日本の「あらためての近代化」を説く出色の９０年代論だ――佐和隆光『「大国」日本の条件』日本経済新聞社

せんだって、興味深い数字を聞いた。

よく知られているように、日本の株の時価総額は現在、およそ６００兆円にのぼる。これを指数１００とすると、アメリカのそれは７９、英国２１、西独７・５、フランス６・９、スイス４・３、スペイン２・３となる。そして、世界全体を合計すると、２４８になるという。

つまり、日本は、世界の時価総額の五分の二を占めているわけである。

「時価総額は、水ぶくれのように大きくなるとはいえ、これはなまじの数字ではないですわな」話をしてくれたある大手生保会社の幹部は、そういった。

日本は、このような経済大国にいつからなったのだろうか。著者の佐和隆光氏は、本書の冒頭で、次のように述べている。

「日本が自他ともに認める『経済大国』になったのは、一九八五年九月の先進五カ国蔵相会議以降、急激な円高が進行してのちのことである。二年のちの八七年九月には、円にたいするドル価値はほぼ半値にまで落ち込み、その分、ドルで測った日本のＧＮＰ、金融資産などは一挙に二倍増となった」

しかし、しばしば指摘されることだが、わたしたち国民には、経済大国といわれてもピンとこず、いまひとつ豊かさの実感がない。これは、どういうことだろうか。「経済大国日本が『大国』としての条件を欠いているから」というのが、著者の意見である。それが、タイトルをみればわかるように、本書のテーマでもある。「経済大国であることは、むろん『大国』の備えるべき必要条件のひとつではある。とはいえ、日本が本当の『大国』となるのには、政治、文化、科学等々の多方面においてもまた『一流』としての地歩を固めねばなるまい」

それを固めるのが、いわば、９０年代の日本の課題であるというのだ。

＜現在は、６０年代安保、石油危機に続く戦後３度目の転換期だ＞

著者は、９０年代を語るにあたって、〝振り子の理論〟を応用している。

「一言でいうと、九〇年代の時代文脈は、八〇年代のそれとは、まったく対極的な様相を呈するものと予想される。そのこと自体、べつだん意外でも不思議でもなんでもない。六〇年代は五〇年代と、七〇年代は六〇年代と、（略）まったく対照的な十年だったのだから」

たとえば、平均的な９０年代論の展望によると、今後、政治の保守化と経済のソフト化がより一層進み、経済大国日本は世界のモデルになるだろう……という。ところが、これは８０年代の延長から論じた説にしか過ぎない。世の中は、いま、もっと大きく転換しているという。

「八八年七月リクルート疑惑が発覚し、八九年一月に昭和天皇が逝去されて以来、なにかが大きく変わりつつあるとの実感が、ひろく蔓延するようになった」

この実感は、事実、正鵠を射抜いている、と著者はみるのだ。

これは、私も同感である。私事にわたるが、一昨年、８０年代論を書くというので、少しばかり詳細な目次を用意したことがある。ところが、リクルート疑惑、昭和天皇大葬、元号の平成への変化など劇的変化が続くなかで、まるで歴史が一瞬にして回転をしたかのように、その目次が役に立たないほど古くなってしまい、あらためて組み直す必要にせまられた。

著者のいうように、わたしたちはいまちょうど６０年安保、７３年の石油危機についで、戦後３度目の転換期にさしかかろうとしているのである。

では、その３度目の転換期を経て、９０年代の日本はどちらに向かって進むべきなのか。

著者は、その針路をめぐって、以下のように幾つかの点を指摘している。

①欧米並みの二大政党時代が望ましい②経済効率主義からの脱却③〝大きな政府〟ではなく〝かしこい政府〟の確立④求められる理念の構築⑤ヤマトイスト(新日本主義者)的発言は慎む――。

著者はいう。

「もし日本が、いまなお名実ともに小国でありつづけていたとするならば、日本の貿易慣行や国内の規則が『不公平』となじられることは決してあるまい。こうまでも対日批判が渦巻くのは、日本が経済大国になったことに起因する。今日ある国際社会のルールが、たとえ欧米社会の倫理と論理に偏したものであるにせよ、その一員としての日本は、規定のルールにすすんで従わねばなるまい。一朝一夕に国際社会のルールを『日本的』なものにおきかえるのは、まずもって不可能といわざるをえないからである」

要するに、いま日本に求められるのは、ズバリ表現するならば、政治、経済、文化、科学などの分野で一流になるため、「あらためての近代化」を図ることだというのだ。著者は〝日本特殊論〟に立脚するのでなく、世界に通用する普遍性追及の立場にある。数多く出ている９０年代論のなかでは、もっとも読み応えのある１冊である。

佐和隆光『「大国」日本の条件』日本経済新聞社
『IMPRESSION』（１９９０年３月号掲載）