書評詳細0
いかにして天才が生まれたか 九人の生涯に学ぶ――木原武一『天才勉強術』新潮選書
教育論としてではなく、少しはずして経営論として読んでみた。右肩上がりの経済成長が終焉した今日、日本は大量生産型のモノづくりを卒業し、独創的商品をつくっていかなければいけないといわれている。しかし、考えてみると、大量生産システムを支えてきたのは集団主義、あるいは画一主義である。いわんや、教育においても、画一的教育が行われてきた。ここへきて、にわかに独創的研究・開発が必要だといわれても、戸惑いを隠せない。独創的発想や独創的考え方を異端として排除してきたからである。その意味で、九人の天才の生涯をユニークな視点からとらえた本書は、きわめて示唆に富んでいるといえる。
たとえば、「日本人は模倣の能力にはすぐれているものの、創造力に乏しい、とよく言われるが、こういう安易な用語法には気をつけたいものである」と、著者は指摘する。そもそも創造力とはなにか。モーツァルトは天才的な作曲家として知られているが、彼の作品『レクイエム』はミヒャエル・ハイドンからの「借用」あるいは「模倣」だという。じつは、彼の作品は、多くの人からアイデアを借用して作曲されているが、「まなぶ、とは、まねぶ、である。まねぶとは、真似をするということである」と著者は論ずる。ピアノやバレエの稽古では、生徒は先生の一挙手一投足をまねることから始めるし、お習字でも手本をまねながら、だんだんと上達していく。モーツァルトもハイドンのまねをしながら、次第に独自の作品を作り上げていったということだろうか。
モーツァルトだけではなく、ピカソもまねの天才であったという。彼の作品のほとんどに剽窃の影をみることができるそうだ。だが、これはモーツァルトにも共通することだが、その作品は完全に独自の表現へと昇華されているのだ。創造的作品は、何も突飛な発想からではなく、既存の作品の延長線上から生まれてくることがわかり、何となく安心した気持ちにさせられるではないか。
ただし、天才というのは、側にいると、じつに厄介な存在であることを知っておかなければならない。ナポレオンは自尊心の強い野心家だったし、チャーチルは意地っぱりで挑戦的で反抗的だったし、ダーウィンにいたっては小学校の校長から「のらくら」というあだ名をつけられていたほどの味噌っかすであった。
創造的商品の開発を目ざす以上、これからの企業はそうした強烈な磁力を発する天才的人材を発見し、組織内に取り込む必要があるが、集団主義をモットーとしてきた日本の企業にとって、それは非常にむずかしい問題だろう。たとえば、ダーウィンのような人物は日本の企業の社会で受け入れられるかどうかといえば、はなはだ疑問だといわざるを得ない。彼は、幼少時代から貝殻、石ころ、貨幣など何でも集め、ケンブリッジ大学在学中もカブトムシのコレクションを続けていた。著者によると、集めるということはそもそも観察することであるというが、彼はコレクションの趣味がこうじて、ついに進化論を生み出した。日本の企業は、ダーウィンのような石ころを集める人間を受け入れることができるのだろうか。ダーウィンは、「なんでも言うことをきいてくれる親を持って、好きなことを仕放題の子供のようなもの、と言ってもいいかもしれない」と著者はいうが、この場合、「親」を「企業」に置き換えて考えてみてはどうだろうか。果たして、日本の企業がそれだけの度量を持ち合わせているだろうか。
富士通を国内最大のコンピュータメーカーに躍進させた天才的技術者の故・池田敏雄氏は、たいてい夕方に出勤し、アイデアを思いつくと寝食を忘れて働いたが、会社側は池田氏の遅刻欠勤について特別扱いにしたという。日本企業が今後、独創的商品を開発するためには、このような天才的人物を容認する環境と余裕をどれだけ持ち合わせているかということだろう。本書に描かれている天才たちの生きざまに、創造力を保証する土壌づくりの秘密の一端が隠されているように思われてならない。
木原武一著『天才の勉強術』新潮選書
『中央公論』(1994年11月号掲載)