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名経営者の陰に名番頭あり――P・Fドラッカー『マネジメント』(上・中・下、『ドラッカー名著集』13~15巻)ダイヤモンド社 ほか
「軍師・参謀」を経営の立場から考察するうえで、参考になるのはピーター・ドラッカーである。
ドラッカーは、著書『マネジメント(下)課題、責任、実践』において、「トップマネジメントの仕事には、少なくとも専任一人と、いくつかの分野でリーダー役をつとめる者一人か二人を必要とする」と述べている。経営はチームによる仕事としてとらえるべきだ、というのだ。
ドラッカーを繙くまでもなく、歴代の名経営者の陰には、必ずといっていいほど、名番頭、名脇役の存在がある。その筆頭は、自らトヨタの大番頭を名乗った、石田退三だろう。
退三は、豊田佐吉の薫陶を受けたのち、1950年、喜一郎のあとを継いで、トヨタ自動車工業社長に就任した。当時のトヨタは、「労働争議」で倒産の危機にあった。『自分の城は自分で守れ』は、大番頭としてトヨタの経営の立て直しという大仕事を全うした、退三の自伝である。
「私の信念は『ひとたび自分があずかった会社は、絶対に発展させなければならない』というものだ。その点が〝オミコシ経営〟にアグラをかくサラリーマン経営者とは、本質的に異なるような気がする」と、本書で語っている。
退三の歯に衣着せぬ直言は、本書を読み応えのあるものにしている。恨みごとを並べる経営者、サラリーマン根性まるだしの経営者、自主独立の精神に欠ける経営者を嘆かわしいと切り捨てる。辛辣なメッセージは、現代にも通じる教訓として読める。
昭和の名経営者を支えた番頭をもう一人あげるとすれば、松下幸之助の番頭役を務めた高橋荒太郎だろう。
荒太郎は、いかなるときも幸之助の前に出ず、つねに幸之助の理念を拠り所とし、幸之助が定めた基本方針に照らしあわせて、改革の是非を判断した。退三とは正反対である。
『わが師としての松下幸之助』の解説において、長年にわたって、幸之助の秘書を務めた江口克彦氏は、こう述べる。
「高橋荒太郎さんは、この補佐役に徹した。いついかなるときも松下幸之助の前に出ることはなかった。(中略)『松下幸之助』から素直に出発しながら、いつの間にか的確な指示も、見方によっては的外れの指示をも成功させるように導いていくのが常であった」
もっとも、退三や荒太郎のような大番頭の時代は終わったのかもしれない。ドラッカーは、企業が大きく複雑になると、「明示的に組織されたトップマネジメント・チームが必要になる」と語っている。その典型として、サムスンの〝秘書軍団〟をあげることができるだろう。
サムスン総帥の李健煕は、すべてを一人で意思決定しているわけではない。その役割を担うのは、参謀組織「秘書室(現・未来戦略室)」である。その影響力の大きさは、『サムスン経営を築いた男――李健煕伝』に詳しい。「サムスングループの秘書室は一夜にして作られた組織ではない。大企業の秘書室や軍隊などを参考にしながら、さらに李秉喆(創業者)の個人的な経営感を反映させた特殊な組織である」と、同書は解説する。
最後に、大前研一著『企業参謀』を取り上げる。
大前氏は、日本企業が「お神輿経営」から脱却するためには、戦略的思考をもったトップレベルの企業参謀グループが必要と説く。「組織の最高意思決定者のための真の戦略参謀」の存在こそ、企業の命運を決めるという。
大前氏が定義する「参謀五戒」は、ビジネスマンにとって参考になるだろう。たとえば、「参謀たるもの完全主義を捨てよ」「制約条件に制約されるな」など、ビジネスに役立つ考え方を学ぶことができる。
経営環境が複雑化、システム化するなかで、現代版の番頭や参謀の重要性は増す一方だ。優れた知恵を提供する、大前氏のいうところの「企業参謀」の活用こそは、日本企業の復活の一つの解であるように思われる。
P・Fドラッカー著『マネジメント』(上・中・下、『ドラッカー名著集』13~15巻)
ダイヤモンド社
石田退三著『自分の城は自分で守れ』講談社
高橋荒太郎著『わが師としての松下幸之助』PHP文庫Kindle版
洪夏祥著『サムスン経営を築いた男--李 健煕』日本経済新聞社
大前研一著『企業参謀』講談社文庫
『中央公論』(2014年1月号掲載)