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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

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ベースボールと野球の狭間にあるもの――ロバート・ホワイティング『和をもって日本となす』角川書店

<日本はむしろ「ワーク・ボール」と言うべきだろう>

日本人は野球が大好きである。かくいう私も、贔屓のプロ野球チームがあって、そのチームが上京してくると、ヒマをみつけては球場に出かけ、ビールを飲みながら応援している。昔ほど多くはないが、いまも、年間数試合は球場に足を運ぶだろうか。贔屓チームが負ければ、結構、不機嫌になったりする。他人がどうみるかは別として、まあ、平均的なプロ野球ファンといっていい。

私に限らず、熱心な野球ファンはごまんといて、家庭で、職場で、学校で毎朝、昨晩のナイターの結果をめぐって、たわいのない話題に花を咲かせている。ただ、その野球がアメリカからの輸入スポーツであるのは、先刻承知の通りである。では、なぜ、野球が、このように日本人にアピールしたのだろうか。

「つまるところ、それが彼らの国民性に合致していたからにほかならない」として、『和をもって日本となす』の著者R・ホワイティングは、同書の中で、いくつかの理由をあげている。

たとえば、「野球は、他の団体スポーツとは異なり、個人の対決の積み重ねによって成り立っている。(略)そのような野球というスポーツの特徴が、まず日本の武道や相撲の愛好者たちの興味を惹いたといえるだろう」と分析する。また、ピッチャーの投球の〝間〟が歌舞伎の〝間〟と同じであるとか、日本の統計好き、数字を好む性癖に合致しているとか、はたまた試合展開のスローペースなどを理由にあげている。

彼によれば、そもそも日本の野球とアメリカのベースボールとは、以て非なるもので、天と地ほども違うという。それを、身を持って体験しているのが、ガイジン選手たちだとして、その体験談をえんえんと綴っている。この〝グチ〟的実話が、抜群に面白い。実際野球とベースボールはかくも違っているのか、とあらためて教えられるのだ。

ガイジン選手が日本にやってきて、一様にびっくりするのは、試合前のハードな練習らしい。ロッテのレロン・リーは「日本の試合前の練習は、ボクシングの12回戦の試合をやる前にマラソンを走るようなもんだ。だから、選手の誰もがシーズンのなかばでへばってしまう」という。また、ヤクルトにやってきたボブ・ホーナーについて書いた「赤鬼伝説」のなかでは、「日本流(ジャパニーズ)の(・)やり方(システム)がいいのか悪いのか、わたしにはわからない。ただわたしにいえることは、それがわたしの理解を越えているということである」というホーナーの言葉を紹介しながら、こう記している。

「ホーナーは、日本で1シーズンプレイした結果、(略)重要なことに気がついた。それは、日本の野球が、日本独自の環境と条件に基づき、日本独自の価値観を持つ、まったく異質の世界をつくりあげているということである。おそらくホーナーよりもっと人格的に秀でた人物でも、その異質の世界のなかにはいれば、やはり彼と同様の精神的錯乱のような状態に陥っていたに違いない」

では、野球とベースボールでは、どこがどう基本的に違うというのだろうか。

日本の野球は、猛烈に練習をし、サインプレイが多くて、プレイする楽しみを、まったくなくしているという。

「トヨタの自動車工場で製造ラインの前に立っているひとも、グランドのうえに立っているひとも、まったくかわるところがない。日本の野球選手は、1日に10時間近くも野球場にいる。ある選手は、そのことを指して『プレイ・ボールではなく、ワーク・ボールだ』といった。ホーナーは、この〝ワーク・ボール〟という言葉を、日本の野球の本質を説明するうえでもっとも適切な表現だと思った」

つまり、アメリカ人はボールで遊び、日本人はボールで仕事をするというのだ。

それから、野球とベースボールの違いは、「集団における協調性を意味する言葉である〈和〉(wa)という概念と、それを実践しようとする試みは、まるで芝居がかってみえるくらいに両者の決定的な差異を、くっきりと浮かびあがらせている」と述べる。日本では、企業や組織が成功するためには、〈和〉と〈努力〉が必要欠くべからざる条件とみなされているが、野球も同様だと、著書は指摘する。

「日本の先端産業の高度な品質管理は、労働力の誰もが同じことを同じやり方で行なうことによって成立している。そこには、自分自身で物事を考えるという余地はなく、独創性を生かすチャンスも、個性を発揮する場所もない。日本の野球にもこれが当てはまる。監督やコーチは、選手に対して、むかしから続いている伝統的なやり方に盲目的に従うことを明示、それについて行くことのできない選手は、〝工場の組み立てライン〟からはずされる、というわけである」

日本の野球に対して、ずいぶん厳しい意見といえるが、じつは、この『和をもって日本となす』は、著者自らが「これは〝文化摩擦〟に関する本である。すなわち、日本とアメリカのあいだに存在している亀裂を、ベースボールというスポーツを通して描いたものだ」と書いているように、もともと、いかに異なる文化を理解することが困難であるかということについて、主にガイジン選手の体験談を通して記している書なのだ。その意味で、日米摩擦論や日米文化比較論はむろん、純粋に日本野球論として読んでじつに面白く、一読に値する。

ロバート・ホワイティング著・玉木正之訳『和をもって日本となす』角川書店
『IMPRESSION』(1990年9月号掲載)

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