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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

朝日の慰安婦問題に関する”謝罪”について

今回の朝日新聞の慰安婦問題について、
「リスクマネジメント」の側面から考えてみました。

ご存じのように、8月5日、6日付の朝日新聞は、
特集で慰安婦問題を取り上げ、
故・吉田清治氏の済州島における「慰安婦狩り」「強制連行」発言を
“虚偽”として取り消しました。
その際、「謝罪」の言葉が一切なかったことから、
新聞各紙、週刊誌を巻き込む大論争が巻き起こっています。

ジャーナリストの池上彰さんは、紆余曲折を経て掲載された
朝日新聞の今朝のコラム「新聞ななめ読み」において、
「過ちがあったなら、訂正するのは当然。でも、遅きに失したのではないか。
過ちがあれば、率直に認めること。でも、潔くないのではないか。
過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」
とおっしゃっていますが、
まあ、このひとことに尽きるでしょうね。
誤報とわかっていながら放置し続けたうえに、
その検証記事についても不十分となれば、
メディアとしての責任が問われるのは当然です。

企業では、不祥事が起きた場合、まず「謝罪」の仕方が問われます。
社長やCEOなど、トップ・マネジメントが
公式に謝罪をする必要があるのかどうかについては、議論が必要になります。
トップは組織の代表者ですから、
謝罪の影響は、経営問題に発展しかねません。

万が一にも、トップが見当違いの謝罪をしたり、不用意な発言をしようものなら、
世間の非難は一気に高まり、辞任に追い込まれるケースが少なくない。
そんなケースは、過去に少なからずあります。
トップ自らが公式に謝罪するかどうかは、まさしく第一級の経営問題なんですね。
多分、朝日新聞は社長の「謝罪」について、検討したことと思います。

「謝罪」の仕方によっては、
これは、起死回生のチャンスになります。
文字通り、ピンチはチャンスですね。

これは、前にも一度、ブログに書きましたが
(「片山修のずだぶくろⅠ」2010年2月22日分)、
謝罪会見のベストプラクティスとして知られているのが、
1982年「タイレノール事件」に当たっての、
ジョンソン・エンド・ジョンソン社の当時のCEOジェームズ・バーク氏の対応です。

「タイレノール事件」とは、頭痛薬「タイレノール」に
第三者によって青酸カリが混入され、7人の死亡者を出した事件です。
事件が起こるや否や、結果として、同社は無関係だったにもかかわらず、
バーク氏はただちに自ら公式的な謝罪を行いました。
事件の発生を認めるとともに、遺憾の意を表明し、
すでに販売されていた「タイレノール」をすべて回収。
さらに、不正開封防止の包装を施すなど、徹底的な対応策を講じました。

その結果、「タイレノール」の市場シェアは90%にのぼり、
ジョンソン・エンド・ジョンソン社の
企業価値が飛躍するきっかけになったといわれています。
企業はこの「謝罪」ケースをモデルケースとして、
徹底的にベンチマークしています。

さて、慰安婦問題で、朝日が記事の誤報を認めた時点で、
社長がただちに謝罪会見をすれば、
その後の展開は、もう少し違ったものになったでしょう。
いまからでは、遅いでしょうけどね……。
結局、その覚悟がなかった。
結果、致命傷を負った。

ビジネスにトラブルはつきものです。
ジャーナリズムとて、同じです。
向う傷を恐れていては、飛躍はできません。
ただ、ジャーナリズムが留意しなければいけないのは、
誤報によって、世の中をミスリードしたり、人を傷付けることがあることです。

大切なのは、間違いに気付いたら、
ただちに訂正し、「謝罪」することです。
朝日新聞には、ジャーナリズムの見識はもとより、
「リスクマネジメント」においても、
それが決定的に欠如しているといわざるを得ません。

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