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繁栄日本が陥ったパラドックス――堀紘一『変われ日本人甦れ企業』講談社
<世界経済の常識を変える危険性>
ウォール街株暴落を受けて、87年11月には円高は135円を急速に割る過去最高値を記録した。しかし、そんな数字を聞かされても、多くのサラリーマンは、ピンとこないのではないだろうか。
その意味で、ボストン・コンサルティング・グループ日本担当副社長の堀紘一氏の著書『変われ日本人甦れ企業』(講談社刊)の中の次の言葉は示唆的である。
「1ドルが240円から140円になった。本来なら、強いほうが『少し手を抜くか』と考え、弱いほうが青くなってがんばらなくてはならないはずだが、実態は、強いはずの日本側が真っ青になって『大変だ、もっと努力しなくては』と、事務所の蛍光灯の電気代を節約したり、社内通信には外から送られてきた封筒を使おう、給与もあまり上げられないとケチケチ運動をやっている。つまり、これまで以上に倹しくこれまで以上にがんばれという話になっているのである。なにやら変ではないか」
過去の歴史を振り返ってみても、自国の通貨が弱くなって、つまり切り下げられて国民が窮乏した例はいくらでもあるが、自国通貨が強くなって国民が不幸になった例はない。が、いまの日本がこのまま経営をつづけていくならば、この世界経済の常識もくつがえす可能性さえあるというのだ。
残念ながら、そのことに気づいている日本人があまりにも少ないと、私も思う。
堀氏は、同著の中で、非常に興味深い日米サラリーマン比較を行っている。こんな具合だ。「輸出担当の課長同士で比較してみよう。大卒、42歳、経験年数20年ということでみると、日本側は年収がざっと1000万円。アメリカ側は、こうした地位だと2000万円にはなる。2倍の違いだ。日本の課長は、正月と夏に各1週間ずつ休みがとれればよいほうだが、先方は冬に2週間、夏に3週間もの休暇をとる。こうして勤務時間は、わが方、年間3000時間弱、先方、1600時間となり、実質賃金、つまり勤務時間当たりの収入は4倍近い差になっている。個人の所得税もアメリカ側のほうが有利だから、実際の手取りベースでは、差はさらに大きい」
<広がる日米環境格差>
現実に、海外取材の際に見聞するアメリカのビジネス環境は、まるで日本のそれとは違っている。スチール家具の並ぶ窮屈なオフィスで、ペーパーにあふれたデスクに向かう日本人のサラリーマンの姿に比べ、欧米のビジネスマン達は、すこぶる快適なオフィスライフを送っていると、私はいつも取材しながら痛感する。
部課長クラスともなれば、20畳ほどの豪華な個室があてがわれ、たいていの場合、美人秘書がいる。むろん出張は、ファースト・クラス。宿泊は、都心の一流ホテルだ。
「考えてみれば、わが方がぜいたくなのは、銀座の飲み代くらいなものである」
と、サラリーマン経験をもつ堀氏が嘆くのも、もっともである。
こうした通常は目に見えにくい差まで考えると、日米のサラリーマンの実質待遇の差は開くばかりである。
では、どうすればよいのだろうか。
経済の高度情報化、ソフト・サービス化、グローバル化に加え、新興工業国の追い込みなどもあって、わが国の産業は今後、付加価値の高い分野に進出しなければならない。バイオや新素材、人工知能などのハイテク分野に積極的に取り組んでいく必要がある。
その場合、改良技術と大量生産を基本に据えた日本式経営を変えざるを得ないのである。
日本経済の発展を支えてきたのは、たしかに、日本式経営であった。敗戦後の焼け跡から立ち上がった日本経済が1950年代戦後復興を果たし、60年代の高度成長期を経て、70年代に2度のオイルショックを切り抜け、80年代の今日、世界に冠たる経済大国にのし上がったのも、日本式経営を抜きにしては考えられない。経済の停滞に悩む欧米先進国は、この日本的経営方式に注目し、学ぼうとさえした。
なるほど、日本式経営の2大柱である年功序列賃金と終身雇用制は、従業員の会社への帰属意識と愛社精神を高めるのに有効であった。稟議によるボトムアップ型の意思決定のやり方も、従業員の連帯感を強めるとともに、全社的な意思統一と団結の強化に役立った。
<もはや日本式経営では発展はない。>
しかし、問題は日本式経営のもとでは、創造的な技術革新はなかなか生まれにくいということである。たとえば、日本式経営は、従業員に対して同質性を厳しく要求する結果、異分子を排除する閉鎖性を生みやすい。ひどい場合には、共同責任主義が大勢順応と付和雷同を常態化させ、無責任主義を助長させる。こうした同質志向は、大量生産に適していても、創造的な技術開発にはマイナスになるおそれがあるのだ。
サラリーマンの立場からいっても、日本式経営は個人の尊厳を損なうのである。「これは会社の方針である」といわれれば、サラリーマンたるもの、有無をいわず従わなければならない、社長が「右向け!」といったら、全員が右を向かなければならないのが、日本のサラリーマンの世界である。
このような、日本式経営はもはや、今日の経営環境の変化の中で通用しなくなっている。サラリーマンの世界でも、ガンバリズムを刺激するだけでは、従来のようにサラリーマンを馬車馬のごとく働かせることはできなくなっている。終身雇用制や年功序列賃金が音をたてて崩れているときに、いかに社員に働く意欲をもたせ、社内を活性化するか、どの企業も頭を痛めているのが現実の姿である。
早い話が、これまでの日本企業の繁栄は、サラリーマンの犠牲の上に築かれているといっても過言ではない。堀氏も指摘するように、「企業は富み、個人は貧しい」状態から脱却しないかぎり、21世紀に向けて日本企業の繁栄はないと私は思う。
堀紘一著『変われ日本人甦れ企業』講談社
『IMPRESSION』(1987年5月号掲載)