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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

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いよいよ「国は技術で興り、滅びる」ことにめざめる時だ――薬師寺泰蔵『テクノヘゲモニー』中公新書

<第2次世界大戦前なら、とっくに戦争になっている?>

「日米技術戦争は、いまや〝戦争状態〟にある――」

最近、あるメーカーの技術者から、そんな物騒な話を聞かされた。つまり、それほど日米の間で、熾烈な技術戦争が行われているということだろうが、激しさを増す一方の昨今のハイテク摩擦を考えると、それはあながち誇張した話ではないように思われる。

「なにしろ、日本は半導体とテレビ技術において、ダントツの技術力を誇っている。おそらく、これらの分野では、アメリカをはじめ世界のどの国も、もはや日本に追いつけないだろう。だからこそ、日米ハイテク摩擦が生じるんだ。戦前だったら、今頃は、とっくに本物の戦争になっていたんではないだろうか……」

技術者は、そんなふうに説明した。

いわれてみれば、なるほど、そうである。日本電気が、米国製の性能を大きく上回る世界最新のスーパーコンピュータを開発して、話題になったが、その決め手になったのはわが国の半導体のズバ抜けた開発力だ。また、ハイテクのかたまりといわれるほど、さまざまな先端技術が駆使されている高品位テレビは、日本が米国の何年か先を走っているというのが今日、定説になっている。

実際、半導体をはじめスーパーコンピュータ、高品位テレビ、FSX(次期支援戦闘機)など、日米ハイテク摩擦は、米国内に〝日本脅威論〟を巻き起こしている。このままだと、日米関係は根本から揺るぎかねない、と日本の新聞も書き立てている。

どうやら日本はわれわれが気づかないうちに、とてつもない〝技術大国〟にのし上がっているようだ。しかし、誰しも、次のような素朴な疑問が浮かぶのではないだろうか。

日米の技術格差は、なぜ、日本脅威論が飛び出すほど、かくも深刻な対立を生むのか。良くて、安い商品は誰もが欲しい。それを実現するのは、ほかならぬ技術のはずだ。その技術が他国より進んでいるからといって、なぜ、ジャパン・バッシングにあわなければならないのか――。

こうした率直な疑問に対して、明快に回答を与えてくれるのが、薬師寺泰蔵著『テクノヘゲモニー』(中公新書)である。

<「パックス・ブリタニカ」をイギリスかが築いた昔から、技術が安全保障を左右した>

本書は、以下のような書き出しで始まっている。

「この国の産業技術を盗もうとする国は多かった。それを防ぐために業界や政府はあらゆる手を尽くした。まず、技術者は重要技術を他に漏らさないように宣誓させられたし、工場見学が極端に制限された。それでも、技術をほしがっている国々はあらゆる手を尽くして情報を収集しようとした。ある国などは地方都市の領事を派遣し、こっそり技術情報を本国に送った。」

なかでも、プロの密輸業者の手は込んでいた。

「機械をばらばらに分解して梱包するのは序の口で、まったく異なった機械の仕様書を提供し、貿易当局の査察官の人手不足を利用して逃げたりした。ある港で、当局が調べた結果、捕捉した機械のうち身元不明機械部品が20パーセントもあったという」

これは東芝ココム事件に象徴されるような今日の技術摩擦を描いたのではなく、D・ジェレミーという技術史家が描いた170年前の英国でのれっきとした事実だという。

「技術を盗もうとした国はソ連ではなく、米国やフランスであった。くだんの技術を盗もうとした領事とは、ソ連大使館の商務担当領事ではなく、リーズ駐在のウィリアム・デービーという名の米国領事であり、密貿易港は竹芝ではなくリバプールであった」

ただ、この170年前の事件と東芝ココム事件には、ひとつだけ類似点があった。東芝ココム事件ではプロペラ切削用の9軸NC工作機械であり、170年前の事件では、綿繊維機械の複製をつくる旋盤工作機械だった。つまり、〝母なる機械〟と呼ばれる工作機械だったことである。

「19世紀の中葉、世界で生産された商品の3分の1が英国製であった。英国は、鉄、綿製品の半分を生産し、全世界貿易の4分の1を管理し、金融、商業のほとんどをコントロールしていた。そのベースとなったのは、産業革命の主役、特に綿製品製造機械であった。つまり、英国の繊維機械は、英国自身の覇権と安全を保障する技術そのものであったのである」

したがって、繊維機械を密輸するということは、すなわち英国の安全保障を脅かすことと同義であったというのだ。

ここで、著者は次のように本書のテーマを導く。

「技術は国家の安全保障を脅かす。そのことは、逆に言うと、国家は技術によって安全保障を確保する。さらにもっと強く言えば、国家は技術によってヘゲモ二ーをかち取ることが出来る。そして、同時に国家は技術によってヘゲモニーを失う」

この「国は技術で興り、滅びる」というパラダイムで捉えないかぎり、現代の国際技術摩擦は見えてこないというのが、著者の主張である。

<たとえばFSX共同開発も、日米ハイテク摩擦に拍車をかけてしまう……>

ところが、日本人は、水と安全はタダと思っているように、ナショナル・セキュリティ(国家安全保障)の概念が乏しい。したがって、他国の安全保障を技術的に脅かしても、その自覚がない。

たとえば、日本電気が世界一速いスーパーコンピュータを開発したといっても、スーパーコンピュータのもとをたどれば、米海軍が気象データ解析用にコントロール・データ社に開発させたのが始まりで、その後ミサイルの弾道計算や兵器開発などの国防需要に支えられて発展してきた。それだけに、日本メーカーが米国製をしのぐ機種を開発したことに対して、米軍は強い不安と不満を抱いていると、専門家の解説を聞いたことがある。

高品位テレビにしても、そうである。高品位テレビの市場は、21世紀には世界で400億ドル(約5兆2000億円)、米国内でもその4分の1の市場規模が見込まれているが、このままいくと日本が同市場を独占してしまうのを警戒する意見が続出し、米国は日本との共同開発をとらないで、独自規格の開発に乗り出す方針を固めた、と新聞は伝えている。

もっとも典型的なケースが、FSXの日米共同開発をめぐるゴタゴタである。その背後には、共同開発の結果、航空機技術が日本に移転され、米国の牙城である航空機産業まで自動車や半導体のように日本に追い越されてしまう、という米国の強い危機感がある。

要するに、米国は「国は技術で興り、滅びる」ことを知っているからこそ、日本脅威論が根強くあるのかもしれない。それに対して、日本は、まったくその認識がない。そのギャップが日米ハイテク摩擦をいよいよ容易ならざるものにしているという見方もできる。

しかし、いくら米国が、日本はべーシク・リサーチ(基礎研究)に力を注がず、その成果だけをつまみ食いすると〝技術タダ乗り論〝から、対日批判を展開しても、しょせん「技術はこぼれ落ちる」と著者は述べるのだ。

「英国がパックス・ブリタニカを築けたのは、同質・安価なものを大量生産する複製可能技術を開発したからである。複製可能技術であれば、この技術は必ずこぼれ落ちる。そこに、国家の浮き沈みが生じ、よって国際摩擦が生まれてくる」

<アメリカの大量生産力も実はフランス流武器製造の「エミュレーション」だった>

つまり、技術移転は、好むと好まないとにかかわらず、必ず起きるもので、そもそも国際関係をみるとき「エミュレーション」という概念が必要だ、と著者は付け加える。

エミュレーションとは、模倣プラスアルファで、そのアルファも競争で模倣が行われる場合と、模倣だけでなく、何か外から別の技術を連結したり、融合させたりする場合の2通りが考えられる。

たとえば、19世紀後半から20世紀の初頭にかけて米国の富を築き上げたのは、ミシン、自転車、電気機械、自動車などに代表される大量生産力だ。この米国の高度な生産・経営システムは、一般にアメリカン・システムと呼ばれているが、このシステムは、純国産ではなくエミュレーションから生まれた

「アメリカン・システムという生産・経営システムは、フランス流の武器製造管理技術をそのルーツに持ち、民間に天下りした陸軍エンジニアが開発したシステムである」

18世紀の米国は、英国からの軍事戦略に備えなければならなかった、そのため、フランスから武器技術を導入しなければならなかなった。そのとき身につけたフランスの武器の互換技術のエミュレーションがアメリカン・システムを生んだという。いわば、技術はひとりでに生まれず、このように常に伝播するというのだ。

そういえば、例の技術者が、おもしろいことをいった。

「日本の技術は、決して、イミテーションではない。アプリケーション(応用)技術がとても優れている。それが世界に冠たる日本の技術を支えているんだ」

技術者のいうアプリケーション技術と、著者のいうエミュレーションとは、多分、同一の事柄を表現しているのだろうと私は思う。

日米ハイテク摩擦が激化する折、示唆に富んでいる。

 

薬師寺泰藏『テクノヘゲモニー』中公新書
『IMPRESSION』(1989年7月号掲載)

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