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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

書評詳細0

繁栄にひたりきるニッポンへの絶好の警告書だ――ビル・エモット『日はまた沈む』草思社

いま1冊の本が話題を呼んでいる。ビル・エモット著・鈴木主税訳『日はまた沈む』(草思社刊)である。

折しも、昨今のトリプル安と重なって、日本繁栄にカゲが射し、将来に対する漠然とした不安感が出てきただけに、『日はまた沈む』は、たちまちベストセラーになった。

かくいう私も、さっそく購読したひとりである。専門家の間でも、日本という太陽が〝沈む〟のか〝沈まない〟のか、熱心な日本沈没論争を招いている。

ビル・エモットの〝沈む〟理論は、別にむずかしくはない。

「一九八七年から八八年ごろまでの常識的な対日観は、日本という太陽はどこまでも昇りつづけるだろうというものだった。だが、私はこれにはまったく反対である。(略)なぜなら、貿易黒字、資本輸出、そうして円そのものによってもたらされた日本の経済力自体が、日本を根底から変化させ、新しい方向へ進ませることになるからである」

このような基本認識をもとに、日本の凋落のシナリオを、次のように描いていくのである。

「一九八五年初頭から円の対ドル相場はほぼ二倍になり、外国旅行をする日本人は新たな金持ち気分を味わうようになった。とくに高い貯蓄率と貿易黒字によって日本国内で金がだぶついたために、地価や株価が急上昇して一部の日本人は非常に裕福になり、基本的な社会通念や伝統がくつがえされるようになった」

つまり、日本が豊かな国になった結果、日本人の行動パターンに大きな変化があらわれてきたというのだ。

その大変化として、勤勉な国民性が失われてきた点を、彼はあげている。

「日本は見る間に生産者の国から消費者の国へ、いつに変わらぬワーカホリックで貯蓄好きの国から快楽追求者の国へ、金銭的に慎重で自制心の強い国から投資家の国、あるいは投機家の国へと様がわりしていったのである。そして、長い目で見れば、日本は若者から白髪まじりの年金生活者の国に変わろうとしている」

<生活エンジョイ型の個人貯蓄減少によって、21世紀には〝日は沈む〟?>

著者のビル・エモットは英「エコノミスト」誌の元東京支局長で、現在ビジネス部門の金融担当部長である。ジャーナリストだけに、理論に片寄らず、事実をもとに筆を進めているから平易で、読みやすい。ただ、その分、深意深く読む必要があるかもしれないのだ。

たとえば、日本が〝ワーカホリックの国〟から〝快楽追求者の国〟になったというのは、本当だろうか。

「ほとんどの日本人は、昔の自分たちやいまの外国人にくらべて、ある程度は裕福になったと感じている。彼らは強い円のおかげでようやく人生を楽しむ余裕と自信を得たのである。実際、彼らは楽しく過ごしている。海外旅行、高級レストランでの食事、おしゃれ、乗馬、水泳、スキー、ウインドサーフィンなど、楽しみ方もいろいろだ」

しかし、だからといって、〝快楽追求者の国〟になったといえるかどうか。ましてや、快楽追求主義に転向したのがもとで、『日はまた沈む』とは、日本人の感覚として到底考えられそうにもない。

このほか、日本が〝生産国〟から〝消費国〝になった論証として、日本の若者の中に新しい意識を持つ人びとが登場してきたことを取りあげている。果たして、そうか。

「いま二十歳から三十歳までの人たちは、恵まれた環境に育ち、両親からおおいに甘やかされ、生活に関するほとんどの事柄をテレビの画面から学んだ最初の年代である。消費、借金、貯蓄、余暇、仕事にたいする彼らの感覚は、親の世代のそれとはまるでちがっている。とりわけ彼らが望んでいるのは、人生を楽しむことである」

新人類の登場によって、職場環境に若干の変化が生じたのはたしかである。しかし、働きバチの集団のよって形成されている、日本のビジネス社会を根本に揺るがすことはないだろう。新人類は、人生を楽しむことについて、旧世代よりも貪欲かもしれないが、基本的に働くことが嫌いだとは考えられないからだ。私の観察でも、彼らは遊ぶときは遊ぶが、働くときにはちゃんと働き、決して勤労意欲を失くしているわけではない。

むろん、ビル・エモットは、快楽追求者の国への様変わりが、直接、日本の衰退をもたらすといっているわけではない。問題は貯蓄率だという。生活をエンジョイする結果、個人貯蓄が減少するばかりか、高齢化も貯蓄率を押し下げている。

「肝心なのは、貯蓄による供給とそれに対する国内需要(投資)、つまり政府、企業、家計の需要とのバランスである」

たとえば、個人貯蓄が低下する一方で、国内資産需要が増加し、再び財政は悪化する。企業も、深刻な労働力不足と高齢化社会に対応しなければならず、再投資を迫られる。すなわち、貯蓄減少、国内投資増大によって、余剰資産は消滅する。

かくして彼は、日本はいよいよ沈み始めるというのだ。

しかし、ビル・エモットの〝沈む理論〟に対して、わが国の多くの専門家は〝沈まない派〟で、なかには〝日はまた昇る〟というエコノミストまでいるほどだ。その理由として、日本の経常黒字体質は依然変わっていない、現在の日本で進行中のエレクトロニクス革命や通信革命について、ビル・エモットは無視しているといった点をあげている。

私は、『日はまた沈む』かどうかは別にして、外部からみると、日本人が快楽追求主義者に変身したかと思えるほど、繁栄を謳歌しているニッポンに対する警告の書として、同書を読んだ。

ビル・エモット著・鈴木主税訳『日はまた沈む』草思社
『IMPRESSION』(1990年7月号掲載)

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