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混乱の中、頭取たちの揺らぎ――藤井良広『頭取たちの決断』日本経済新聞社
金融ビッグバンと深刻な金融危機の中での日本興業銀行、第一勧業銀行、富士銀行の三行統合や、住友銀行とさくら銀行の合併に象徴される金融再編のうねりは、必然的に産業再編をもたらし、日本経済の構造改革を促すことは間違いない。大蔵省主導の護送船団方式のもと、自らの意思決定を放棄してきた頭取たちが、未曾有の危機を前にして、いかに再編へ踏み込んだのか。組織の存亡を賭けた決断のドラマが描かれている。
しばしば指摘されるように、本書に登場する決断する頭取たちは、いずれも高度成長期を支えてきた人材である。つまり、彼らは、銀行員が床柱を背負った〝良き時代〟に育った。あえていえば、金融システム不全の責任の一端を負うべき、オールド世代で、その彼らに再編のドラマの主役を託さなければいけなかったところに、今日の金融改革の限界が存在する。たとえば、拓銀の破綻を語った章のなかで、「結局、みんな平時の人だったのではないか」という拓銀OBの言葉が紹介されている。それは、何も拓銀に限ったことではない。「突き放した言い方をすれば、当時の日本の金融界全体も、市場との本物の闘いの経験に乏しかった。足枷の不良債権を抱えながら、金融システム全体を戦場から帰還させる『戦時の人材』がそもそも育っていなかった」と、著者が記しているのは、正論であろう。
とはいえ、『頭取たちの決断』によって、とりあえず金融危機が回避されたことは確かである。しかしながら、その先の展望が示されてないのだ。その点で、気になる言葉を文中に見つけた。
興銀のドンである中山素平氏の発言である。興銀、勧銀、富士の三行統合には、新しいカルチャーを生み出す必要があるが、中山氏は、「企業文化を作る仕事の基本は、コンピューターの時代であろうが、デリバティブの時代であろうが、変わりはない。金融機関として相手の立場に立ってモノを考えることに変わりはない。顧客に対して『親身』になることだ」と、語ったという。実際、「顧客に対して『親身』」を抜きにして、何のための再編かといわざるを得ない。著者に「決断」後のウォッチングを期待したい。
藤井良広著『頭取たちの決断』日本経済新聞社
『週刊ポスト』(2000年5月5・12日号掲載)