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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

書評詳細0

「食」を通して人間存在の根源に迫る――辺見庸『もの食う人びと』共同通信社

冷戦構造が崩壊したにもかかわらず、新たな世界秩序、価値体系などがいまだ構築されないところに、今日の世界における混乱要因があるのだが、それを「食」という予想外の座標軸を持ってきて切り口にしたところに、まずもって本書の成功があるといえる。「人びとはいま、どこで、なにを、どんな顔をして食っているのか。(略)それらに触れるために、私はこれから長旅に出ようと思う」というまえがきの一文は、本書のすべてを語っているといっても過言ではない。いわば、「食」という人間にとっての日常生活における原点、すなわち基本的ディテールにこだわりながら、今日的状況における人間存在について鮮やかに描き切っている。まさにディテールに神宿るである。

その語り口も、じつにユニークかつ説得力がある。著者は、決して居丈高に世界情勢を語ろうとしないし、飢餓の現状についてもことさらに同情を買うような書き方をしない。まるで地を這うようにして世界を彷徨し、人びとと同じ「食」をとりながら、ローアングルの視点からそのあり方を凝視する。あえて政治的視点も、経済的視点も排しながら、自らの五感だけを頼りに「食う」という人間の「絶対必要圏」にもぐりこみ、世界の素顔を切り取っているのだ。その感性の鋭さには舌を巻かざるを得ない。

ヤルゼルスキ前ポーランド大統領に会いにいくくだりがある。彼ははじめのうち、「この30年以上、朝食はコテージ・チーズとはちみつとパンを一枚だけだ。別に菜食主義じゃないが、私は肉なしでもやっていける」と強がる。だが、次第にうちとけてくるや思わずホンネをもらす。「ただ……私は私の罪……いや、弱さというものを君に打ち明けなくてはならんのだ」(略)「テレビを見ながらだね、ワッフルであるとか、その、お菓子をだね、食べるようになってしまった」と、〝将軍閣下〟は告白するのだ。著者は「敗北の味もそんなに悪くない」と語るが、「食」を通し、かくもみごとに一国の宰相の盛衰のありさまを描いている。

チェルノブイリでは、コンクリートで封印された原発四号機の〝石棺〟から500メートルの原発社員食堂で、労働者とともに昼食をとり、立ち入り禁止になっている30キロ圏内の村々を歩き回り、居残っている農民を訪ねて、放射能を浴びているキノコ入りスープをすすり、豚のレバーを一緒に食べる。のちに語るところによると、著者はチェルノブイリの取材を前にして円形脱毛症になったという。また、最初に訪れたダッカでは、知らずに残飯を食う。よく見れば、肉には歯形がつき、ご飯も知らぬ人の手によって押ししごかれたものだった。「うっとうなって、皿を私は放りだした」と、著者は語る。命がけの取材旅行だ。そこに展開される「食」の原景は、いかなる理論や理屈も語ることのできない真実が横たわっている。

「食」を通して人間一人ひとりが抱えている内面ドラマにも深く、執拗に迫っている。ミンダナオ島では、残留日本兵の「組織的食人行為」の現場を訪ねるうち、案内人のサレ老人が、じつは「私も食べてしまったのだよ」とポロリともらす。残留日本兵の残していった鍋の残り物に手をつけたところ、それが人肉だったという。そのサレ老人は、帰国した残留将兵に日本へ語学留学した娘の身元引受人になってもらうという不可思議な糸で、その後も結ばれているのだ。また、日本大使館前で自殺を図ろうとした三人の韓国の元従軍慰安婦の壮絶な人生ドラマを前にして、著者は取材しながら自殺はやめてくれとオウムみたいにひたすら連呼する。読んでいるうちに涙がにじんでくる。かと思えば、飢えを抱えたバングラデシュの兵隊たちが、第二次国連ソマリア活動に参加する姿を見て、著者は考える。「律義な国際貢献と理解すべきか。まず自らを助けよ、と言うべきか」と問うのである。

久しぶりに、脳天にずしんとくる迫力満点のルポルタージュを読んだ気がする。

辺見庸著『もの食う人びと』共同通信社
『中央公論』(1994年8月号掲載)

 

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