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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

書評詳細0

かつての科学少年がいきいきと現代の知の限界をルポする――立花隆『サイエンス・ナウ』朝日新聞社

科学は難解である、という固定観念が文系人間にはある。ましてや、現代科学となると、いよいよ難しくなる感が強い。しかし、私たちの生活は、いまや最先端技術を抜きにして存在しない。その意味で、現代科学に無関心ではいられないが、科学技術の最前線では現在、いったい、 何が起こっているのか、そして進むのか。それを克明にルポしたのが、本書である。

「あとがき」によると、著者は少年時代、ラジオや望遠鏡を作ったり、植物採集をするなど、科学少年だった。「あのまま順調に進んでいたら大学は確実に理科系の学部を選び、研究者への道を歩んでいただろうと思う」と記している。ところが、弱い色弱のため、進学指導の教官によって、理科系にいくのをあきらめさせられたという。

なるほど、本書をはじめ『脳死』や『精神と物質』など、著者の一連の優れた科学物のルーツがわかる気がする。

今回の仕事も、「私にとって久しぶりに古巣にもどったような懐かしさを覚えさせると同時に、やりがいを感じさせるものだった」というだけに、たっぷり読み応えがある。

取り上げられているのは、宇宙電波、生命維持システム、蛋白工学、リニアモータカー、半導体、超電導、生命素材物質、核融合、高エネルギー物理学など、最先端分野ばかりである。著者自身が、最先端をいく研究所や実験現場などを訪ねて、その研究の現状と将来を紹介しているのだ。

<人間も魚と同じように、水中生活ができるようになる>

たとえば、著者は、設立されて間もない吹田市の蛋白工学研究所を訪れる。研究所のみならず、蛋白工学そのものがスタートしたばかりの学問だと、著者は次のように説明する。 「蛋白工学は、天然に存在していない新しい有用な蛋白質を人間が設計して自由に作り出すことを目指している。現在の技術では、まだそんなことはとてもできないが、いまのバイオ技術の進歩のスピードからすると、そう 遠くはない将来にそれが実現可能になりそうだ(略)」

この蛋白工学のいまの最大の研究テーマは、蛋白質の構造と機能の相関関係を明らかにすることにおかれている。なぜなら、どういうアミノ酸配列の蛋白質を作れば、どういう機能を持つようになるか、その原理を発見することができるからだ。その原理さえわかれば、人工蛋白質を作るのは簡単なのだ。

ただ、天然の蛋白質は、数万種が知られているが、そのうち肝心の立体構造が知られているものは、わずか300種程度に過ぎないから、まだ前途遼遠だともいう。

とはいえ、人工蛋白質が自由にできるようになれば、そのインパクトは、計り知れないものがある。たとえば、人工蛋白質によって、さまざまな機能を持った生体膜をつくることができる。

「それによってこれまで分離が難しかったガスや溶液の物質分離が簡単にできるようになる。いま地球温暖化の原因とされている炭酸ガスの温室効果ね、あんなものは炭酸ガスを分離できる膜ができれば問題解決です。オゾン層を破壊するフロンガスを分離する膜も作れるだろうし、 水に溶解している酸素を分離できる膜を作れば、人間も魚と同じように水中生活ができるようになる」という、蛋白工学所長の言葉を紹介している。

「だが」と、著者は疑問を投げかけることを忘れない。

「現にある天然蛋白質は、長い長い物質進化の過程で、自然がほとんど天文学的な試行錯誤の果てに作り上げた物質と考えられる。それに対して、人間が昨日今日得たばかりの浅薄な知識をもとに人工の蛋白質を作ってみたところで、天然のもの以上のものはとてもできないのではないだろうか」

著者は、ものを書くにあたって、「語り得るものは常に明快に語り得る。しかし、 語り得ないものについては沈黙を守らねばならない」というヴィットゲンシュタインの言葉を、座右銘にしているそうだ。

「大昔から人間を悩ましつづけていた根源的哲学的な問いの多くは、いまやその相当部分が、科学の領域の問いに移されつつある。科学がそのような問いに対してすでに答えを与えているということではない。そのような問 いの一つひとつについて、 どこまでが語り得る部分でどこからが語り得ない部分であるかの腑分けを最もよくするのが科学であり、語り得る部分の拡大に日夜努めているのが科学であるということだ」著者は、科学について、そう語るのである。

本書を読むと、著者がいうように、現代の先端的科学技術の進歩によって、人間の知の限界がどれほど拡大したかを知ると同時に、その知の領域の向こう側に広がる未知の世界がどれほど巨大なものであるかが、あらためて認識させられるのである。

立花隆著『サイエンス・ナウ』朝日新聞社
『IMPRESSION』(1991年5月号掲載)

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