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その特異な地位をめぐって 20世紀における平和運動を振りかえる――堤佳辰『ノーベル平和賞』河合出版
「北欧の一小国ノルウェーやスウェーデンが、超大国米ソや経済大国日本にも及ばぬ権威を保持し、行使し続けるのは、ノーベル賞という摩訶不思議なツールによってである。カーター、ニクソン、レーガン、ゴルバチョフ・ソ連大統領も候補に挙がった事実は、十二分に〝意識〟していたに違いない」
著者がそう述べているように、ノーベル平和賞は、いまや、それほど高い権威を持っている。
そのノーベル平和賞が1901年、ノーベルの命日から5周忌にはじめて授与されて以来、過去89年間の合計73人、16団体の受賞者の業績を紹介しているのが本書である。それはとりもなおさず、二度の世界大戦を経験した激動の20世紀における、平和運動を振りかえることにほかならない。
たとえば、平和賞受賞者の国別内訳をみると、いちばん多いのが米国の17人で、以下、英国およびフランス9人、スウェーデン5人、ドイツ4人の順だという。20世紀においては、平和運動の分野でも米国がリーダーシップをとった世紀であったことがわかる。
ただこのノーベル平和賞の軌跡をふりかえるとき、じつは、ノーベル賞のなかでも、平和賞は特異な地位を占めていることに気付くのだ。
「平和賞もしなかりせば、ノーベル賞の価値と意義は恐らく半減していたに違いない。しかし、大きく報道される割合には毀誉褒貶が最もはなはだしく、評価が揺れる」と、著者は記している。事実、故佐藤栄作元首相のノーベル平和賞は、わが国では好意的に論評されなかった。
考えてみれば、シオドア・ルーズベルト、キッシンジャー、サダト、マーチン・ルーサー・キングなどが受賞しているのに対して、なぜか、ナイチンゲール、ガンジー、ネルソン・マンデラなどは受賞していないのである。
なぜ、ノーベル平和賞に限って、そのように評価がブレるのだろうか。
「科学三賞と違って、平和賞は時代の荒波、政治社会の情勢の変化に大きく揺さぶられる。そのさ中にあって、〝我関せず〟ではなく、極力平和を維持し、戦乱を鎮静しようと願い、努力するならば、きれい事では済まされない」
したがって、平和賞受賞をめぐって、不公平が生じるのは止むを得ない、と著者はいう。
それから、平和賞の特徴として、いまひとつあげられるのは、平均年齢が高いことである。現在、64歳で、全ノーベル賞を通じて最も高い。
「この結果、平和賞に関する限り、ノーベル賞は過去の業績に対するいわば、〝勲章〟であり、受賞後の活動強化を期待する〝助成金〟ではないということになる」と、論じたうえで、「今のやり方では、ノーベル賞はすでに自力で岸にたどり着いた者に救命具を投げてやるようなものだ」という、皮肉屋のバーナード・ショウの言葉を紹介している。
むろん、平和運動は、著者のいうようにマラソンのようなもので、短距離では業績を評価するのは難しいだろう。したがって、受賞者は、必然的に高齢者にならざるを得ないだろうが、しかし、単に〝勲章〟に成り下がったのでは平和賞の値打ちが下がってしまうのはたしかである。
ノーベル平和賞ばかりか、20世紀の意味について考えるうえでも、参考になる書である。
堤佳辰著『ノーベル平和賞』河合出版
『週刊読書人』(1990年10月22日掲載)