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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

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天安門事件に至る意識変化をもたらしたものとは――ジェームズ・ラル『テレビが中国を変えた』岩波書店

テレビは、歴史を読むものから見るものへ変えたといわれている。東欧革命や中国の天安門事件、湾岸戦争のさなか、私たちはテレビのおかげで歴史の目撃者になることができた。本書は、中国のテレビ関係者のほか都市に住む約100家族にインタビューし、テレビが中国社会に果たした役割について論及している。

米国カリフォルニア州のサンノゼ州立大学教授の著者は、こんな証言を拾っている。「路地ごとに一台ずつテレビがありました。たくさんの家族が椅子を持ってきて、座ってテレビを見ていました。いい場所を取るのに、押し合いでしたよ。大した番組もありませんでしたが、それでもテレビを見るのは好きでした。雨が降らないかぎりは、毎日見にいったものです」(44歳、女、服飾工場労働者、上海)。

このコメントを読んで、力道山のプロレス中継を見るため、街頭テレビに群がった昭和29年前後の光景を思い出す日本人が多いのではないだろうか。テレビが中国社会へ浸透していく様子は、かつての日本を彷彿させる。いや、平凡な事柄ながら、エンターテイメントをテレビに求める庶民の心は、いずこも同じなのだと納得させられる。

中国でテレビの試験放送が始まったのは1956年で、販売台数が50万台に達したのが1978年。ほとんどの家庭へ普及するのは80年代に入ってからだという。テレビが普及するとともに、人々の目は外に向き、他国との比較において物事をとらえるようになる。たとえば、西側のテレビ番組や映画、CMを見て、自分たちの生活が遅れているのではないかと考えはじめる姿を克明に描きこんでいる。「向こうの家庭の台所を見て下さい。あの人たちは仕事から帰ると台所に入り、あちこちの棚をあけ、料理を始めますよね。私たちの冷蔵庫は寝室に置くしかないんですよ! 向こうの人はシャワーを浴びてベッドに入る。私たちの家にはシャワーがありません。西洋の人たちはスーパーマーケットで簡単に食料品を買って帰ることができます。私たちは食料品を買うには行列しなければならないときがしょっちゅうです。とても比較にはなりませんね」(42歳、女、時計工場労働者、上海)。

開放政策の波に乗って、西側の映像の洪水はとどまるところを知らず、『ラストエンペラー』、『フォロー・ミー』、『ランボー』、『スーパーマン』など、米国の映画が次々と上陸する。日本のテレビドラマ『おしん』も中国の人々に絶大な人気を博する。「テレビは私に心を開き、新しい考え方を教え、私を幸せにしてくれた」「テレビは新しいライフスタイルをもたらし、生活を大きく向上させる」と、インタビューに答えているのを読むとさもありなんと思う。「テレビは最良の思想教育手段」とする共産党の思惑を越えて、人々はテレビからさまざまな情報を読みとり、豊かな生活に思いを馳せるようになる。やがて、それは自由へのあこがれを生み、89年の天安門事件へと発展するという筋立てのもとに、テレビが社会に及ぼす影響について論じているのだ。

椿発言を持ち出すまでもなく、テレビほど厄介なメディアはない。それは著者もいうように、多分に映像の多義的性格にあるのだろう。天安門事件で最も記憶に残る映像シーンといえば、戦車の前に一人立ちはだかる青年の姿が思い浮かぶ。あの青年は西側では英雄になっているが、中国の宣伝番組では、「もし兵士が自制心を身につけていなかったら、西側のメディアでは英雄とされているこの男は、どうして戦車の前でこうしていられるのだろう」と、西側とはさかさまともいえるナレーションがされているという。まさしく映像の多義的性格が成せる業だが、すべてがテレビのせいかどうかは疑問にしても、もはや開放政策が後戻りできないことだけは確かだろう。

21世紀においてはマルチメディア・ネットワークが発展し、これまで以上に映像の重要性が増して、ライフスタイル、ワークスタイルを変えるとまでいわれている。実体験をともなわないヴァーチャル・リアリティの誕生は、シミュレーション社会を創出させるに違いない。本書の題名にならっていえば、将来、〝マルチメディアが世界を変える〟日がくるだろう。中国におけるテレビの影響の軌跡をたどるうち、マルチメディアが作り出す新たなメディア社会について考えさせられるのである。

ジェームズ・ラル著 田畑光永訳『テレビが中国を変えた』岩波書店
『中央公論』(1994年5月号掲載)

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