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時間と格闘する人々の姿を浮き彫りに――マイケル・オマリー『時間と人間』――アメリカの時間の歴史 晶文社
時間には「直接的時間」と「円環的時間」の二つがある、と著者はいう。日没、季節の変化といった繰り返し訪れる円環的時間と、未来への技術的、工業的進歩を意味し、より正確で効率的な直線的時間である。19世紀の米国において、この直線的時間がいかに円環的時間を征服していったかが描かれている。サブタイトルにある「アメリカの時間の歴史」は、近代化への歴史そのものであり、近代化の歴史とは時間征服の歴史であるということが本書を読むとじつによく納得できるのだ。
1790年当時、ニュースがフィラデルフィアからニューヨークまで到達するまでに要した時間は5日、さらにボストンに届くまでには11日かかった。ところが、測量技術の発展によって道路や運河の建設が進み、時間距離は一気に短縮される。とりわけ、1840年代から1860年にかけて米国の鉄道の総マイル数は10倍以上に増加したという。こうなると、時間をめぐって不都合が生じてくる。鉄道が北から南へ走る場合は時差がないからよいものの、東から西へ走る場合は子午線が違うため、時差がきわだってくる。たとえば、面倒なことに、列車それぞれが標準時間をもっていたため、ピッツバーグにニューヨークの〝局地(地方)時〟で午後1時半に到着する乗客が同地をピッツバーグ時間の同時刻に出発する列車に乗り換えようとする場合、間に合うかどうかという問題が生じてきた。こうした矛盾を解消するため、統一された時間が求められたようになる。すなわち、円環的時間から直線的時間への移行である。近代化が進展するにつれて、要請されたのは時間の標準であったのだ。
米国では、標準時が〝鉄道時間〟として始まったという。測量士あがりで、「アメリカ・カナダの鉄道および蒸気船路線公式ガイド」(交通時刻表)の編集長であったウィリアム・アレンは、米国を4つの時間帯に分けることを提案する。彼は、「鉄道列車は国民に正確な時刻を教えたり維持したりするうえでの偉大な教育者であり勧告者である」と主張して説得運動を続ける。その結果、1883年に全国標準時がついに日の目を見る。だが、この鉄道時間に対して、反対運動が起こる。「鉄道がボストンのためにではなく、ボストンが鉄道のために、ひと肌ぬがなければならないのか?」とか、「グリニッチがわれわれにとって何だというのだ?むさくるしいロンドンの郊外ではないか」などと反対派は叫ぶ。結局、標準時は1883年から1915年の間に少なくとも15回、さまざまな州の最高裁で審理されたという。
さて、鉄道が育てた標準時は、直線的時間の導入を一気に進めたことになる。1880年代以前には、ほとんどの工場で守衛が従業員の出入り時間を手書きでノートに記録するだけだったのが、タイム・カード印字システムが登場する。労働の分野においても、時間は厳密に管理されるようになり、ムダな時間をなくすため効率という概念が登場する。科学的管理法の父といわれるフレドリック・W・テイラーは、工場にストップウォッチを持ち込み、「『無駄な』動作――頭をかくとか、ズボンをひっぱりあげるとか、あるいはおしゃべりをするとか――を、じぶんが生産的だと判断した動きとを分離し、これらの生産的な動作を組み合わせることによって、各労働者の仕事にたいする、正しい、科学的な『標準時間』を割り出した」のである。産業労働に対する科学的管理の誕生である。この場合も、労働者から猛烈な反対運動が起こる。「彼らがストップウォッチをもって、まるで競馬の馬とか自動車とかのように私を見張っているのに反対なんです」という労働者の言葉が紹介されている。時間をいかにコントロールし、効率的に使うかといった、現代のわれわれが思い悩んでいる問題が、早くもこの頃から発生していることがわかる。
本書を読むと、これまでの太陽時間に対して、標準時がいかに主役の座を占めていき、人々を縛っていたかがみごとに描写されている。あげくの果てに、著者が冒頭で述べるように、私たちはいまや、「時間飢餓の時代」を迎えている。つまり、「ひとつの仕事で時間が節約できても、その時間はほかの仕事によって埋められるようにおもわれる」という指摘は、現代人の誰もが痛感しているところである。近代化の過程において、私たちは生活のすべてを直線的時間の枠組みのなかにはめこんできたが、脱工業化社会を迎えようとしている今日、豊かさとはなにかを問うにあたり、この有限な資源である時間をいかに使うべきかは、避けては通れない課題であることを思い知らされる。
マイケル・オマリー著 高島平吾訳『時計と人間』――アメリカの時間の歴史 晶文社
『中央公論』(1994年10月号掲載)