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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

サントリーはなぜ青島ビールとの合弁を解消したのか

サントリーホールディングスは19日、中国ビール2位の青島ビールとの合弁契約解消を発表しました。そこに何があるのか。サントリーが中国で築きあげた、30余年にわたる“中国ビール事業物語”があるんですね。

中国進出を決断したのは、当時の社長、佐治敬三さんですから、ずいぶん古い話から始まります。1971年9月、関西財界訪中団の一員として中国を訪問したことがきっかけです。

1984年、サントリーは国内のビールメーカーの先頭を切って、日中合弁会社「中国江蘇三得利食品有限公司」を設立した。国内出荷量4位のサントリーの中国進出は、佐治さんだからこそできた、大英断といえるでしょうね。

サントリーが中国のビール事業に社運を賭けたのは、中国のビール消費量の伸びを確実視していたからです。1984年当時、中国のビール消費量は年間300万トンに過ぎなかった。中国の人口が10億人とすれば、1人あたりの消費量は3リットルです。すぐに1人あたり10リットルの時代がやってくることは容易に想像できますわね。

ところが、江蘇省連雲港市から引き継いだ既存のビール工場は、設備が劣悪な上に、衛生管理も十分ではなかった。また、原材料の計量は勘で行われていた。しかも、原料の水の硬度が高く、処理せずに使うと、アルカリ性に偏ったビールができるという問題もありました。

日本から派遣された技術者たちは、タンクや配管の洗浄、原材料の正しい計量、計測といった初歩的な工場管理、品質管理に奮闘します。やがて、作業にデータが取り入れられ、日本流の作業標準が移植され、日本の工場と同等の品質のビールがつくれるようになったんですね。

江蘇省で中国におけるビール事業の展開ノウハウを培ったサントリーは、いよいよ中国攻略を本格化させ、市場の将来性が見込める上海への進出を決めます。

95年12月、日中合弁の「上海三得利啤酒有限公司」が設立され、独自ブランド「三得利(サントリー)」の発売にいたるんですね。

「三得利ビール」をつくるにあたって、サントリーは上海市内で消費者を対象とした大規模な味覚調査を実施しました。その結果、上海の人たちは、炭酸が強く、苦みの少ない、さっぱりしたライトビールを好むことがわかった。また、価格帯ではどちらかというと、大衆価格帯を狙いました。これが大当たりし、「三得利ビール」は上海でのシェア1位を獲得するまでに成長する。

ところが、数年前から、中国最大手の華潤雪花ビールなどとの価格競争に巻き込まれるんですね。中国市場参入当初こそ、シェア拡大を狙った、大衆路線は大当たりしましたが、その路線のままでは、地場産業につけこむすきを与えたといえるでしょう。

収益改善を狙い、2012年には青島ビールとの合弁に切り替え、合弁会社が「三得利ビール」と「青島ビール」の二つのブランドのビールの生産、販売を手掛ける方式に転換しますが、結局、赤字は解消しなかった。

また、中国のビール市場そのものが14年度に初のマイナスに転じたことも、逆風となった。サントリーは、既存のスキームでは事業の継続はむずかしいと考え、合弁パートナーである青島ビールにライセンス契約に基づき、製造販売を委託するという結論にいたったんですね。

サントリーの中国ビール事業は、競争の激しい中国市場での数少ない成功例といっていいでしょう。日本の生産技術、品質管理を現地に移植したという意味でも、大きな実績を残したといえます。

ただし、サントリーが中国に進出してから30余年。この間、地場企業もまた、確実に力をつけてきた。あとは、泥沼の価格競争が待っている。電機産業の国際化の構図と同じですね。

巨大市場・中国でどう戦うか。求められるのは、既存の戦略の見直しではないでしょうか。その意味で、青島ビールにライセンス契約に基づいて、製造販売を委託するという新たなビジネススキームを選択したのは最良の策だといえそうですね。

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