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日本人はなぜ応用特許しか生み出せないのか――守誠『特許の文明史』新潮選書
かねてから日本人および日本企業の知的所有権に対する甘さが指摘されている。記憶に新しいのは、昨年のディズニーのアニメーション映画『ライオン・キング』をめぐっての著作権に対する主張の違いだ。故手塚治虫氏の『ジャングル大帝』との類似性が話題になったが、当の手塚プロは「アニメ界の神様」ディズニーと似ているといわれるのは光栄だ」と、マネも歓迎とも受け取れかねない発言をした。逆に、日本企業が米国企業から特許法違反で訴えられたケースは、それこそ枚挙にいとまがないほどだ。そればかりか、日本には、もともと世界的な発明や基本特許がなく、あるのは応用特許ばかりだといわれている。かりに、そうだとしたら、日本人はなぜ、応用特許しか生み出せないのか、と私は以前から疑問に思っていた。
本書によると、世界初の特許制度が誕生したのはヴェネチア共和国で、1443年にアントニウス・マリエの動く製粉機に与えられたというが、本格的な特許の時代を迎えるには、ルネッサンスを経て産業革命の時代を待たなければいけない。事実、近代特許制度は、産業革命の発祥国である英国で1624年に誕生する。「独占大条令」がそれで、「第五条・ 第六条が、新しい発明および技術導入について特許を認めており、これが世界の法制史上、近代特許制度の基礎を成すものとみなされている」という。そして、産業革命の舞台の上で踊った発明家たちについて触れている。英国の産業革命の牽引者になった紡織機、あるいは資本主義的機械工場を生み出したワットの蒸気機関をめぐる特許紛争などについて、人間ドラマを織りまぜながら描いていて、 読む者をあきさせないのだ。
米国でも19世紀になって産業革命が 本格化するとともに、特許の時代を迎える。たとえば、南北戦争の勝負のカギを握ったのは鉄道とモールスの通信機だといわれているが、モールスもワット同様に特許の権益の確保に熱心で、富と名声をいかに独占したかが語られている。
翻って日本はどうか。1721年、徳川幕府は「新規御法度」という触れ書きを出した。「新技術をはぐくむ土壌は幕府によって完全に抑圧され、まったく発明への機運を醸成するような社会情勢にはなかった」という。1885年、高橋是清によって「専売特許条例」が制定される。この専売特許条例の公布後、出願件数は着実に伸びていくが、対象は靴、 足袋、扇子などの日用品が多かった。「日本人は実用新案に、外国人は特許に傾斜していった」という指摘からもわかるように、日本人と欧米人との間の研究・開発に対する姿勢の相違がすでにその時代からあらわれているのだ。
その理由について、欧米の技術依存型の体質、技術開発の民間企業の主導、集団主義教育などを著者はあげている。むろん、その通りであろうが、日本が産業革命の〝後発国〟であったことも要因に数えられるのではないだろうか。つまり、欧米をキャッチアップするのに忙しくて、世界に誇れるような魅力的な基本技術や基本特許を生み出すことができなかったのではないのか。それは、日本がハィテク大国といわれるようになった近年まで続いてきた。ハイテクの中のハイテクといわれるMPUの開発において、米国企業におくれをとったのも、そのためであろう。
21世紀を目前にして、日本は産業、技術、社会、国際関係などのあらゆる面において創造性を問われている。『特許の文明史』は、時宜を得た出版といえる。
守誠著『特許の文明史』新潮選書
『中央公論』(1995年3月号掲載)