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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

書評詳細0

通貨外交をめぐるすさまじい人間模様――船橋洋一『通貨烈烈』朝日新聞社

<なぜ1ドル=240円から、130円になったのか?>

世は円高時代である。

私は、商売しているわけではないので、円高といわれても正直、いまひとつピンとこない。こういっちゃあ、輸出業者に申しわけないけれど、円高不況を直接的に肌身に感じるということはない。むしろ、海外旅行をしたときに円高のメリットを少しばかり享受するくらいなものである。

しかし、なぜ、かつて1ドル=240円だったのが、いまや1ドル=130円台というぐあいに、50パーセント近くも超円高になったのだろうか。そのことについては、かねてから疑問と興味をもっていた。雑誌や新聞を読んでいて、「円・ドル戦争」とか、「通貨マフィア」などという言葉にぶつかると、必ず目を通していた。

だから、船橋洋一著『通貨烈烈』(朝日新聞社刊)も、出版されると、すぐに手に入れた。

ご存じのように1985年9月に日本、米国、西独、英国、仏国の先進5カ国の蔵相および中央銀行総裁はニューヨークのプラザ・ホテルに一堂に会し、G5(先進5カ国蔵相会議)を開いた。このG5プラザ会議が発端になって、急激な円高を含む国際通貨調整が始まったのは、記憶に新しい。そのプラザ会議から、1987年2月に開かれたG5ルーブル会議までを、烈々たる迫真のドキュメントで書いたのが、「通貨烈烈」だ。

「G5の参加国の市民は、本来、この会議内容を詳細に知らされるべきだと私は思う。なぜならそれは、その国の人びとの経済福祉にとって重要な意味を持っているからである。人びとは正しい情報を手にしてこそ初めて自らの正当な利害・関心を政策決定過程に向けて表現・表明していくことができる」

著者の前朝日新聞ワシントン特派員で、現東京本社経済部次長・船橋洋一氏は、そう述べている。

つまり、通貨調整とはどのような勢力の利害調整なのか、あるいは、通貨外交とは、誰の利害・関心のすりあわせなのか、円・ドル戦争の真の姿は何なのか、政策決定過程を解剖してこそ、それらの真の姿もみえてくるというのが、同著のモチーフになっている。

<G5は秘密のベールに包まれてきた>

北京の京倫飯店ロビー。帰国を前にした、ある大手商事会社のA食材流通部長は、部下の若い北京駐在員を手招きして呼んだ。

「オイ、この本、オレは読んでしまったからあげるよ。為替のことが、じつによく書かれているから、読みな」そういって、彼が若い部下に手渡したのは、この『通貨烈烈』であった。

私は、A食材流通課長とは、1週間、中国の旅をともにした。旅行の間、飛行機やマイクロバスに乗るたびに彼は、カバンから1冊の本を大事そうに出して、読み耽っていた。その本が『通貨烈烈』だったと知って、彼が旅行中にもかかわらず、やけに熱心に読書に励んでいたことに、私は初めて合点がいった。

商社に勤めるA部長は、この間の円高でどれだけ泣いたり、笑ったりしたかわからないに違いない。「為替のことが、じつによく書かれている」という彼の言葉の背後には、いってみれば、彼の商社マン生活の重い思いが込められているのだろう。本書ほど、商社マンや銀行マンなど日頃、為替を扱う人びとにとって、おもしろく、ためになる本もないかもしれない。

船橋氏が、「G5については、これまでほとんど知られていない。経済大国間の通貨外交は、軍備交渉、インテリジェンス(防諜活動)、安全保障の分野と同じくきわめて秘密色が濃く、内情が漏れることにこの上もなく神経質で、ジャーナリストも学者も容易に近付けさせない」と書いているように、G5は秘密のベールに包まれてきた。そのベールを、氏は並外れた国際的取材力によってとりはからい、神秘におおわれた通貨外交の舞台裏を描いている。

A部長などは、まるで『三国志』を読むようにして、読破したのではないだろうか、と私は推察した。

<「トップ・シークレット」という名のプードル>

実際、本書の特長は、通貨外交の細部にわたり、丹念に、リアリティーをもって書きこんでいるということだ。とりわけ、G5の主要メンバーに軒並みインタビューしていることが、本書の描写に一段と臨場感を与え、壮絶なドキュメントにしている。

船橋氏は、通貨マフィアの素顔をエピソードをまじえて、次のように伝えてくれるのである。

たとえば、アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)議長を2期8年努めて、昨年5月に辞任したポール・A・ボルカー。

「ボルカーの部屋は、以前訪れた時と同じように雑然としていた。机の上は書類の山。一つだけ、大きな変化があった。部屋に入った瞬間ムッと鼻孔を襲ったあの時の葉巻の匂いが、なかった。

『女房がやめろ、と言うんでね。コリガンまで同じことをいう』

コリガンとはニューヨーク連邦銀行総裁のジェラルド・コリガン。長い間、ボルカーが目をかけ、引き立ててきた男だ。こんなことを話す時のボルカーの表情は実に軟らかい。(略)相手の心の動きの先の先まで見透かしているぞ、といった、いつも鋭い眼の光はない」

次にベーカー米財務長官の懐刀として、アメリカのプラザ戦略の青写真を描いた、リー・G・ダーマン。

「プラザ戦略の立役者のなかでも、ダーマンほどキラキラする知性は珍しい。まだ40歳代前半、好奇心旺盛で、この年配から下のアメリカのヤッピーに多いアジア・太平洋志向のSushi(すし)愛好者である。

『10年ほど前のことだが、日本の外交官がディナーに招待してくれたことがある。それで、一番上等の背広を着こみ、めかし込んで出かけたのだが、そこが日本料理のタタミの間だった。靴を脱いで座ったとたん、靴下に大きな穴があいているのに気づいた。あれは恥ずかしかったなあ。だから今日は新しい靴下をはいてきたんだ』と言って、笑った」

G5のなかでも、中枢中の中枢に位置している、ハンス・ティートマイヤー西独大蔵次官。

「ティートマイヤー夫人に、居間に招き入れられたとたん、オスのプードルが駆け寄り、鼻先をこすりよせてきた。
『トプシー、ノー、トプシー』
『トプシー?面白い名前ですね』
『でしょう。トップ・シークレットのことなんです。それをつづめてトプシー。ここにはよくシェルパ(G7サミットの首脳の個人代表)の方々がお見えになるんです。(略)みなさんきて、主人と秘密の話をしていかれるんです。このコ(略)、主人の隣で寝そべって、会話を聞いているんです。トップ・シークレットはなんでも知っている、というのでトプシーのニックネームがついたんですの』」

船橋氏の筆によって、通貨マフィアたちが、まさに等身大の人間として浮かびあがってくるのである。

<丁々発止のやり取りがある、国際政治の舞台裏>

船橋氏は、ある雑誌にこう記している。

「秘密のベールにくるまれた通貨外交は、どこか神秘的な雰囲気があるし、立役者は切り札を持っているように思いがちですが、そうではない。烈々たる通貨外交の中では、彼らもまたウブな新参者なのです」

氏によると、ケインズは「為替はセックスより人を興奮させる」といったというが、事実、通貨外交をめぐる人間模様はすさまじいものがある。奇妙な人種でも何でもない生身の人間たちが、互いの利害をすりあわせて、きわめて人間臭い、激烈なドラマを繰り広げているというのである。

「86年4月8日、竹下とベーカーはワシントンで会った。竹下は当面1ドル180円あたりで円相場を安定させたいと思っていたので、そろそろこのへんで通貨安定させましょう、と『お願い』をベーカーに持ちかけた。竹下は、自己をやや卑下し、相手の同情を誘う、竹下らしい表現を使った。『私の名前はノボル(登)と申しますが、円がノボルおかげで、私の人気はサガル一方です』。弟が兄に頼みごとをするような甘えとも言えた。が、ベーカーにこのレトリックは通じなかった。『もし、あなたが日本の内需・消費を拡大させることができれば、あなたの人気は再びノボルでしょう』。竹下は二の句がつげなかった」

「ベーカーは、政治的インパクトのある内需拡大策を日本から欲しがった。何事もディール(取引)を身上とするベーカーらしいセリフが漏れた。この前の日本のダブル選挙のとき、こちらから円高防止のための助け舟を出した。アメリカはこの秋に中間選挙を控えている。今度はぜひ日本の方から助け舟を出してもらいたい」

通貨外交というと、何かむずかしく聞こえるが、その舞台裏では、このように人間性や利害をむき出して、丁々発止のやり取りが行われていることを、本書はわれわれに教えてくれるのである。生きた国際政治を知るために、これほど絶好の書はない。

 

舟橋洋一著『通貨烈烈』朝日新聞社
『IMPRESSION』(1988年7月号掲載)

 

 

 

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