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遺稿をめぐる人間ドラマ――佐藤金三郎『マルクス遺稿物語』岩波新書
「ソ連のペレストロイカは、5年たっても一向に成果があがらず、ペレストロイカ自体がいまや危機に瀕している。お隣の中国では、学生の民主化運動が天安門事件で、戦車と銃弾によって押しつぶされた。かと思えば、東欧改革の波は、燎原の火のごとくあっという間に東欧6カ国に波及した。このため、その社会主義の理論的バックボーンであるマルクス経済学やマルクス主義について、いま、あらためて有効性が問われている。
そんな折も折、「資本論」第二、三巻の草稿などマルクスの遺稿が波乱万丈の運命をつづった本書は、じつに興味深いものがある。マルクスの「資本論」といえば、社会主義者にとっては、いわば、聖典である。実際、1950年代から1960年代前半にかけて学生時代を過ごした者にとっては、「資本論」には格別の思いがあるはずだ。なにしろ、当時「資本論」を読んでいるというだけで、尊敬されたのだから。
ただ、その「資本論」も、第一巻は別にして第二、三巻はそもそもマルクスが遺した草稿をエンゲルスが解読し、編纂したものであり、しかも「エンゲルスは編集者として少々〝やり過ぎた〟のではあるまいか」と著者は考える。現に、カール・カウツキーも、マルクス=エンゲルス遺稿をニーベルンゲンの宝物にたとえて、「もしいまヒャルト・ワーグナーが生きていたら、彼はおそらくマルクス=エンゲルス遺稿の運命から、ニーベルンゲン物語と同じ一連のドラマをつくることができただろう」と述べているほど、マルクスの遺稿をめぐって複雑なドラマが存在するというのだ。
たとえば、エンゲルスは、マルクスが遺言を残さなかったにもかかわらず次のように書いた。「口頭の遺言によって、マルクスは彼の末娘エリナと私を彼の著作関係の遺言執行者literarisc-he Exekutorenに任命した」
マルクスには、ジェニー、ローラ、エリナの三人の娘がいた。末娘エリナに劣らず父マルクスを尊敬していた次女ローラは、エンゲルスの言葉が気にいらなかった。ローラは、エンゲルスに手紙で抗議をした。
「パパは娘たちを同じように非常に愛していました。もし元気だったら、お気に入りの長女だけを、ほかの娘たちを除外して、彼の著作関係のただひとりの遺言執行者にはしなかったでしょう。ましてや末娘をということはなかったでしょうに」
このローラの抗議を皮切りに、その後、遺稿をめぐってエンゲルス、マルクスの娘たち、カウツキー、ベルンシュタインなどの間で、恋、友情、猜疑、欲望の交差するドラマが展開していく。とりわけ、エンゲルスの死後、遺稿を守ろうとする人たちに悲劇的な運命が待ち受けている。
まず、三女のエリナは、形式的な結婚よりも互いの愛を信じ、入籍しないで結婚生活を続けたが、夫の裏切りから自殺。次女のローラも、フランスの社会主義運動に寄与できない身体に近づいたのを知って、夫婦で自殺する。カウツキーは、エンゲルスから疎外され、レーニンから背教者とされ、そしてナチスからも追われ、亡命先で極貧のうちに死亡する。ソビエト政府を代表してマルクスの遺稿の入手にあたったブハーリンは、やっと「資本論」の遺稿を手にして、「カール、カール、なぜお前は最後まで書かなかったのか」といったというが、彼はその後、スターリンによって逮捕され、処刑された。そのブハーリンが名誉と党籍を回復するのは、50年後の1988年、ペレストロイカの最中である。
肝心のマルクスの遺稿は、ナチスの手から逃れるため、リュックサックに詰められ、ドイツからデンマークに運ばれるなど、複雑な経過をたどって、現在モスクワとアムステルダムにあるという。マルクスの遺稿をめぐる人間ドラマを描いた本書は、社会主義体制の有効性が問われている今日、その理論的成立にまでさかのぼって考えるうえで、まさに好著である。
佐藤金三郎著『マルクス遺稿物語』岩波新書
『週刊文春』(1990年2月15日掲載)