Loading...

経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

書評詳細0

戦後50年の多様な見方――TBSブリタニカ編『戦後50年は日本を幸せにしたか』TBSブリタニカ ほか

戦後50年を機に、日本は大きな変革の波にのまれ、戦後日本のあり方がさまざまな方面から見直されている。それは、これまでの社会システム、政治システム、経済システムがもはや円滑に作動しなくなったことの証である。人々の生活においても大きな変化が生まれている。集団主義から個人主義への移行は価値観の変化を促している。

たとえば、働き方である。戦後の企業一家主義が崩れることによってチームワーク重視の企業経営は破綻しつつあるし、これまでの年功序列型賃金体系や終身雇用制度のもとでは、従来のモノづくりの手法は立ちゆかなくなっている。また、高齢化社会の到来を目前にして、働く場の改善や年金制度の見直しが必要となってきている。戦後50年という大きな節目を迎え、 これまでの歴史を振り返るとともに、21世紀に向けての指針を考えるためにも、今回は〝戦後50年論〟の本を、以下取り上げてみた。

山崎正和、高坂正堯ほか『戦後50年は日本を幸せにしたか』(TBSブリタニカ、1300円)は、 戦後50年を憲法問題、経済、リーダーシップ、日米問題など7つの視点からとりあげて論じている。山崎正和氏は、「戦後五十年、日本人はさまざまな尺度において幸せになったが、まさにその同じ幸せが今日の不幸の種になっていると言わなければならない」と述べている。たとえば、国民の日常的な安全の保障が確保された反面、官僚的規制、行政指導が日本の行政の目立った特色になったし、教育の平等化と均等化が行われた反面、日本の戦後政治の権力のあり方に影響を及ぼし、リーダーシップの欠如を生み出してきている。しかも皮肉なことに、「日本社会のこうした戦後特有の性格は、みごとな偶然 によって、モノづくり社会の形成をますます助長するように働いた」としている。

戦後50年の日本の政治の歩みをたどっているのは、石川真澄『戦後政治史』(岩波新書、650円) である。「戦後五十年を迎えた日本政治は、政策ニュアンスの差異による新しい政党分類を求めて、世紀末の流動の時代に入っている」とし、戦後政治史の総体的分析を行っている。

「戦後史開封」取材班『戦後史開封』(産経新聞社、2800円)は、この50年の間に日本は何を体験してきたかに焦点をあてている。事件、文化、社会、政治経済の4分野に分け、3億円強奪、あさま山荘事件、新幹線、ミニスカート、カラオケ、受験戦争、心臓移植、日ソ国交回復、ドルショックなど35の出来事を盛り込んでいる。当時62歳の佐藤栄作首相夫人の寛子氏に米国へ着ていく服装を相談されたデザイナーの森英恵氏は、「ミニスカートがはやっているといえば、日本は遅れていないということになるから」とミニを勧めたという。官房長官が人を介して「短すぎるのでは」と〝忠告〟したりするエピソードが紹介されている。

戦後、世の中をにぎわした人物を取り上げた書を二冊紹介したい。保阪正康『さまざまなる戦後』 (文藝春秋、2000円)と井田真木子『旬の自画像』(文藝春秋、1800円)である。『さまざまなる戦後』は、東條英機、鶴田浩二、市川雷蔵、逸見政孝らの生きざまを掘り下げるなかで、時代の動きを描き出している。とくに、著者の思い入れが込められている東條英機と鶴田浩一は読み応え十分だ。 『旬の自画像』は、黒木香、村西とおる、太地喜和子、尾上縫、細川護熙を中心にバブル経済時代に活躍した人々を通して、日本の実像を映し出している。

文学を軸に戦後を描いているのは、川村湊『戦後文学を問う―その体験と理念―』(岩波新書、620円)だ。安保闘争、ベトナム戦争、性、家、アメリカ化といった戦後文学史上のトピックを拾いあげながら、時間軸に沿って戦後文学を論じている。たとえば、「アメリカの占領ということで始まった戦後文学は、日本の〈アメリカ〉化という段階において決着を見た」とする。村上春樹の『ノルウェイの 森』や『ダンス・ダンス・ダンス』を「〝アメリカふう〟の小説を自分たちの生きる時代の気分や状況を巧みに、新鮮に描き出したものとして、旧来の小説に対してよりも、より大きな支持を得た」と評する。だが、次第に「〈アメリカ〉的なものが、私たちの内部において普遍化され」、「〈アメリカ〉という価値観が、私たちの中に根を下ろした」今日、吉本ばななの『キッチン』のようにポップ・アート的な作品が「〈アメリカ〉的なものの影の下で描かれるようになっていく」。著者は、「『戦後文学』が終わったと、晴れ晴れと宣言するには、私たちの文学はまだ『戦後』の影に蔽われすぎているような気がする」という。そのせいで、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にはノモンハンの死者たちが「亡霊」となってあらわれ、吉本ばななの『キッチン』 は「みなし子」の物語だ。「この国にはまだ『戦後』が終わることを許そうとはしない『亡霊』たちがたくさんいるといわざるをえない」と語る。戦争によって亡くなった人、戦争で亡くしたものを葬ってこなかった、すなわち戦争処理をきちんとしなかった戦後にその理由があると語るのである。

TBSブリタニカ編『戦後50年は日本を幸せにしたか』TBSブリタニカ
石川真澄著『戦後政治史』岩波新書
「戦後史開封」取材班編『戦後史開封』産経新聞社
保阪正康著『さまざまなる戦後』文藝春秋
井田真木子著『旬の自画像』文藝春秋
川村湊著『戦後文学を問う―その体験と理念―』岩波新書
『小説すばる』(1995年6月号提携)

 

ページトップへ