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日本の戦後社会の成熟と喪失――小田光雄『<郊外>の誕生と死』青弓社
消費社会は今日、厳しくその存在が問われている。私たちが戦後、欧米社会をキャッチアップするため、懸命に働き続け、築き上げたのが限りない欲望を満足させる消費社会である。だが、生産を第一とする効率至上主義が行き詰まり、地球環境問題が浮上するなかで、脱消費社会への移行が模索されている。いってみれば、こうした、日本の戦後社会の成熟と喪失を「〈郊外〉の誕生と死」をテーマに論じているのが本書だ。
「成熟とは、豊かな消費社会の獲得であり、喪失とは農業を基盤として成立していた風景の消滅、あるいはそれに象徴されるもののすべてである。そうして私たちはまぎれもなくその風景のなかから現在の消費社会へとやってきたのだ」
断るまでもなく、戦後の郊外は、団地の形成から始まる。つまり、高度経済成長は、農村から大都会への人口流入をもたらし、大都市周辺での大規模な住宅開発を進行させる。戦前、郊外が私鉄による沿線開発によって出現し、新興ブルジョワジーの住宅地として発展したのに比べ、戦後の郊外は地方からの人口流入の受け皿として膨脹してきた。戦後の郊外は、日本人の新しいライフスタイルを生み、所得が増え、余暇時間が増大するとともに、郊外消費社会を形成する。その象徴として、70年代におけるファーストフードやファミリーレストランのロードサイドビジネスが語られている。
「『道路沿い』の『同じような風景』、『これほど均一』な『日本各地の風景』こそは、郊外社会の成立とともに、郊外にやってきたロードサイドビジネスによって誕生した消費社会の風景であり、自動車に乗った郊外の消費者たちによって発見された郊外の消費地帯なのである」
80年代における郊外の膨脹と軌を一にして、ロードサイドビジネスも急速に増殖するが、90年代に入って、バブルが崩壊するとともに、ロードサイドビジネスは完全な成熟市場となり、曲がり角を迎えるなど、バブル経済の崩壊と長引く不況のなかで不振が続く。著者は、不振と凋落の理由について、「ロードサイドビジネスの誕生とともに膨張してきた郊外がその成長を停止したことにある」という。実際、郊外の象徴ともいうべき多摩ニュータウンでは、子供の数が減少し、いまや小学校の統合が進んでいる。いや、そればかりか、郊外型生活そのものの脆弱さ、生の希薄さを〝郊外文学〟の誕生と系譜のなかで追跡している。たとえば、「このままでいれば破滅するし、このままでいなければ破滅するという不安をどうすることもできないのが、この世界の人々だ」という島田雅彦の言葉を引用しながら、郊外空間の実存を論じているのだ。
「このところ、郊外論が流行しているが、そのなかでも、戦後社会論としての骨格を持ち、著者の力量を十分に感じさせる刺激的な一冊といえる。
小田光雄著『<郊外>の誕生と死』
『週刊読書人』(1997年12月5日掲載)