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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

書評詳細0

大転換期の個人と組織――松井道夫・米倉誠一郎『かね よりも だ「かね人種」亡国論 「だ人種」救国論』KKベストセラーズ ほか

日本は、大転換点に立っている。既存の規範が崩壊し、新しい秩序が生まれようとするなかで、企業も個人も苦しい決断を迫られている。大切なのは、この大転換の方向を見誤らないことではないだろうか。

変転してやまない社会事象は、ときに私たちを混乱に陥れる。そんな時代には、世の中の動きに惑わされることなく、事実を凝視し、自分の頭でしっかりと考える力を持たなければいけない、と私は思う。証券業界の〝革命児〟松井証券社長の松井道夫氏と一橋大学教授の米倉誠一郎氏の対談集『かね よりも だ「かね人種」亡国論 「だ人種」救国論』(KKベストセラーズ)は、状況の本質をとらえている。松井氏は、「いまの日本の閉塞感を醸成しているのは、『かね人種』が日本社会を覆っているからだと思う」と直言する。「かね人種」とは、語尾に「ナントカかね」とつける人たちで、典型は官僚だという。彼らは、つねに逃げ道を用意しているから、自ら責任をとることはない。対する「だ人種」は、「ナントカだ」といい切る人たちだ。自分の言動に責任をもって実行するタイプである。

「日本のリーダーの問題は、『だ人種』がいないことに尽きる」と松井氏は嘆き、米倉氏は、「責任をとりたくない歴代のリーダーたちが、実行を先送りしてきた」と分析する。不良債権問題の先送りも、遅々として進まない構造改革も、「かね人種」の仕業である。意思決定の曖昧さも、危機管理能力の欠如も、「かね人種」ならではだ。本書はこのほか、権限を持たぬ日本のリーダーに改革はできない、集団の利益を優先して個を殺す現象が日本社会を歪める、虚業だらけの日本に競争原理を導入せよ、などと手厳しい議論が盛り沢山である。いさぎよく本音を吐露する二人の対話は、読んでいて痛快だ。

「日本を取り巻く不況や構造問題を解決する主体は、政府や官僚などではなく、僕たち一人ひとり以外にはありえない」と、米倉氏はいう。転換期の日本をリードするのは、考える力を持つ個人であることを実感させられる。

働き方やキャリア形成に本質的な変化が訪れていることも、私たちは認識する必要がある。その意味で、『フリーエージェント社会の到来 「雇われない生き方」は何を変えるか』(ダニエル・ピンク著 ダイヤモンド社)は、働く側、マネジメント側の双方にとって参考になる。本書によれば、米国では組織に頼らずに自立して仕事をする人が、労働者の約4分の1にのぼり、経済の基本単位はすでに組織から個人へと移っているという。私たちがとくに知らなければならないのは、フリーエージェント化によって、リスクの所在が組織から個人に移ることだ。雇用、給料、年金、教育など、あらゆる面で個人がリスクをとり、主体的に動かなければならない。このような仕事と生活に関わる常識が塗り替わる大変化に、会社に従属する形で生きてきた日本のサラリーマンがついていくのは並大抵のことではないのだ。

たとえば、成果主義は、好むと好まざるとにかかわらず、サラリーマンの働く意識のフリーエージェント化を加速させるに違いない。ところが、多くの日本企業が成果主義を取り入れながら、うまく機能しないのは、従業員が正面から変化を受け止め、意識改革することができないからである。富士通は1993年、管理職に対して成果主義に基づく人事・賃金制度を導入したが、2001年4月、成果主義の一部を見直し、プロセス重視の制度に改定した。このことは、終身雇用と年功序列賃金に守られてきた日本のサラリーマンに対し、意識改革を求めることの難しさを浮き彫りにしたといえる。その点、トヨタ自動車は80年代後半以降、従業員の意識改革に着手するとともに、90年に賃金制度を能力主義にシフトしたうえ、従業員のモチベーションが下がらないように十分に配慮しつつ、プロセス評価を重視するなど、緩やかに成果主義を導入していった。トヨタの成功は、ハンコ3つ運動、組織のフラット化、スタッフ職の導入など、段階的に従業員に対する十分な意識改革を行っていったからにほかならない。

高度成長社会から成熟社会へと転換すれば、右肩上がりの時代とは異なるライフスタイルが求められるし、それに適した財やサービスの提供が必要となる。『痛みの先に何があるのか』(島田晴雄、吉川洋著 東洋経済新報社)は、新しい時代が求める財やサービスとは何か、それを供給するには、どのような条件を整備する必要があるのかを説きながら、日本の成長の可能性を模索している。「成熟社会、高齢化社会は、傷つきやすく、不安が多い」と指摘し、人々が欲しがる財、サービスは、「豊かさ、ゆとり、健康、安心」をキーワードにしたものだと定義し、その具体例を提起する。

たとえば、高齢社会の家族の将来不安を解消するため、「安心ハウス構想」を提唱している。基本的に入所金がかからず、個室型で、年金程度の料金で生活ができ、必要な介護サービスが受けられる都市型のケア施設である。高齢社会の不安の一つは、高齢者施設の数が圧倒的に足りないことだといわれる。医療、介護、住宅に関する将来不安は人々を貯蓄へと駆り立て、経済の停滞をもたらす。「安心ハウス構想」は、豊かさの実現と同時に、安全装置の役目を果たし、ひいては経済活性化をももたらすのである。

このほか、本書は、子育て支援産業を育てる構造改革にも論及し、仕事と子育てを両立したいという潜在需要に応えるアイデアを提供している。少子高齢社会においては、就労人口の低下は免れず、より充実した保育サービスの提供による女性の労働参加の促進が待たれるが「インフラを整え、多様な保育サービスが提供されれば、その結果として10兆から20兆円の市場が創出され、同時に、女性の社会進出を大きく後押しすることになろう」と指摘する。

重要なのは、こうした財やサービスの提供を民間主導で行うことだと、私は思う。民間が取り組んでこそ、競争原理が導入され、経済の活性化が促進されるとともに、雇用の創出にもつながるのである。JR東日本は1996年から、保育園事業に取り組み、これまでに駅に隣接した6つの施設を開園している。駅の利便性を生かし、共働き世帯を応援することを狙いとしているが、こうした生活者の立場に立った民間企業の試みが、少子化に歯止めをかけるきっかけとなることを期待したい。

本書はまた、民間主導の生活サービス産業を育成するには、インフラ整備が不可欠だとし、生活者が自由で適切な選択をするために、「市場が透明で多様な選択肢があり、第三者による公正で十分な情報が必要だ」と論じている。新たな産業は、市場インフラの整備と需要創造への構造改革なくして育たないことを教えてくれるのだ。

大転換期には、真実とごまかしを見定める目を持つ必要もある。金融機関の統廃合の結果、4つのメガバンクが残ったのは「大きくて潰せない」からだといわれている。野口悠紀雄氏は、『日本経済 企業からの革命――大組織から小組織へ』(日本経済新聞社)のなかで、メガバンクの登場について、「経済的に意味があるから自然に大きくなるのではなく、『大きすぎて潰せない』という状態を目指して、人為的な大規模化が行われている」と鋭く指摘する。「株式会社は事業が失敗した場合に倒産ができるように設計された仕組み」にもかかわらず、日本ではその仕組みが機能しないだけでなく、「企業規模の拡大によるリスク回避が、日本企業の基本的戦略になっている」と野口氏は分析するのだ。

つまり、「金融機関の統合に見られるように、『組織の巨大化こそが生き残りのための必須策』と考えられている。日本経済が不調を続ける最大の原因は、ここにある」と指し示すのだ。実際、「規模の経済」の限界が明らかになり、大きいことは必ずしも強さではなくなった。野口氏が語るように、「伝統的な大企業が中心の経済から、小企業や個人が中心の経済への変質」を認識しない限り、21世紀の生き残りは不可能で、現に米国では、巨大企業の10分の1の規模の企業が10倍の企業価値を発揮しているという。実際、巨大化をリスク回避の最善策と考え、倒産しない条件を整えることに躍起になっていては、社会の沈滞化が進むばかりだ。リスク回避を続けることで生き残っていけたのは、経済が右肩上がりの成長をしていた時代だ。リスク回避の発想では、不確実性の時代に新しい可能性をつかむことはできない。

野口氏は、「変化した経済環境の本質が正しく理解されていないこと」を危惧するが、その意味で、取り上げた4冊は、変化の本質を知り、過去にとらわれない選択をするための好個の書物といえるだろう。これまでの強さが弱さに転じるほどの価値観の大転換が起きているのだ。個人、企業、国のそれぞれがこの変化に対応できて初めて、新たな成長フロンティアを手にすることができるのだと思う。

・松井道夫、米倉誠一郎著『かね よりも だ「かね人種」亡国論 「だ人種」救国論』
KKベストセラーズ
・ダニエル・ピンク著 玄田有史解説 池村千秋訳『フリーエージェント社会の到来「雇われない生き方」は何を変えるか』ダイヤモンド社
・島田晴雄、吉川洋著『痛みの先に何があるのか』東洋経済新報社
・野口悠紀雄著『日本経済 企業からの革命――大組織から小組織へ』日本経済新聞社
『中央公論』(2002年12月号掲載)

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