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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

シャープ危機の背後に何があったのか

そもそも、なぜシャープは、現在のような危機状況に陥ったのでしょうか。あらためて振り返ってみると、浮び上がってくるのは、明らかに、“経営の失敗”ですよね。

シャープは、東芝事件同様、コーポレートガバナンスがまったく機能していませんでしたね。「シャープ再建はなるか①トップ人事(2013/05/15)」でも触れましたが、シャープのトップ人事は混乱続きでした。

混乱の発端は、4代目社長の町田勝彦さんでしょうか。2代目社長の佐伯旭の娘婿にあたります。町田氏は、「液晶のシャープ」の立役者です。シャープの“中興の祖”といわれました。
よく知られているように、98年、「05年までにテレビをすべて液晶にする」とぶち上げました。

私は、この言葉を会見の席で聞きましたが、「そんなことが可能だろうか」と驚いたのを覚えています。当時、液晶パネルの技術は、芽を出したばかりでしたからね。いま思えば、先見性はありました。現に、シャープは液晶テレビによって甦りました。

町田氏は、02年に液晶専門工場の亀山工場を建設し、「世界の亀山」ブランドを築きました。一世を風靡しましたよね。そこまでは、よかった。しかし、その後が、ダメでしたな。バトンタッチがうまくいかなかったんですね。07年、町田氏は会長に退き、次期社長として、当時49歳だった片山幹雄氏を指名しました。

当時の大阪では、「シャープには社長が二人いる」といわれるようになりました。町田氏が院政をしき、町田・片山二頭政治体制だったからです。
ガバナンスは、機能不全に陥りました。

片山氏は、町田氏にライバル心を燃やしたのではないでしょうか。
東芝事件の背後には、西田厚聡氏と、後任の佐々木則夫氏の“対立”がありました。それと似たような関係が、町田氏と片山氏の間にあったんですね。

片山氏は、町田氏への対抗意識からか、町田氏の築き上げた亀山工場に対抗するべく、それよりもはるかに大きな液晶工場をつくりました。5000億円の巨額投資です。

ところが、08年のリーマン・ショックによって、世界的にパネルの需要は急減速しました。堺工場は、そんななか、09年秋に稼動した。間の悪い話です。

片山氏は、12年に会長に退きました。後任の奥田隆司氏は、13年3月期の赤字が過去最悪となり、1年で社長を退任。現社長の高橋興三氏が就任しましたが、この人事も、誰がどこでどのように決めたのか、よくわからない状況でした。
完全に、ガバナンスは機能不全でした。

その点、対照的だったのは、パナソニックです。パナは11年度は大赤字に陥りましたが、12年に社長に就任した津賀一宏さんが、13年にプラズマテレビ撤退を決断。B2Bへと大きく舵を切り、いまや完全に立ち直っています。

シャープは、戦略転換を図らなくてはならない大事な時期に、ガバナンスの混乱で時間を浪費した。技術者は流出し、会社は劣化し、競争力を失っていったというわけです。

いまや、鴻海にのぞみを託すしかないシャープです。再建は、イバラの道です。鴻海と〝心中〟するつもりで、覚悟を決めて進むしかないでしょう。

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