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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

マツダ「義援金1億円」の背景

西日本豪雨は、中国地方の自動車メーカーや自動車部品企業を直撃しました。広島市と山口県防府市に工場を持つマツダは、両工場への直接被害はまぬかれたものの、いまだに本社工場の通常稼働はできていません。

マツダの広島県の本社工場ならびに山口県の防府工場は、7日から操業を休止していましたが、12日から生産を再開しました。防府工場は通常の〝二直〟で操業していますが、広島県の本社工場は、昼勤のみの〝一直〟操業です。

なぜ、工場が被害を受けていないのに、本社工場は通常操業ができないのか。

いまだに、多くの線区で運転見合わせが発生しており、従業員の安全な通勤を確保できないこと、広域にわたる水害によって、部品の調達が滞っていることが要因です。

実際、本社工場への通勤線となる、JR山陽線の三原~海田市駅間は、土砂流入や盛土流出の被害が発生し、JR西日本によると、一か月以上の長期の運転見合わせが想定されるということです。また、JR芸備線の新見~下深川駅間では、橋桁流出、橋桁変状、土砂流入の被害から、完全復旧までに年単位の時間がかかるといわれています。

また、土砂崩れなどで寸断されていた道路網は徐々に復旧が進んでいるとはいえ、いまだに、通行止めが解除されていないところがあり、マツダの本社工場に部品を搬送するトラックは、迂回路を通ったり、フェリーを利用して海から運びこむなどの非常措置をとっています。

できるだけ早く工場の操業を通常に戻したいところですが、工場の都合だけを優先するわけにはいかない事情もあります。かりにも、マツダの工場に向かうトラックで道路が渋滞すれば、今度は被災地復旧に支障が出かねないからです。

本社工場は、20日までは〝一直〟を続け、今週中に通常操業に戻るかどうかを判断するということです。

というように、マツダは工場への直接被害はまぬかれたものの、西日本豪雨による企業活動への影響は少なくない。その一方で、地元企業として、被災地域の復旧・復興に受けた支援として、12日、広島県8000万円、日本赤十字社2000万円の計1億円の寄付を決めたんですね。

また、すでに系列のマツダ病院の看護師を被災地に派遣しています。看護師を派遣しているのは、坂町2名、三原市2名のほか、府中市への看護師巡回、ボランティアセンター休憩所への保健師4名の派遣です。

このほか、ボランティアセンターの受付業務スタッフとして、東広島市に1名、安芸区矢野に1名を派遣しています。土砂のかき出しにも多数のスタッフを送り込んでいます。

また、マツダの災害用備蓄品として保存していたペットボトル入りの飲料水約2万3000リットル、土嚢袋1500枚を呉市と府中市に提供しました。

なぜ、ここまでやるのか。マツダが広島という地域に根付いた会社だからです。

過日、広島のマツダ本社に併設されている「マツダミュージアム」を見学したのですが、そこでは、マツダが地場産業として地元に強い影響力を持つと同時に、マツダと地域がともに支え、支えられつつ、モノづくりの集積地としての強みを形成してきた歴史が紹介されていました。

そもそも、広島に自動車産業や造船業が育ったのは、中国地方に〝たたら製鉄〟という鉄の技術があり、ヤスリや針などの手工業が生まれたからなんですね。広島のモノづくりのルーツは、ここにあります。

広島に原爆が投下された1945年8月6日。マツダの前身である東洋工業は、大きな被害を受けましたが、4か月後、当時、主力製品だった「三輪トラック」の生産を開始し、広島の復興に一役買いました。

1970年代のオイルショックや2008年のリーマンショックでマツダが苦境に立たされたときには、広島商工会議所などがマツダ車の購入を促進する「バイ・マツダ運動」を展開し、マツダを支えました。

広島には、地元企業と地域の間に、互助の精神が根付いているといえます。

しばしば語られるのは、プロ野球の「広島カープ」が経営難に陥った際、広島市民が400万円もの「たる募金」によって、「広島カープ」を救ったというストーリーです。「地元球団を救うのは、地元民なのだ」という強い志は、広島の文化といってもいいかもしれません。

西日本豪雨による影響を受け、マツダはいまだ、予断を許さない状況が続いています。鉄道の運転見合わせの影響のほか、物流機能の正常化などの課題に、一つひとつ対応しつつ、工場の通常稼働に向けて、生産体制を確立していかなければなりません。

マツダは、逆境を乗り越えることができるか。力となるのは、広島で生まれ、いまも広島に本社を構える、地場産業としてのマツダの意思です。地域へのこだわりと誇りが、今回もまた、マツダを支える強い力となるのは間違いないでしょう。

振り返ってみれば、東日本大震災後、東北楽天ゴールデンイーグルスは苦節9年で初優勝を果たしました。星野仙一監督就任の年が東日本大震災で、選手たちは救援活動をしつつ、地域との絆を強めました。

「広島カープ」も、西日本豪雨という逆境を乗り越えて、優勝を果たしてくれるのではないか。そして、その先頭に立つのは、広島の地に生まれ、いまも広島と強い結びつきを持つマツダであることは変わりがありませんね。

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