Loading...

経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

片山修のずたぶくろⅡ

経済ジャーナリスト 片山修が、
日々目にする種々雑多なメディアのなかから、
気になる話題をピックアップしてコメントします。

『山崎正和の遺言』を書きました! 第1回

3年ほど前、突然、山崎さんから「仕事を手伝ってほしい」と依頼されたのをキッカケに、『山崎正和の遺言』を執筆しました。

私が山崎さんに関する本を上梓することに違和感を持たれるかもしれませんが、山崎さんとは古いお付き合いがあります。

初対面は1975年、『週刊ポスト』の企画でした。連載が著作になったのが『おんりい・いえすたでい’60s』(文藝春秋)です。
当時の山崎さんは40代の新進気鋭の作家、私は30代の駆け出しのフリーの記者で、連載の下書きを担当しました。
以後、昨夏に山崎さんが亡くなるまで、いつお会いしても、このときのフランクな関係が続いてきたように思います。

本書をマジメに説明すると、以下のようになります。

『鷗外 闘う家長』以来、半世紀に及び、劇作家・批評家として日本の「知」を牽引し、サントリー文化財団を舞台に「知のサロン」を創造し、演出してきた、山崎正和。
戦後最大の知識人・山崎の本質と内面に深く切り込みながら、彼の信じた近代日本の歩みと成熟を描き、これからの日本人に向けたメッセージを読み解く――。

内容は、下記になります。発売は、6月25日(金)です。

 

はじめに

序 章 戦後の何に憂い、仕掛けたのか

極端な理想主義ではダメ
『鷗外 闘う家長』は私のこと
佐藤政権の政策ブレーン
最後の近代主義知識人

第1章 「柔らかい社会」の到来

祖父も父親も学者
世代の無言の協力
奉天への移住
無政府状態の惨状
劇作家への道
佐治敬三のDNA
国家縮小の危機
はじめに志ありき
モーレツからビューティフル

第2章 文化財団設立前夜

PTAの関係
二人の間に化学反応
トヨタ財団に〝徒弟奉公〟
生活文化企業の原点

第3章 「知」の舞台づくり

別の選択もあった
大阪を選んだのは意地
不思議都市の「民の力」
夢は大きく、愛深く、志高く
ニューヨークでの週末
稀代のプロデューサー
事務局スタッフの役割
山崎マジックの秘密

第4章 言論界の構造改革

学芸賞の選考委員
〝隙間産業〟に注目
アカデミーとジャーナリズムの分裂
党派をつくらず
論文に求められる「芸」
負けなしの理論闘争
時代の気分
学問のタコつぼ化

第5章 文化が地域をつくる

地域文化賞の仕組み
「田園都市国家構想」を仕掛ける
室町から始まる地域文化
文化は「遊び」
手渡すバトンは心
しこたま飲んで議論する
四つの目標

第6章 躍動する「知」のリーダー

なぜ国際シンポジウムか
演劇プロデューサーの顔
ダニエル・ベルとの付き合い
三回にわたる「日本の主張」
ミルトン・フリードマンを招聘

第7章 究極の到達点「社交」

お金は〝消えもの〟に使って
研究会は「知のサロン」
対話と論争の「場」
ポイントは「学際性」
「知の浪費」はいけない
時代を反映したテーマ
「組織社会」から「社交社会」へ
群れるのは論外
おもてなしの社交術

第8章 内外に「知の場」の創設

自分の錘、振り子がなくなる
いかに「知の循環」を生み出すか
『アステイオン』の創刊理由
知と情と行動
21世紀をいかに生きるか
ジャーナリズムのグローバル化
『コレスポンデンス』の三人の絆
ここらあたりが潮時か

終 章 人生の「リズム」

浮世離れした物書き生活
「リズムの哲学」を考える
孤独死と近代的自我
死に方を見せてあげる
「失われた30年」は本当か
後進育成の山崎塾
文化財団の課題
三つの遺言

おわりに

ぜひ、ご一読ください。

ページトップへ