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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

『技術屋の王国ーーホンダの不思議力』著者インタビュー 1

9月1日に上梓された片山修の新著『技術屋の王国 ホンダの不思議力』(東洋経済新報社)は、ゼロから航空機の開発に挑んだ、ホンダの技術者たちの感動の物語です。


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2015年、ホンダジェットは、開発開始からじつに30年を経て、米FAA(連邦航空局)の型式証明を取得し、顧客への納入をスタート。2017年上半期に小型ジェット機市場においてセスナを抜き、出荷ベースで世界一に躍り出ました。

ホンダの四輪の世界販売台数は500万台と、トヨタ、フォルクスワーゲン、GMの世界ビッグ3の約半分にすぎず、当然、これらの超巨大企業と比較して研究開発費は潤沢ではありません。にもかかわらず、ホンダには「世界一」「世界初」という技術が多い。不思議力を備えた企業なのです。『技術屋の王国』は、その不思議力に迫ります。

ここでは、著者・片山修が、『技術屋の王国』を語ります。

 

『技術屋の王国』の読み方 ポイント①“技術屋”の人生

 

――『技術屋の王国』は、ホンダの“技術屋”、すなわち技術者たちのホンダジェット開発物語ですね。

片山 そうなんですけど、私はね、ホンダの本を書くのは、じつは7冊目なんですよ。

――7冊目ですか。

片山 そう。『ホンダ明日への疾駆』(角川文庫)、『ホンダの兵法』(小学館文庫)、『本田宗一郎と「昭和の男」たち』(文春新書)、それから、『本田宗一郎と知られざるその弟子たち』(講談社+α新書)、『ホンダ式一点バカ』(朝日新書)、『奇跡の軽自動車――ホンダはなぜナンバーワンになれたのか』(PHPビジネス新書)、で、このたびの『技術屋の王国』でしょ。

――7冊というと、相当ですね。これまでの集大成ですか。

片山 そうですね。何冊書いても足りないくらい、ホンダは書くことに事欠かない会社なんですね。さんざん付き合って、取材してきているんだけど、それでも、今回あらためて「技術者」と呼ばれる人たちについて考えさせられましたよ。

――技術者とは、本来、専門的な技術をもち、それを世の中に役立てることを生業とする人たちですよね。

片山 うん、7冊もやっているから、当然、何十人もホンダの技術者をインタビューしてきたんだけど、今回もやっぱり、技術者をたくさん取材しましたでしょう。

話を聞けば聞くほど、なんというか、一途でね、情熱的で、いい意味で頑固、つまり頑ななまでに強靭な意志を持つ人たちであることを、思い知らされるわけです。これほどまでに、一つのことに真摯に、長く、自らの人生をかけて打ち込むことができるものかと。

彼らを見ていると、それは、じつに幸せな人生なのではないかという気がしましたね。

――ホンダジェットは、開発開始から顧客への引き渡し開始まで、約30年を経ています。

片山 30年っていったら、新卒入社が50歳を超えるでしょ。ホンダには、まさに会社人生を、航空機エンジンやホンダジェットに捧げた人たち、命をかけて自分たちの飛行機を飛ばそうとした技術者たちが、たくさんいるわけです。

――普通の会社では、技術者が、30年にも渡って一つのことに取り組み続けるというのは、なかなかできることではありませんよね。

片山 うーん、それはやっぱり、天才技術者の本田宗一郎がつくった会社ですからねぇ。

よく知られる通り、ホンダは、本体の本田技研工業から、研究組織を本田技術研究所として切り離していますよね。研究機関は、利潤追求とか量産効率の徹底を目指す生産部門とは、組織、資本において一線を画すべきという、宗一郎と藤澤武夫以来の考え方なんですね。
それから、研究所のトップはもちろん、ホンダ本体の社長は、代々にわたって技術者が務めることが不文律になっている。まさに『技術屋の王国』なんですよ。

さらにいえば、宗一郎なき後も、技術を拠り所とし、世のため、人のためにそれを役立てようという企業風土を維持し続けているところが、すごいところなんですね。

――「会社全体に、研究所を応援する空気がある。(中略)社内の上から下までが期待を寄せる」(本文より)とあります。ホンダは、“技術屋”がいちばんエラいと。

片山 伊東孝紳前社長にインタビューしたら、「うちの社員は、社長や専務より、何か作品を残せる技術者のほうが、格が高いと思っている」と話していましたよ。「ホンダジェットを見たら、みんな、藤野(道格/ホンダジェットの開発者)って思うでしょ、俺は藤野が羨ましくてしょうがない」と。

日本企業は、文系に比べて理系は出世が遅いとか、平均年収が低いとか、理系出身者が軽んじられる傾向がありますでしょ。でもね、ホンダの技術者たちを見ていると、ひたすらに、ときにストイックなほどに技術に傾注し、それを突き詰めていきますよね。その“生き様”は、そこらの文系サラリーマンよりずっといいんじゃないか。じつに充実した、幸福な会社人生を送っているんじゃないかと思いますよね。


※伊東さん(左)、片山(中央)、松尾史朗さん(右)。ツインリンクもてぎ・ファンファンラボにて(2015年6月4日)

――ただ、成功するプロジェクトの裏で、大きな挫折を経験する技術者もいますね。

片山 もちろん、失敗して消えていくプロジェクトは数多い。ホンダジェットの裏にも、途中で航空機開発を離れざるを得なかった技術者たちや、離陸寸前までこぎつけていたのに事業化されず、日の目を見ることのなかったレシプロエンジンのプロジェクト、またそれに従事した多くの技術者がいるわけです。

でも、彼らにしても、自らの“生き様”を貫くわけですよ。

例えば、伊東さんのご友人でトヨタからきた松尾史朗さん。京大で工学部航空学科を専攻して、東大大学院では小惑星探査機「はやぶさ」などのイオンエンジンに繋がる研究をしていた。トヨタに入社後、ディーゼルエンジンに携わりながらくすぶっていたんだけど、飛行機が諦めきれずに、趣味として、琵琶湖で行われる「鳥人間コンテスト」に熱をあげていたんですね。

伊東さんに誘われてホンダにくるや、水を得た魚のように航空機の製造技術の開発に邁進します。ただし、40代でプロジェクトを外れてしまうんですね。挫折ですよ。

「飛行機の夢は封印した」とおっしゃっていた。ただ、航空機プロジェクトを離れたのを機に小型機の操縦免許を取得されたんですね。

――ホンダ引退後には、能登にある日本航空大学校で航空工学科の学科長として教鞭をとっていらっしゃるそうですね。

片山 そう。これ以上の人生が、ありますか。素晴らしい“生き様”じゃないですか。

ほかにも、ホンダの航空機プロジェクト出身者には、小型航空機免許を取得したり、航空大学校で教鞭をとったり、飛行機を趣味にして引退後も携わる人たちがいるわけです。ほんとに、素晴らしいと思いますよね。

――いま、日本は平均寿命が伸びて、仕事を引退した後の余生の過ごし方が問題になっています。

片山 その点、夢をかなえた人だけじゃなく、夢破れた技術者たちも、引退後まで、その知識や経験を生かして、そのまま老後の趣味につなげているわけですね。彼ら技術者の生き様には、学ぶべきことが多くあると思います。

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