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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

発売60周年を迎えたホンダ「スーパーカブ」の凄み

やや旧聞に属しますが、8月1日、ホンダは都内でスーパーカブ60周年記念イベントを開催しました。いうまでもなく、「スーパーカブ」はホンダの代表的な二輪車です。世界16拠点、160を超える国と地域で販売されています。


※ホンダモーターサイクルジャパンの加藤社長と「スーパーカブ」60周年記念モデル

「還暦を迎えた『スーパーカブ』ですが、高度成長期に、ミニマムコミューターとして大衆の足となり、人やモノを移動することで、社会や経済に貢献し、国内二輪販売網の基礎を築いてきました」
と語ったのは、株式会社ホンダモーターサイクルジャパン代表取締役社長の加藤千明さんです。

「スーパーカブ」が、これほど長きにわたり、世界中で愛されてきた理由はなんでしょうか。イベントでは、「スーパーカブ」60周年記念モデルのお披露目とともに、その魅力をアピールしました。

1958年に発売された「スーパーカブ」は、燃費や静粛性、耐久性に優れた、2ストロークエンジンよりも機構が複雑な4ストロークエンジンを搭載し、乗り降りしやすいデザインやクラッチ操作を省いた自動遠心式クラッチの採用などで、爆発的なヒットを飛ばしました。1960年の生産台数は56万台。月産45000台を超え、まさに国民の〝足〟として、一世を風靡しました。

しかし、「スーパーカブ」のスゴみは、過去の遺物ではありません。昨年10月、「スーパーカブ」は誕生から59年で、世界生産累計1億台を達成しました。同一の車種として、四輪を含めて世界トップの数字です。

1億台とは見当もつかない台数ですが、日本の成人1億人が全員「スーパーカブ」を所有している計算だと考えれば、途方もない数字であることがわかります。

それだけではありません。創業者本田宗一郎がこだわり抜いて開発した「スーパーカブ」は、デビューから現在まで、実は、基本的なデザインがほとんど変わっていないのです。

もちろん、細かいデザインや仕様の変更はされてきましたが、当初のデザインや機能を踏襲して現在に至っています。数年周期でフルモデルチェンジを繰り返す自動車を考えれば、信じられないほど信頼性のある技術やデザインであるといえます。

それだけ「スーパーカブ」が、開発当時から〝いかに過酷な環境下でも壊れない耐久性を備えていたか〟〝いかに工業製品としてのデザインが優れていたか〟そして、現場・現物・現実の「三現主義」で、〝いかに世界中でその国の市場特性や文化に溶け込み根付いてきたか〟ということです。

現在、ASEAN諸国を中心に世界各国で販売されている「スーパーカブ」ですが、ホンダの海外進出・現地生産の足掛かりになったことを思えば、その重要性がわかります。

「本田宗一郎の言葉通り、『良品に国境なし』『小さく産んで大きく育てる』『需要のあるところで生産する』というホンダの理念そのものを『スーパーカブ』が踏襲していると考えています。『スーパーカブ』は、本田宗一郎自らの方法で培った、徹底した市場調査、換言すると〝究極のマーケットイン〟こそがお客様の心に浸透するということを体現しているモデルだと思っています」

と加藤さんはいいます。また、「いま、日本のモノづくりの真価が問われています。今後60年、100年後にも社会の役に立つ商品や技術によって、すべての人に〝生活の可能性が広がる〟喜びを、卓越した品質と信頼とともに提供することがホンダの責務だと考えています」
と、加藤さんは語りました。

この日60周年を記念して紹介されたのは、「スーパーカブ」だけではありませんでした。1958年生まれの商品として、カシオ「Gショック」、日清食品「チキンラーメン」、富士重工業(当時)「スバル360」等々、どれも同じ年にこの国に誕生した、今なお色褪せることのない、優れた日本の工業製品です。

〝真摯に顧客に向き合う姿勢〟〝過去からの延長線上ではない独創的なモノづくり〟〝量ありきではなく、日本品質で世界の量を獲得すること〟〝特権階級のモノを一般大衆へ広め、国民の生活の質を向上するためのモノづくり〟こそが、日本品質だといいます。

この日、トークイベントに参加した『スーパーカブの歴史』(三樹書房)の著者、小林謙一さんは、「日本の舗装率は当時約30%。日本の悪路を走破するために本田宗一郎自らによって鍛え上げられた『スーパーカブ』だからこそ、世界で愛されるオートバイになった」と熱く語っていましたよ。

「スーパーカブ」はホンダの〝アイデンティティー〟〝DNA〟そのものです。これからも、ホンダのエンジニアの魂であり続けることは間違いありません。

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