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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

『技術屋の王国――ホンダの不思議力』著者インタビュー 4

『技術屋の王国』の読み方 ポイント④ ブランドとは、「夢を託せること」

 

―― ホンダジェットの機体開発を担った若者たちは、1986年、米国に渡ってミシシッピ州立大学のラスペット飛行研究所にラボを構え、研究開発を開始します。なぜ、米国に渡ったのでしょうか。


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片山 1986年当時、日本国内には航空機づくりを学べるような施設はほとんどなかったんですね。第二次世界大戦後、GHQによって航空機の研究開発が禁止された、いわゆる「空白の7年」を経て、日本の航空機産業は、世界から大きく遅れをとっていたんです。

つまり、米国に教えを請うしかなかった。

当時の研究所トップの川本信彦さんは、国内でやるより米国でやるほうが早いと、当初から考えていたようです。日本の航空行政の遅れも否めなかったでしょう。

米国に渡ったことは、正解でした。ホンダジェットの成功の理由の一つでしょうね。

―― でも、アウェイの米国で、日本の自動車メーカーがジェット機を飛ばすというのは、当時、まさに夢のような話ですよね。よく、実現しましたね。

片山 理由は、たくさんあるでしょう。しかし、ホンダのブランド力が大きかったのは、間違いない。

ホンダは、1979年に二輪、82年には四輪の米国生産をスタートしています。米国に工場をつくったのは、トヨタより早いんですよ。72年にはマスキー法を世界で初めてクリアしたCVCCエンジンを開発していますし、80年代に「シビック」や「アコード」は米国市場で大ヒットした。さらにF1レースでの大活躍もあって、HONDAブランドは、米国に深く浸透していたんですね。あえていえば、HONDAブランドは、日本より米国のほうが高いほどですからね。

例えば、「俺は芝刈り機からバイク、クルマまですべてホンダ製だ、飛行機もホンダに乗りたいから早く開発してくれ」といった熱心なファンがいるんですね。

天下のGEがホンダに小型航空機エンジンの共同開発をもちかけ、折半出資でGEホンダエアロエンジンズを設立したのも、ホンダのブランド力なしには考えられないことです。GEは、ホンダの技術力を高く評価していたんです。

―― ブランド、と一言でいっても、それを築くのは簡単ではありませんね。

片山 そうですね。ブランドとは何か。よく、ブランドとは“信頼”とか、“責任”とかいいますが、そうでしょうかね。エルメスやグッチを、“信頼”できるから好きっていう話じゃないでしょう。

ブランドの本質は、「夢を託せること」なんじゃないでしょうかね。

―― 米国でホンダの航空機工場、航空機エンジン工場を実際に見て、いかがでしたか。

片山 2015年の年末に、米国取材にいったんですけどね、私がホンダの航空機事業について、初めて取材をしたのは、1998年なんですよ。

―― 20年近く前ですね。

片山 そう。当時から、ホンダが航空機と航空機エンジンを、“秘密裡に”開発していたということにひかれて、ぜひこれは、本にしたいと思っていたんです。

そのときは、航空機エンジンのトップだった窪田理さんに、和光の基礎技術研究センターでお話を聞きました。窪田さんは、07年に病で他界し、ホンダジェットの販売開始を見ることはかなわなかったんですよね。

振り返れば、窪田さんの生前にインタビューをしたジャーナリストは、私くらいじゃないのかなと思いますね。メディアに出る人ではなかったと聞いています。

―― それから、20年ですか。

片山 いよいよ本にするため、本格的に関係者への取材を始めたのが、2014年ですね。

そして、一連の取材の最終盤に、米国に取材に出かけ、ノースカロライナ州グリーンズボロのホンダエアクラフトカンパニーと、バーリントンにあるホンダエアロエンジンズの航空機エンジン工場を見せてもらったんです。


※ホンダエアクラフトカンパニーのホンダジェットの生産ライン
(ノースカロライナ州グリーンズボロ/2015年12月8日撮影)

感動しましたねぇ。

長年、取材してきたからこそ、和光の小さな研究室から始まった航空機事業が、航空機の“聖地”ともいえるアメリカの地に、これほどの工場をつくるにいたったことを思うと、信じられない思いでした。よくぞここまできたと思いましたよね。ホンダジェットの工場は、もう、真っ白でピカピカの素晴らしい工場ですからね。

自動車産業は、いま、IT企業の台頭、シェアビジネスの拡大、次世代環境車、自動運転、コネクティッドカーなどの技術開発競争にさらされ、激しい変化の嵐のなかにいます。じつに厳しい時代にきている。

ホンダはいま、その嵐のなかを、1000万台クラブでもなく、高級車だけをつくるメーカーでもない中途半端な規模で、単独で走り続けています。本当に険しい道でしょう。でも、ホンダなら、このまま突っ走れるかもしれない。

そう思わせるのが、ホンダのブランド力であり、不思議力ですよね。

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