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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

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買収・合併による苛烈な企業競争――ナンシー・ミルマン『スーパーアドマン 国際広告界の帝王たち』ダイヤモンド社

欧米で吹き荒れるM&A(買収・合併)はいまや、わが国も無縁ではいられない。現に〝黒船来たる〟と大騒ぎになった、米国の企業買収家ピケンズ氏の小糸製作所の10%強の株取得事件は、まさしくわが国におけるM&A時代の到来を告げている。

しかし、欧米で定着しているM&Aが、わが国ではいまなお白眼視されているのもたしかだ。海の向こうの本場でも、ここにきてM&Aに対する反省が議論されている。実際、かねてからM&Aは産業空洞化を招くという批判があり、必ずしも全面的に受け入れられているわけではない。それというのも、欧米で旋風を呼んでいる昨今のM&Aは、いささか常軌を逸しているからだろう。

本書は、1985年から87年にかけてニューヨークのマディソン・アヴェニューを舞台に繰り広げられた、国際広告界のすさまじいばかりのM&Aの内幕を描いている。

テッド・ベーツ社は、取扱高31億ドル、従業員5000人を数える世界第3位の巨大な広告代理店だった。会社の売却価格は、収益の11倍から14倍が業界の相場だった。コンサルタントは、同社は5億ドルで売れると判断した。それ以来、最大の株主で、同社会長ロバート・ジャコビーの頭のなかは、クライアントへのサービスの質の向上より、テッド・ベーツを売って現金5億ドルを入手することでいっぱいだった。

86年5月8日、ついにロンドンのサーチ・アンド・サーチ社が、このテッド・ベーツ社を買収。サーチは、父親がイラク出身という非白人系のユダヤ人のチャールズ・サーチとモーリス兄弟によって設立され、サッチャー夫人をダウニング街十番地に送り込んだ選挙キャンペーンで名実ともに有名になり、以後、次々とM&Aを仕掛け、創立後わずか20年足らずで世界有数の広告会社にのしあがった会社である。あまりにも過激な行動のため、サーチ・アンド・サーチではなく、スナッチイット・アンド・スナッチイット(もぎ取れ、もぎ取れ)だといわれたほどだ。

サーチはこの合併によって、一躍世界一になった。買収額は5億700万ドルで、広告業界はじまって以来の最高額。ジャコビーはテッドの売却益1億1200万ドルを懐に入れ、全米一の金持ちのアドマンになった。「だがサーチ兄弟は世界制覇を焦るあまり、(略)クライアントが代理店をくら替えするという〝最悪の事態〟を想定もせず、ジャコビーの専横のために、ここ数年、経営ががたついていることにも気づかなかった」

著者の広告業ジャーナリストのナンシー・ミルマン女子は、そう批判的に述べる。

広告代理店には、クライアントは〝一業種一社〟という原則がある。ところが、合併は、傘下に競合するクライアントを抱えるケースを生む。企業の多角化、コングロマリット化に対して、広告代理店もコングロマリット化しなければならないというのが、広告業界のM&Aの大義名分だが、このような半強制的な呉越同舟を嫌って、当然、撤退するクライアントが出てくるのだ。

そればかりか、ドライな欧米のビジネス風土の中でさえ、まるで企業文化の違う二社の合併には、基本的に無理があるという。首切りが行われるほか、買収されたほうの社員の士気が落ちて融合がうまくいかないし、なによりも広告界に必要な創造性が失われる。ライバル3社を合併させ、オムニコングループを結成させたスーパーアドマンのラインハートの、次のような示唆に富んだ〝後悔の言葉〟を、著者は紹介している。

「だれかがいっていましたよね。本当に相互作用が働くのは、クロスワードパズルのなかだけだって」

しかし、ボーダーレス社会を迎えて、究極のビジネスといわれるM&Aの日本上陸は避けられない。その意味で、丹念に描かれた複雑な合併劇を読み進むのは業界通でない限り、やや退屈なところがあるものの、一読に値するだろう。

 ナンシー・ミルマン著、仙名紀訳『スーパーアドマン 国際広告界の帝王たち』ダイヤモンド社
『週刊文春』(1989年6月8日号掲載)

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