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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

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40の階層類型が語るアメリカ社会の深遠――M・J・ワイス『アメリカ ライフスタイル全書』日本経済新聞社

本書を読んで、一つの旅を思い出した。

1970年代の半ばに、安岡章太郎先生のお供をして3週間ばかり、アメリカとカナダの田舎をぶらぶらと旅した。わが生涯でもっとも楽しい旅の一つである。同行したのは、カナダのトロント大学で教えているジャパノロジストのケネス・リチャード氏だ。

リチャード氏の祖先は、1636年にフランスからカナダのケベック州に移民してきた。いまでもケベック州のキャプ・サンティニアスという寒村には彼の親類が住んでいる。小さな教会とこぢんまりしたホテルのほか、信号機が二つしかないような静かな村だ。『ケベックの朝』という安岡先生の短編小説は、その村を舞台にして書かれている。われわれはキャプ・サンティニアスを訪れ、リチャード 氏の親類の家に立ち寄った。私は時差と疲れのせいか、彼の親類の家のベッドを借りて眠りこけてしまったことを覚えている。

かつて、リチャード氏の親類の一部の人たちは、カナダのケベック州からアメリカのメーン州アカーディア地方に移った。アカーディア地方には、いまもケベック州と同じでフランス語しか話さない町があるそうだ。ところが、アメリカの独立戦争中の1789年、イギリス軍がこの地方に侵入してきたため、これらフランス系の移民たちは追われるようにして再びケベック州に戻ったり、南のほう へと移動したりしていった。当時、南部のルイジアチ州はルイジアチ・テリトリーといってフランスの領地であった。やがて人々はニューオリンズにもやってきたが、もはやそこも安住の地ではなくなり、さらに奥へ奥へと追いやられていった。そういうアカーディア地方のフランス系移民が現在、ケイジャンと呼ばれる人たちである。正式には、アカーディア・ ケイジャンという。以上は、リチャード氏から聞いた話である。

われわれは、ニューオリンズからルイジアナ州の州都バトンルージュを経由して、リチャード氏の遠い親類が住むセダト・マルタンビルという小さな町も訪ねた。そこでも、いまだにフランス語が話されていた。

私は、この旅でアメリカ社会の多様性を垣間見る思いがした。ニューヨークを見てアメリカだと思うなとよくいわれるが、アメリカの穴の底をのぞき込んだような旅だったといえばいいだろうか。

本書を読み進むうち、アメリカ社会の一つの小さな地層であるケイジャンという懐かしい言葉が目に飛び込んでくるではないか。15年以上前の旅の思い出が一気に記憶の底から浮上し、楽しい日々が鮮やかによみがえってきた。

私が目にとめたのは、こんな個所である。ルイジアナ州知事に三度目の出馬を表明した56歳のエドワードは、ケイジャンの血をひき、〝放将エディ〟のあだ名にふさわしく、スキャンダルまみれの男だった。ところが、〝40のクラスター(階層類型)〟、のデータを巧みに選挙戦に利用し、予想に反して当選してしまったという小さなエピソードが、そこには描かれていた。

本書はもともと、国勢調査と消費調査をもとに、「名門富豪地区」、「富裕インテリ地区」、「サクセス黒人地区」、「南部農村地区」、そして「公的扶助地区」など40のクラスターに分類されたアメリカ社会の分析およびルボルタージュである。たとえば、ZIPコード(郵便番号)を見れば、どのクラスターに属しているかが一目でわかる。「この5桁の数字はその人が読んでいる雑誌、食べている夕飯のおかず、リべラルな民主党員なのか……を示すことができる」という。だから、小売業であればどこにファッション・ブティックを開くべきか、どんなタレントをコマーシャルに使うべきか、大学や軍隊の勧誘においてどのクラスターに標的を絞るべきかを見極めることも可能だというのだ。

クラスターの分類も大変興味深いが、分厚い本の頁を繰るごとに、広い国土を自らの足でつぶさに歩き、人々と交流を重ねながら、自分の目でアメリカを見ているようなおもしろさに、私はとらわれた。そこには、人間と土地とが織りなす物語があり、アメリカ社会のダイナミズムが見られる。 私はこの本を生きたアメリカ社会の探検記として読んだ。

M・J・ワイス著 岡田芳郎監訳『アメリカ ライフスタイル全書』日本経済新聞社
『中央公論』(1994年4月号掲載)

 

 

 

 

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