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技術革新の中核となった日本の進路――石井威望『ニューハード文明論「平成テクノ維新」が始まった!』PHP研究所
半導体、高品位テレビ、FSX、スーパーコンピューターなど、ハイテクをめぐる日米摩擦が激しさを増している。米国は、「日本は米国の基礎研究に依存し、カネになる民生用ばかりに力をいれている」と、日本を名指しで批判する。いわゆる〝技術タダ乗り論〟である。米国のテクノヘゲモニー(技術覇権)が相対的に低下しているなかで、日本への風当たりは今後、強まることはあっても弱まることは考えられない。
現に、日本国内からも、〝技術タダ乗り〟に対する反省が出ている。
しかし、果たして本当にそうだろうか……、と疑問を呈しているのが本書である。
「こうした論調の多くは、自国の繁栄のみに目が行きがちで、日本が世界に対していかなる役割を果たしていくべきか、という視点にまだまだ欠けている」
著者の石井威望氏は、そう苦言を呈する。むしろ、いま、われわれがなすべきことは、「人類全体にとってのメリットが我々自身のメリットと一致する。そのために日本は、これこれの分野でこういう努力をしている」と世界の国々を説得することだというのだ。
従来、世界を動かすような技術革新は、常に西欧社会を中心に起こった。産業革命、石油時代の到来、原子力の発見……。しかし、いま、技術の世界地図は塗り替えられ、日本が技術革新の中核的存在となりはじめた。
日本の技術革新のキーとなるのが、本書タイトルにもなっている、〝ニューハード〟である。ニューハードとは、ソフトとハードがフュージョン(融合)したもので、氏の造語だ。たとえば、インテリジェンスの高いロボットとか、東芝ココム事件で騒がれたNC工作機械などがそうである。
昭和の終わりから平成に至るこの数年間、「さりげなくすごい」変化が起こっていると石井威望氏はいう。さらにこの変化を、氏は〝平成テクノ維新〟と名付けている。その原動力となっているのが、ニューハード。このニューハードは、いまや新しいテクノ文明を築きあげる力を備えているといっても過言ではないというのだ。
氏によると、従来、日本人の技術観は、「木を買わずに山を買え」という宮大工の言い伝えに象徴されてきた。つまり、あちこちの山から木を買うのではなく、一つの山を全部手にいれる。天然の不揃いの材料がどういうクセをもち、どういう素性であるかを腕利きの棟梁がたった一人で把握し、工夫を凝らしながら、うまく組み合わせて、絶妙にバランスのとれた建て物を完成させる。もちろん、棟梁の采配には、膨大な情報量を必要とする。つまり、お宮を一つ建てるまでの情報と処理方法とは、すべての棟梁の頭の中に納まっている。西欧型技術は、部品の相互交換可能性を前提に成り立っているから、きちんとそろった企画部品から製品にするまでを、マニュアル化することが可能だ。宮大工仕事は、コンピューターに代行させることはおろか、マニュアル化することなどできない。
ところが、近年、コンピューターに使うLSIのメモリーが急速にふえ、情報処理のパワーが人類史上、かつてないほど高まりつつある。その結果、超高性能のニューハードが生まれ、「宮大工の棟梁のノウハウがすっぽり電子化されることさえ、そう遠いことではない」と石井氏は断言している。
だが、氏はニューハード文明を担う日本の技術力を手放しで礼賛しているわけではない。
「ニューハード時代に技術が活力を持ち得るかどうかは、技術の理論体系をしっかりと持つか否かにかかっている。日本人は物事を緻密に理論だてて体系化することがあまり得意ではない。(略)この欠如こそ今後、おおいに憂慮されるべきことである」
しっかりした思想や哲学、使命感を持たない日本が、ニューハードを利用して、これまでと同じように経済利益のみを追求することの危険性を指摘しているのである。
石井威望著『ニューハード文明論「平成テクノ維新が始まった!』PHP研究所
『週刊文春』(1989年9月21日号掲載)