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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

日産・志賀さんの語るダイバーシティ

一昨日、昨日に引き続き、
日産自動車 代表取締役副会長の志賀俊之さんの
早稲田大学大隈講堂での講演について記します。

昨日のブログで、日本企業が再び輝きを取り戻すには、
「コトづくり」の視点が求められると書きました。
志賀さんは、もう一つ、重要なポイントがあるというのです。
それは、多様性、ダイバーシティです。

なぜ、ダイバーシティが日本企業にとって大切なのでしょうか。
志賀さんは、チャールズ・ダーウィンの
「生き残る種というのは、
最も強いものでもなければ、最も知的なものでもない。
最も変化に適応できる種が生き残るのだ」
という有名な言葉を引き合いに出します。
そして、経営環境の急激な変化に適応し、グローバル競争を勝ち抜くには、
ダイバーシティのなかからイノベーションを生み出さなくてはいけないというのです。

具体的には、人種や国籍、性別はもとより、
年齢、教育、キャリア、言語、家族構成、価値観の異なる人々が一緒になって組織をつくる。
メンバーのエンパシー(共感力)を高め、
互いの考え方や意見の相違をリスペクトしながら、
ディスカッションを通して、一つの答えを導き出せるような風土を醸成する。
このようにして、異質な個が、持てる能力を最大限に発揮する組織を構築することが、
イノベーションの原動力になるというのです。

日産はダイバーシティ先進企業として知られています。
女性の活用を例にあげると、
日産の女性管理職比率は、14年4月現在7.1%で、
製造業の平均値2.9%を大きく上回っています。
また、当然ながら、外国人人材の活用についても積極的で、
日産本社の執行役員以上の役員計51人の33%にあたる17人が外国人です。
日本の事業所で働く外国人社員は、38カ国305人に上ります。
日本人の男性社員が中心の「モノカルチャー」を打破することで、
革新的な企業風土をつくろうという意志が見えますよね。

ところで、日産がダイバーシティ推進に向けて舵を切ったのは、
それほど最近のことではありません。
1999年、ルノーとのアライアンスが原点だと、
志賀さんは、自らの“ダイバーシティ原体験”にふれながら、振り返りました。

1999年、企画室長を務めていたときに、一人のフランス人が配属されてきた。
ある会議が終ったとき、彼は志賀さんのもとにやってきて、
次のような質問をしたというのです。
「誰も意見を述べなかったのに、どうしてこの結論になったのですか?」
志賀さんは「もう決まったことだし、面倒くさいな」と思いながらも、
「ほかにどんな結論がありますか」と聞いてみた。
すると、フランス人社員は、志賀さんが思いもしなかった考え方を述べる。
そこからディスカッションがはじまり、深夜まで話し込んだ。
そのなかで、志賀さんは、自らの視野が拡がるのを実感したというのです。

「これは日産が倒産寸前までいって、ルノーとアライアンスを組み、
さあ、これから再生するぞというときの経験です。
90年代に倒産寸前にまで追い込まれたのは、なぜか。
日産のメガネでみていたから、世の中の変化に気づけなかったのです。
変化に気づくには、自らとは違うメガネで世の中を見なくてはいけない。
多様性を重んじる文化がいかに大切なのかわかりました」

指摘するまでもなく、99年の日産リバイバルプランからはじまった、
日産のV字回復の背景には、ダイバーシティ戦略があるのは間違いありません。
ルノーとのアライアンスから15年がたった今日、
ダイバーシティは日産の風土として根付きつつあるといっていいでしょうね。

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