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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

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‶食”の本を吟味する――宮本美智子・永沢まこと『イタリア・トスカーナの優雅な食卓』草思社 ほか

食べることは、そもそもヒトの基本的欲求であり、生死にかかわる行為である。つまり、「食」とは生きるための原点であり、生活におけるもっとも身近な行為である。飽食ニッポンなどといわれているが、今回は、「食」の本を吟味してみよう。

宮本美智子・永沢まこと『イタリア・トスカーナの優雅な食卓』(草思社、1800円)は、トスカーナの大自然の中での生活を「食」を中心に描いている。借り受けたヴィラの周囲は一面の田園風景で、野菜畑や葡萄畑が広がっている。朝はバジリコ、レタス、ルーコラ、ラディッキオなどを摘んでサラダを作り、大家さんから分けてもらった自家製オリーブ油をパンにつけて食べる。新鮮な野菜やチーズ、パスタなど食の描写がじつに巧妙で、思わず舌なめずりをしてしまう。「畑で採ったばかりのレタスやルーコラをレモンと自家製オリーブ油と自然塩でさっと和えただけのグリーンサラダ」「新鮮なズッキーニとトマトをたくさんのせたピッザとフェトゥチーネ」といった調子で、料理が紹介されている。読んでいるうちに、トスカーナでともに自然に満ちあふれた食生活を堪能しているような気持ちにさせられる。

嵐山光三郎『素人包丁記 ごはんの力』(講談社、1500円)は、文字通り「食」の実践編といえる。いますぐに台所に立って包丁を握りたくなる。著者の奇想天外な発想は、「焼きそばサンドがあるんだから焼き飯サンドがあったっていい」などといった具合に、常識では考えられないような料理を生み出していくのだ。たとえば、イカのマヨネーズあえ、飯つぶで作るキャビアなど、想像力を駆使した料理が並んでいる。味の方もまんざらではなさそうである「飯茶腕に4分の1ほどごはんを入れ、警油、洋芥子、マヨネーズであえて食パンにはさむと、これがまたうまいんですね」という。

〝料理本〟に飽きたなら、「食」の文化について考えるのも一興だろう。それには、辻静雄『料理に「究極」なし』(文藝春秋、1500円)が最適だろう。フランス料理の研究、普及に尽力したことで有名な故辻静雄氏は、料理を美味しく味わうためには、よい仲間がいて、健康で心配ごとがないこと、そして忙しいことをあげている。忙しくとも、食べるときだけはふっと我に返り、食べものに神経を集中する。この集中力が食物をおいしく味わわせてくれるからだという。「料理というのは、そういう会話の媒体だと思うのです。会話、つまり人間ですね。やっばり。そういう人と人との出会いをつなぐものが、料理なのです」と、「食」の哲学を語っている。また、「人間が自己の本能、つまり味覚に忠実に生きていく限り、ただの食べ物としての料理は、多様な時代の影響を受けながらも、その場限りの自己満足に徹していくしかない」と、今日の飽食ニッポンを鋭く批判している。

山本容朗編『清貧の食卓』(実業之日本社、1600円)は、文豪、作家、料理人たちの食のアンソロジーである。北大路魯山人の「お茶漬けの味」、 色川武大の「肉がなけりゃ」、向田邦子の「海菩巻の端っこ」、壇一雄の「大正コロッケ」など、その人となりの味が滲み出たエッセイが集められている。読んでいて、「食」に対する人それぞれの思い入れが心に響く。

「食」文化について考えるうち、人間にとって食べるということは、いかなる意味を持つのか。それは、単に生きるためなのか、あるいは何か特別の意味を持っているのか、という基本的疑問が湧いてくる。そうなると、「食」の根源的ルーツを知りたくなる。そのヒントを与えてくれるのは、動物の「食」の生態だろう。

中川尚史『サルの食卓―採食生態学入門』(平凡社、2800円)は、ニホンザルを中心としたフィールドワークをもとに、サルの採食生態を研究しながら、「食」にまつわる生態学を解き明かしている。たとえば、サルもヒトと同じように一日の採食にリズムがあるのかどうかを調べている。「彼らは朝空腹の状態で目覚めるので、起きてからすぐに採食を開始し、ある程度腹が満たされれば休息してその間に食物を消化し、それが済めばまた食べ始めるようだ」という。サルがいつ、何を、どのように食べているかを調査することによって、動物の行動がいかに「食」に左右されているかがわかる。食べることは動物が生きるために何よりも重要な条件であることをあらためて納得させられる。

それから、「食」のルーツを考えるうえで、どうしても避けて通ることができないのが、人間にとってタブーのカニバリズムだろう。ブライアン・マリナー、平石律子訳『カニバリズム 最後のタブー』(青弓社、2884円)は、まさに格好の書物だ。宗教祭祀としての人食い、必要に迫られた人食い、経済的理由からの人食い、快楽のための人食いなどをエピソードをまじえて紹介し、「食」に対するもう一つ別の見方があることを強烈に論じている。「もっとも、わたしはこれまでの人生でとことん空腹であったことも飢えたこともない。だから、もしそういった状況に陥ったとき、仲間を食べたいと思うかどうか、 本当は分からないのである」と、著者は語っている。

 

宮本美智子文、永沢まこと絵『イタリア・トスカーナの優雅な食卓』草思社
嵐山光三郎著『素人包丁記 ごはんの力』講談社
辻静雄著『料理に「究極」なし』文藝春秋
山本容朗編『清貧の食卓』実業之日本社
中川尚史著『サルの食卓―採食生態学入門』平凡社
ブライアン・マリナー著、平石律子訳『カニバリズム 最後のタブー』青弓社
『小説すばる』(1994年8月号掲載)

 

 

 

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