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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

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現代の‶死”について考える――保阪正康『安楽死と尊厳死』講談社現代新書 ほか

現代ほど「生」と「死」が曖昧になっている時代はないだろう。

脳死、臓器移植、試験管ベビー、精子バンク、代理母などにみられるように、ハイテクを駆使した医療技術および生殖技術の進歩が、生と死を限りなく曖昧なものにしたのだ。脳の機能は失われているが、心臓だけは動いているという脳死状態が作りだされるいっぽう、免疫抑制剤など新薬の開発が進み臓器移植の技術も着実に進歩する中で、われわれは何をもって人の死と認識するかという途方もない根本的な問題を突き付けられるようになった。

つまり、一つの生命が誕生し、死を迎えるという自然の流れを、われわれは当たり前のこととして受け入れることができなくなったのだ。だとすれば、われわれは、どのように死ぬのか、あるいは死を迎えるべきかということを、あらためて真剣に考えなければならない。

保阪正康著『安楽死と尊厳死』(講談社現代新書、600円)は、わが国の医療の現実、高齢化社会の未来像、欧米と日本の死生観の相違、脳死・臓器移植の問題点について要領よくまとめられており、現代ニッポンの死をめぐる事情がよくわかる。肺ガンに罹った著者の父親は、「私の病いはもう治らないと思う。そこでお願いがある。もう治療はしなくていいといってほしい」と、病床で懇願したという。

しかし、著者は、その父親の言葉を主治医に伝えなかった。「私は、尊厳死や安楽死を考えるときに、いつも父とのあのときのやりとりを考える。そして、私は私の態度は果たしてよかったのか悪かったのか、と考える。正直に告白すれば、私は結論がだせないのだ」と記している。

実際、病院での終末期治療をめぐって、どこまで行われるべきかについての社会的コンセンサスはまだない。山崎章郎監修・訳『安らかに死ぬということ』(講談社、1600円)には、「もし、あなたが病気や事故などで死に瀕し、その状態からの回復が医学的にみて不可能である場合、あなたがその死を少しでも安らかなものにしたいと望むなら、本書は必読の書となるであろう」と訳者のまえがきにあるように、〝リビング・ウイル(尊厳死の宣言書)〟や 医療に関する永続的代理委任状、の書き方など、安らかな死を迎える準備の仕方が具体的に書かれている。それから、尊厳死の先進国ともいうべき米国のホスピスの現状や疼痛コントロールの問題点などについても触れられている。

死の現状を知るにつれて、医療技術がハイテク化する以前の時代、人々はどのように死を迎えていたのだろうかと知りたくなれば、立川昭二著『臨死のまなざし』(新潮社、1400円)がいい。文学者の病気と死をとおして、そのことが描かれている。漱石、鷗外、啄木、賢治、茂吉など、明治、大正、昭和の文人たちの作品を引用しながら、彼らの死のあり方を論じているのだ。たとえば、漱石は顔に霧を吹きかけてくれた看護婦に向かって「ありがたい」という言葉を発し、竹久夢二は夜通し枕元につめていた医師、看護婦たちに向かって「ありがとう」といって、それぞれ死についたという。軍医だった鷗外は、萎縮腎にかかりながら、たとえ一年早く死んでも仕事を続けたい、何もしないよりそのほうがいい、といって医療を拒否した。「森鷗外は、測れる医療よりも測れない『人生の質』のほうを毅 然として選んだのである」と著者はいう。

また、上田三四二著『死に望む態度』(春秋社、1800円)は、医者であり、歌人であり、小説家でもある著者がガンのため、65歳で亡くなるまでの心境を綴っている。それは、巻末の加賀乙彦氏の解説にあるように「静謐と諦念の世界」で、読む者の心を落ち着かせてくれる。

日本人は、そもそも死をどのように考えてきたのだろうか。日本人の根源にある死生観について、思想的に解明したのが山折哲雄、吉本隆明、河合隼雄、押田成人著『思想としての死の準備』(三輪書店、2060円)である。山折氏が吉本氏ら3人を相手に「死の概念の変遷」「魂のケア」「現代文明のなかの生と死」というテーマで語りあっている。山折氏自身は、「断食のはてに枯れ木のようになって死ぬことができれば、それが最高だと思っている」が、心配なのは最後の段階で点滴の処置をほどこされることだ、とやはり終末期医療に疑問を呈しているのだ。

このように死がどこまでもコントロールされる現代社会を、死体をとおして眺めているのが著名な解剖学者の養老孟司著『脳に映る現代』(毎日新聞社、1500円)である。現代において、なぜ死が忌避されるのかといえば、死は現代人に残された数少ない予測と制御ができない状態であるからだ、と著者はいう。しかし、その死さえもハイテク技術によって、いまや積極的に予測と制御が行われようとしているわけだ。集中治療室に運ばれ、口から鼻から管を通され、一刻でも延命を図るとする医療の現状において、フリーセックスならぬ〝フリーデス〟の時代がやってくるのだろうかと考えさせられるのである。

 

保阪正康著『安楽死と尊厳死』講談社現代新書
山崎章郎監修・訳『安らかに死ぬということ』講談社
立川昭二著『臨死のまなざし』新潮社
上田三四二著『死に望む態度』春秋社
山折哲雄、吉本隆明、河合隼雄、押田成人著『思想としての死の準備』三輪書店
養老孟司著『脳に映る現代』毎日新聞社
『小説すばる』(1993年10月号掲載)

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