝NOと言える男〟である。

かといって、黒田氏は、頑迷な民族主義者でも、反米主義者でもない、その証拠に、彼は現在、日本長期信用銀行顧問をつとめていると同時に、ソロモンブラザース・アジア証券顧問の職にもついている。

「私は、今日、日米経済摩擦で起こっていることは、まさに世界的規模で求められている『変化』への適応そのものだと考えている。その結果、各国経済の相互依存関係はますます深まりつつあるが、多分、人々の気持ちはそのような新たな情況に十分適応し切れないのであろう。日米関係は貿易や金融といった経済面でその結びつきを強め、防衛面でも良好な関係が確立されているのに、両国民の気持ちの間にすきま風が立ち、ナショナリズムの台頭が懸念されるのが現状である」

ソニーによるコロンビア映画社買収、そして冒頭で触れた三菱地所によるロックフェラー・ビル買収など、相次ぐ日本企業のM&A(企業買収)旋風に、再び日本脅威論が台頭してきている。ましてや、アメリカでは1990年秋に中間選挙が控えているだけに、日本の総選挙が終わる同年春以降、日本叩きはますます激しくなるだろうといわれている。そんなとき、元祖〝NOと言える男〟の著書は、本のタイトル通り、『日米関係の考え方』について、大いに示唆を与えてくれる。

黒田眞著『日米関係の考え方』有斐閣
『IMPRESSION』(1990年1月号掲載)

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