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人間と動物の関係を見直す――八木寛『エンジニアの昆虫学』新潮社 ほか
人間は本来、孤独だといわれるが、一人では生きていけないのがまた人間である。家庭でも自分は自分、社会に出ても人は人といった気持ちは意識の上で進んでいるが、それでも一人で生きていける人は少ないだろう。
最近の文部省統計数理研究所の国民性調査によれば、「家族が一番大切」と答えた人がトップの42%に達したという。とりわけ、現代は他者と関わることを嫌いながら、他者と共生することを望む矛盾した社会である。他人意識や孤独感を強く持つ分、他人との一体感や孤独をまぎらわす行為を求める現象として、それはあらわれてくる。その証拠に、近年、ペットをコンパニオン(仲間)とかパートナーととらえる意識さえ出てきているのだ。今回は人間と動物、人間と生物、人間と自然の関係を見直す意味から動物の本を取り上げてみた。
八木寛『エンジニアの昆虫学』(新潮社、980円)は、昆虫の行動や生態を工学的な立場から実験、観察している。ある日、外国の文献を読んでいた著者は、トンボは複眼の上半分に光をあて、下半分に風景を写して飛ぶという記述を見つけ、「もしこの条件が満たされないときには、どんな飛び方をするのだろう」という疑問を持つ。さっそく、横から光が入る木製の箱を作って、なかでトンボを飛ばしてみる。すると、トンボはバタバタ翅を振りながら背に光を受けるように飛んだのだという。「自然界にはわれわれの気付かない仕組みがいろいろ組込まれているのだろうけれども、そのような異常な現象に直面しないので、知らないままに過ごすことになるのである」と語っている。好奇心を支えに粘り強い実験を行い、独自の視点を作り出しているところがおもしろい。
人間の性生活の基礎をなすと考えられる、動物の性生活について描いているのは、ヘルベルト・ヴェント『動物の性生活』(博品社、4800円)である。取り上げられているのは単細胞生物、水生動物、昆虫、鳥、哺乳類などだ。著者は、タツノオトシゴの交尾ほど魅惑的な光景はないといい、「美しい婚姻衣装をまとって、愛情に飢えた淑女はパートナーに近づき、彼の周りでダンスをし、尾で雄の体 に巻きつく。両者は頭を突き合わせ、恋をしている人間のカップルのようにびったり抱き合って水中を泳ぐ」と、ロマンティックに描き出してみせる。かと思えば、「女王のかたわらに王がいる。腹部をもち上げ、巨大レディーとほとんど同じぐらい動かない。ときたま王は、巨大な白い肉体の下に潜りこんで、巨大レディーと交尾をしようとする」と、シロアリのすさまじいまでの交尾の様子を生々しく伝えてみせる。衝動と本能にしばられた動物の性生活を容赦なく描いており、500ページをこえる書ながら、一気に読み進むことができる。
人間と動物との関係を捕鯨から考察しているのは、森田勝昭『鯨と捕鯨の文化史』(名古屋大学出版会、3914円)である。日本と欧米の鯨に対する見方や捕鯨の歴史の違いを追いながら、鯨と人間の関係を描き出している。1839年、越中富山木町浦吉岡屋廻船「長者丸」が嵐に流されて漂流し、アメリカ捕鯨船に救出される。漂流民は、捕鯨船での日常生活について詳細な観察をしており、仕留めた鯨の解体の様子も事細かに復元されている。「切はなし置候鯨の首は、切口を仰向候て、腦髄の處まで穴を明け、吊瓶をもつて脂肪を汲とり、鯨の大小により候へ共、大抵四斗樽に拾五六杯も有之候」などの正確な記述を拾いながら、「小さな穴から懸命に目を凝らして西洋を見つめる日本人像が浮かんでくる」と著者は結んでいる。人間と鯨の関係を通して、日本と西洋の文化の違いを記しているところがいかにも興味深い。
人間と生物との関係が出てきたところで、風変わりな関係を紹介しよう。「宿主と寄生虫の間には、ひとつの協調ができている」というのが亀谷了『寄生虫館物語』(ネスコ、1600円)だ。寄生すべき動物に寄生した寄生虫は、めったに害を及ぼすことはなく、ルールからはずれて寄生してしまったときだけ害をなす場合があるという。「寄生虫は、他の動物とはちがい、原則として他の生物を殺すこと などせずに、おのれの命をたもっているのである。そう考えるとたいへんおだやかな生き方をしていると、僕には解釈できるのである」と語っている。
最後にチンパンジー社会について書かれた本を二冊取り上げてみる。西田利貞『チンパンジーおもしろ観察記』(紀伊國屋書店、1980円)は、およそ30年にわたる野生チンパンジーの長期観察記録である。コロブスザルの狩猟のあと、樹上で肉食パーティを開いたり、毛皮をゆすぎ洗いしたり、踏み洗いするなどといった、新しい発見が写真入りで紹介されている。ジェーン・グドール『心の窓』(どうぶつ社、3090円)は、チンパンジー社会の断面をエピソードたっぷりに描き、抗争、求愛、母性愛、老い、死などチンパンジーの人生のひとこまひとこまに目を向けている。チンパンジーが人間といくつかの共通の心的特性を持っていることがわかる。
八木寛著『エンジニアの昆虫学』新潮社
ヘルベルト・ヴェント著『動物の性生活』博品社
森田勝昭著『鯨と捕鯨の文化史』名古屋大学出版会
亀谷了著『寄生虫館物語』ネスコ
西田利貞著『チンパンジーおもしろ観察記』紀伊國屋書店
ジェーン・グドール著『心の窓』どうぶつ社
『小説すばる』(1995年2月号掲載)