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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

湯沢 湯沢・雄勝の“三麺”を巡り秋田最古「秋の宮温泉郷」へ

yuzawa8 秋田県最古の温泉「秋の宮温泉郷」へ東京から出かけるには、幾通りもある。

たとえば、山形新幹線に乗って一気に新庄駅まで進む。あるいは、東北新幹線の古川駅から陸羽東線のディーゼルカーに乗って、新庄駅に出る。そして、新庄駅からは、いずれも奥羽本線に50分ほど揺られて横堀駅に向かう。または、東北新幹線で古川駅を過ぎ、北上駅まで進み、北上線の横手駅で奥羽本線に乗り換え、30分ほどかけて横堀駅へ行く手もある。

 横堀駅からは、定期バス約30分、タクシー約20分で「秋の宮温泉郷」に着く。
今回は、JR東京駅午前9時56分発の東北新幹線「はやて13号」に乗り込み、仙台駅で「やまびこ47号」に乗り換えて、同11時56分に古川駅に到着。駅レンタカー「トレン太くん」で「秋の宮温泉郷」に向かった。国道108号線を走るのだ。鳴子温泉郷を経て、緑濃い「鬼首道路」、通称エコロードを快適に行く。およそ1時間半のドライブである。
 さすがに東京からは遠い。しかし、宮城県と秋田県の県境にある秘湯「秋の宮温泉郷」に出かけるのだから、我慢をしなければいけない。
 到着まで、昼食をとる暇もなく、一路目的地を目指した。これには、中高年4人組みは我慢がならなかった。「もう、飢え死にしそうだ!」と、一言居士のQさんは叫ぶ。中高年というのは、日頃、職場や家庭でしいたげられているから、旅に出ると、わがままになる。
 じつは、昼食が遅れたのは、何を隠そう〝三麺作戦〟のためである。では、〝三麺作戦〟とは何ぞや。
 三種類の麺を食べ尽くそうという遠大かつ高踏な試みである。じゃあ、その三麺と何か。秋田県湯沢・雄勝エリアの冷がけそば、稲庭うどん、そして湯沢ラーメンだ。現に、湯沢・雄勝エリアは、「三麺の郷」といわれているのだ。
 つまり、秘湯の湯に浸かるのもさることながら、まず、麺探検隊を組織して三麺を食べ尽くし、味わい尽くしてから、ゆるりと湯に入ろうという魂胆だ。



yuzawa7〝三麺〟を求めて麺探検隊は行く


 まず、麺探検隊が向かったのは、雄勝郡羽後町西馬音内の蕎麦屋「松屋」だ。100年以上の歴史を誇る蕎麦屋さんである。
「いやあ、100年以上続いている蕎麦屋は、ここには3~4軒ありますよ」
 と語るのは、「松屋」の小松正行さんだ。
「あきたこまちの産地で、美田が広がる町に、100年以上も続く蕎麦屋がごろごろしているなんて、ウーン……。だから、東北は侮れないんだよな」
 と、麺探検隊の隊長格の美食家Zさん。調べてみると、「弥助そば」なる店は、創業文政元年(1818年)というのだ。

yuzawa5 また、蕎麦屋の鄙びたたたずまいがたまらない。暖簾をくぐって内に入ると、土間に時代がかった椅子とテーブルが無造作に並び、その奥は何の飾りもないお座敷だ。

 肝心のそばの食べ方は、この地方独特の〝冷がけ〟。ありていにいえば、冷たい汁のかけそば。汁の成分は、煮干と醤油と少しの砂糖という。嫌味がない。素直な味だ。
 そばの食感、のど越しがじつに不思議。ツルツルリンとのどを過ぎるのでもないし、ボツッツッとのどを硬く刺激するのでもない。軟らかからず、硬からず、スルルッとしなやかにのどを通っていく。な、なんだ、これは……。ウン十年間生きて、初めて経験するようなのど越し感だぞ。
「そう、普段食べているそばとは、まったく違う食感だと思います。そば粉のつなぎに布海苔を使っているからなんですね」
 と、小松さんはいう。いやあ、美味しいそばでしたな。
 翌日、麺探検隊は、稲庭うどんの本場の湯沢市稲庭町に赴き、うどんづくりに挑戦した。
 訪れた「佐藤養助商店」によると、稲庭うどんの製法が確立されたのは、寛文5年(1665年)という。稲庭うどんは、専用粉を手の平で繰り返し練り続け、団子状にする。それを寝かせて熟成させ、さらに練り続ける。すると、機械練りではできない気泡ができる。じつは、この気泡が稲庭うどんのコシの強さを生む。

yuzawa13 右のような話を聞いたあと、同店の体験工房で、職人さんの指導を受けながら、うどんづくりにチャレンジ。熟成させて小巻にされた生地を、両手でよりながら2本の棒に綾取りよろしく綾がけしていく。小巻にされた生地が切れるのではないかと、慎重に綯っていくが、アレレッ、意外や、生地には粘りがあり、その心配はないではないか。「なるほど、稲庭うどんのこしの強さはこれだな。秘密の一端に触れた感じだぞ」と、Qさん。

 このあと、観光バスが横付けするなど、次々とお客が引きもきらない、隣の「佐藤養助本店」で、稲庭うどんを食す。「さすが、本場。東京で飲んだ後に食べるのとは、違いますわな」といいながら、知的体育会系のYさんはツルツル。

yuzawa4 湯沢ラーメンについては、明らかに情報不足でした。飛び込んだ店の湯沢ラーメンは、たまたまか、醤油スープに脂がタップリ。いかにも若者向き。オジサンには、もう、超ヘビー。

 そういえば、「湯沢駅から二つ目の十文字駅には、売り出し中の十文字ラーメンがありますわな」と、ラーメン博士でもある隊長のZさんは、無念そうな表情だ。しかし、すべて、満点といかないところが、旅の醍醐味と申しますか、失敗こそが後日、「あのとき食べた何々の味が……」などと、一番の懐かしい思い出になるわけですよ、エエ。

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渓流沿いの〝野天風呂〟で
無念無想の湯浴み

 さて、「秋の宮温泉郷」では、「鷹の湯温泉」に宿をとった。渓流の一軒宿である。
 宿に着くなり、中高年4人組は、ただちに旅館の浴衣に着替え、温泉に突撃した。
 温泉の泉質は弱食温泉で、効能は神経痛、慢性リウマチ、腰痛、切り傷、更年期障害、婦人病など。浴室は、大浴場、婦人風呂、露天風呂、野天風呂、足湯である。
 最初に飛び込んだのは、露天風呂ではなく、野天風呂だ。この野天風呂のネーミングにこそ、「鷹の湯温泉」のこだわりがあるといっていい。そんじょそこらの露天風呂とは違うぞ、という心意気が示されているのだ。
 実際、渓流の川原に風呂がこしらえており、風情がたっぷり。思わず、オオオッと感嘆符だ。目の前には、緑が滴るように山が渓流に落ち込んでいる。背後も緑豊かな山。渓流には堰堤があって、清流が白く滝たきのように流れ落ち、涼やかな音を奏でる。
 透明な湯に浸かり、目を閉じ、耳をすましていると、せせらぎの音が心をギュッと優しく抱いてくれる。そのうちに、体の芯がジワーッと溶解していく。
 夜は、内湯に入った。
yuzawa9浴槽が三つあって、それぞれに温度が違う。それから、打たせ湯もある。数分浸かっては、次の浴槽にドボンと、さらに次へドボンと三つの浴槽を完全制覇する。

 一つの浴槽は、深さ1・3㍍の立ち湯だ。立ち湯では、なぜか、先客のお爺さんが浴槽の縁に手をかけ、オッとかハッとか奇妙な声を発しながら、体を前後に揺さぶるので、こちらはその度に湯の中でユラユラ。かくするうちに、ギンギンと体が温まってきましたな。
「創業は明治18年(1885年)ですから、100年以上の歴史があります。もっとも、最初は、湯治場。秋田県の農家の人たちが農閑期に自炊しながら骨休めにやってきたんです。ですから、昔は、冬のほうが忙しかったんですよ。現在のように、旅館方式になったのは、昭和40年代ですね」

yuzawa10 そう語るのは、地元中学の実直な先生のような風貌の「鷹の湯温泉」主人の小山田光太郎さん。写真をお願いしたら、「お恥ずかしい。髪に櫛も入っていません。修正してくださいよね」と笑っておっしゃる。ユーモアのセンスもあるのだ。

「秋の宮温泉郷」には、現在も自炊湯治メインの温泉がある。「新五郎湯」がそうで、ここは開湯が元禄15年(1702年)とか。ちなみに、「秋の宮温泉郷」は、冬場、1㍍~1・5㍍の積雪があるという。
 翌朝、寝起きと同時に露天風呂に直行。一気に細胞が目を覚まし、シャッキリと身が引き締まった。

銀山の歴史に触れ 移ろいを感じる

 稲庭うどんを食した後、「湯沢市院内銀山異人館」を訪れた。院内銀山は、江戸時代に発見され、昭和29年に閉山されるまで掘り続けられた。江戸の最盛期には、戸数4000戸、人口1万5000人を数え、一時日本一の生産量を誇ったという。
「銀山には、11のお寺があって、共同墓地には3000人以上が埋葬されていると推定されています。ルーツ探しというのですか、全国から年に何人かがご先祖探しにいらっしゃいます」
 と、同館の小松良子さんはいう。
 この異人館に院内駅が併設されている。
yuzawa12いや、院内駅に異人館が併設されたというのが、正確だろう。かつては、院内発上野行き、院内発青森行きの列車が出たというが、現在、〝委託駅〟であることからもわかるように、静寂が駅を包んでいる。駅前広場には人影がない。都会では味わえない、時の流れを実感させられるのである。これも、旅の効用といわなければならない。

 

小学館『週刊ポスト』 2007年8月17日・24日合併号 掲載

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