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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

書評詳細0

ボーダレス時代の現在 日本人も自己証明をする時期だ――山本七平『日本人とは何か。』PHP研究所

<日本人論大ファンの私はこの本を見るなりレジに走った>

私には、何人かの気になる評論家がいる。山本七平は、そのひとりである。新著が出れば、店頭で一度は必ず手に取ってみるし、わが本棚にも10冊以上が並んでいる。

ご存知のように、氏は聖書関係の出版物を刊行する山本書店を経営するかたわら、ユダヤ論をはじめ聖書論、天皇論、軍隊論、経営論、歴史論、日本及び日本人論など、じつに幅広い分野にわたって評論活動を行っている。しかも、20年近くも常に評論家の第一線で活躍しているばかりか、その評論は独自の視座に満ちている。彼の知の泉は、コンコンと湧き出て、枯れることがない。まさに、現代を代表する評論家のひとりといっていい。

その山本七平氏が、このたび、またまた気になる本を出版した。『日本人とは何か。』(PHP研究所刊)という書物である。

まず、気になるのは、その題名だ。私たち日本人は、日本及び日本人論が大好きである。どれだけ己を知っているのかどうかは別にして、己を知ることについて、すこぶる熱心な民族であることは間違いない。好奇心がそれだけ強い民族に違いない。

かくいう私も、日本及び日本人論の大ファンである。本屋の店先で、『日本人とは何か。』を見つけるや、思わず手に取ったのはいうまでもない。「神話の世界から近代まで、その行動原理を探る」「日本文化の特性を探る/『山本日本学』の集大成!」――と、カバーにアイキャッチが並んでいる。もう、買うしかない。私は、レジに走った。

この『日本人とは何か。』は、上下2冊原稿用紙1200枚の文字通りの力作だ。執筆は、1年半にも及んだという。さっそく、同書をひもとく。

目に飛び込んできたのは、その異様な目次である。第一部「骨(かばね)の代(だい)」から「職(つかさ)の代」へ、第二部「職の代」から「名(な)の代」へ……というぐあいだ。いったい「骨」とか、「職」とか、「名」とは何なのか。

山本七平氏は、その言葉を伊達千広著『大勢三転考』からとっている。では、伊達千広は何者で、『大勢三転考』とはいかなる書物なのか。伊達千広は紀州藩士である。

「有名な陸奥宗光の父であり、藩内の政争にまきこまれて九年の蟄居(ちっきょ)を強いられ、後に赦(ゆる)されてから京都に出て公武合体に奔走したが失敗、帰国・閉居の身になるが、明治維新後に赦され、和歌と禅にひたる晩年を送った」

山本七平氏は、そう紹介している。が、その伊達千広の著作『大勢三転考』は、専門家の間では、頼山陽の『日本外史』と並ぶ史書の二大名著のひとつといわれている。山本氏は続ける。

「彼はあるがままに日本の歴史を見、徳川時代に至るまでを『骨の代』『職の代』『名の代』と三つに区分した。今の言葉になおせば『氏族制の時代』『律令制の時代』『幕府制の時代』ということになろう。このように政治形態の変化に基づいて歴史を区分し、その変化の理由を記しても、これに是非善悪の判断を加えないという歴史記述の方法をとったのは、おそらく東アジアに於て、彼だけであろう」

氏は、「この『大勢三転考』の基準で記しつつ『日本文化』の特性」について、書き進めていくのである。

<女帝、幕府、節、紋章、中国が尺度だった時代にも独創性は生きていた>

山本七平氏の著作は、いずれも骨太で、しっかりしている。だから、読みこなすためには、エリをただし、それ相応の覚悟をもって臨まなければいけない。ましてや、今回の本は、伊達千広だの『大勢三転考』だの、と耳慣れない人物や書物が登場するうえ、骨・職・名といった聞いたこともない言葉が並んでいるときては、よけいそうである……と、ひとまず私は考えた。

あにはからんや、『日本人とは何か。』は読みやすいのである。

同書はもともと、山本氏が外国人ビジネスマンに対する講義や、外国の日本学者との討議、外国人の友人との討論をもとにして書かれているから読みやすいに違いない。

話は、常にこんな語りかけるような調子で進められていくのだ――。

「この前、韓国の学者の講演を聞いたのですが、日本人のやったことはすべて韓国の模倣で全く独創性がないと言われ、少々、頭に来ましたな。質問の時間はあったのですが、さて何と反論してよいやら……」

といったのは、大変独創的な世界的おもちゃメーカーさんのTさんだから面白い。

「ははあ、そうですか。昔の日本人は、中国の通りにやっていない、と韓国人から批判されたんですが……。中国が文明の尺度であった時代は、これが当然なんでしょう。この点で韓国人は優等生、日本人は劣等生というよりむしろ聴講生で、正規のカリキュラムをまじめに学んでなかったのですが」

「すると中国から模倣しなかったものがあったんですか」

「そうですなあ。科挙(かきょ)、宦官(かんがん)、族外婚、一夫多妻、姓、冊封(さくほう)、天命という思想とそれに基づく易姓革命、さらにそして少し後代なら纏足(てんそく)がなく、日本だけにあるのがかな、女帝(女王)、幕府、武士、紋章ですかな。(略)」

全編、章ごとに、このような会話の枕が振ってあって、本題にはいる仕掛けになっている。だから気張らずとも、思わず知らず魅惑的な〝山本日本学〟の世界に引きずり込まれていくのである。

<有史以来ずっと「聴講生」の立場でいたことが、日本文化のキーワードだ>

さて、ここで注目しなければいけないのは、右の引用にある「(中国文明に対して)韓国人は優等生、日本人は劣等生というより聴講生」という言葉だ。じつは、この〝日本人聴講生〟説こそ、『日本人とは何か。』のキーワードなのである。

日本は有史以来、大陸文化を採用しながら、それを薬籠中の物として、みごとに、近代化を成し遂げた。そこに、日本の文化の特徴をみることができる。そのような器用なことが、なぜ可能であったかといえば、日本は模範とする国の優等生としてではなく、聴講生の立場を一貫して保ってきたことに、その秘密があると山本氏は考えるのだ。

たとえば、日本人は中国から漢字を導入しながら、かなを創造した。

「日本文化とは何か。それは一言でいえば『かな文化』であり、この創出がなければ日本は存在しなかった。さらに、近代化・工業化にも多大の困難を伴ったであろう。そしてその文学を創出していく期間、いわば『戦慄すべき万葉がな』の期間は、同時に律令制が出現へと向かっていく時期だったのである。日本人はまことに能率的に、文字と文学と中央集権的統一国家とを併行して形成していった」

つまり、日本は漢字に対して聴講生的立場に立つことによって、かなを創造したというのである。

仏教の導入にしても、同様であるという。「まず第一に、仏教は『鎮護国家』の宗教として正式に国家に採用されたが、やがてそれが貴族の宗教となり、さらに武士から民衆へと浸透して行ったこと。そして第二に、それは浸透とともに変質していき、日本独自の仏教となって行ったということ。ヨーロッパの仏教学者の中には、真宗は仏教でないとする人もあるという。それを言いすぎなら、日本人によって創出された独特の仏教の一派と言ってよいのであろう」

このほか、科挙抜きの律令制の導入にしても、ザビエル以来のキリスト教の布教に一定の距離を保ってきたのも、聴講生の立場を捨てなかったからだとみる。

今日、家電製品や自動車を中心に日本の製品は、世界中にあふれている。ところが、優れた製品を作る日本は、いったい、どういう国なのか。世界の人びとは、よくわからないという。日本は、経済力だけで〝顔のない国〟だというのが、定説化している。それだけに、私たち日本は、世界に向ってもっと「日本人とは何か」について説明をする必要がある。

その意味で、山本七平氏の『日本人とは何か。』は、まさに時宜を得た出版であるが、もちろん、これほど経済大国になった日本がこれまでと同じように聴講生の立場を続けていけるかどうか、また続けていっていいのかどうかは、これからの課題であろう。

山本七平『日本人とは何か。』PHP研究所
『IMPRESSION』(1989年11月号掲載)

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