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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

一ノ関・平泉 前沢牛に堪能して中尊寺に無常を想う 一ノ関・平泉の旅

hiraizumi11 またしても、旅はメシから始まった。


 東京駅を午前9時20分発の東北新幹線「やまびこ81号」に乗り、11時26分に一ノ関駅に着く。お昼には少々早いが、食い意地のはった中高年五人組としては、まず、メシにいこうぜとなる。駅から、目的の店までの所要時間を考えれば、ジャストお昼の食事時間になるのではないか、という計算もあった。
 じつは、高脂肪体質に悩む自称「現代の魯山人」Zさんが、「一ノ関市とくれば、近くの前沢町の『前沢牛』。肉ですな」と、事前に予約手配したレストランに直行。「昔、高校の理科の先生が肉を食えば、肉になるといっていたな。本当かな」と、一言居士のQさん。「いや、俺は、見る前に食うか、食ってから見るか。ハムレットの心境だ」と悩むのは、教養派を自認するXさん。というのは、Zさんが予約した「レストラン前沢ガーデン」には、町営「牛の博物館」が隣接している。どちらを優先するか……というのだ。「そんなの簡単よ。食うに決まっている」と、知的体育会系のPさんの意見に従って、みんなでガヤガヤ、ゾロゾロ、レストランに。
 食べる前に、「また疑問発生!」と、教養派は次のように設問する。
「日本三大銘牛は、いずこか」――。旅を素直に楽しまず、何をするにも、ついつい理屈、意義、意味付けをしたがるあたりがインテリ中高年族の限界か。若い人に嫌われますわな。しかし、理屈っぽいのは、おじさんの悲しい性でもありますな、これは。
「俺は、まず松阪牛をあげる。これには、誰も異論はないだろう」と、「現代の魯山人」が発言。「異議なし」と全員うなづく。

hiraizumi4「次は、前沢牛か、神戸牛だな」、「神戸牛より兵庫の三田牛じゃろう」、「いや、兵庫なら但馬牛もあるぞ。あと、滋賀の近江牛も忘れてはいかんぞな」――と、議論百出だ。

 もっとも、この設問には、明確な回答があるわけではない。まあ、古い歴史を持つ松阪牛の次は、好みに従って、二つ選ぶのが穏当なところではあるまいか。
 その点、新参者ながら急速に銘牛の名をほしいままにしているのが、前沢牛である。
 前沢牛は、なんでも昭和30年代、但馬から導入した雄勝牛と島根牛との間に生まれた子が元祖で、50年代に入ると、さまざまなコンクールで、次々とチャンピオンに輝くようになる。
 さて、講釈はこのへんにして、いざ垂涎の銘牛を注文。サーロインステーキ200g6500円と12000円がある。産地にきても、うまいものは、決して安くない。「ウーン、12000円は肉質の格付けがA5だね、6500円がA4だろうね」と、またしても「現代の魯山人」が講釈。「A4なんて、コピー用紙みたいだな」と、一言居士。他の中高年はハハハッ……と聞くのみ。「よくご存知で」と、同ガーデン営業の中村健二さん。なんでも、肉質等級のランクはA5がいちばん上らしい。
 食べた結果は?「6500円もほどよい硬さ、歯ごたえがあって、ステーキらしいね」、「ウン、12000円は、とろけるように軟らかい。まるでバターのようだね。確かに、ステーキにしては、少したよりないかもしれないな」、「ステーキよりも、しゃぶしゃぶで食べたほうがいいんじゃないのか」などと、中高年たちは喧喧囂囂。
 このあと、「牛の博物館」を見学。前沢牛の宣伝館かと思いきや、とんでもない。「日本唯一の牛の博物館」と前沢町が自慢するだけあり、超真面目な博物館だ。世界中の牛の生物学的かつ民俗学的な視点などから、人と牛とのかかわりが紹介されているのだ。

美しく哀しい
義経終焉の地


hiraizumi3 一ノ関とくれば、平泉の天台宗東北大本山の関山中尊寺を訪ねねばなるまい。

 中尊寺は、麓から月見坂をゆっくりと登っていくに限る。ただ、日頃から運動不足でタヌキ腹の中高年族には、本堂までの500メートルほどの距離が、いささかきついのだ。だからというわけではないと思うが、途中、杉並木が切れて、展望が開けたところに、格好の休憩場所がこしらえてある。眼下に北上川が悠然と蛇行を描き、その先に束稲山がゆったりと横たわっているのが眺められる。そこは、清衡、基衡、秀衡の藤原三代の郷である。
 美しい景色だ。が、何か哀しい。それは、私たちが義経の悲劇、哀史を知っているからにほかならない。芭蕉が一句詠んでいる。「夏草や兵どもが夢の跡」。
「もはや、800年前を思わせる景色は、どこにもありませんが、滅びの美学と申しましょうか、二度と栄えることのない郷をしのんでいただければ……と思いますね」
 とかいせつしてくださったのは、中尊寺執事の北嶺澄照さんだ。
 弁慶の立ち往生で知られる、北上川と衣川の合流地点がかすかに望まれる。参道をすこし行くと、弁慶を祭った弁慶堂がある。
「中尊寺には、3000点以上の宝物がありますが、そのうち国宝7件、重要文化財17件です。平安美術の宝庫ですね」(北嶺さん)
 その国宝の一つが、ご存じ金色堂である。「金色堂は、極楽浄土を表しているんですよね」と、教養派が質問。「金色堂の内陣がそうですね。極楽の主である阿弥陀如来が座って瞑想し、それを取り巻く仏たちがいます」と、北嶺さん。4本の柱に美しく輝く夜光貝が極楽の草花をあらわすという。ここでも、芭蕉が一句残している。「五月雨の降り残してや光堂」。

船頭の歌に酔い
砂鉄川を下る

 極楽浄土といえば、お隣の毛越寺の大泉が池を中心とする浄土庭園には、中高年組も心洗われた。ここにも平安の雅のなかに滅びの気配が漂っているのだ。「毛越寺は、かつて、平泉文化の中心として栄え、広大な境内に大伽藍が建ち並んでいました。藤原の栄華をしのぶものといえば、大泉が池と発掘された遺水ですね」と説明してくださったのは、毛越寺総務部長の南洞頼賢さん。
 北上川の支流の砂鉄川上流の猊鼻渓は、石灰岩が侵食されてできた渓谷だ。全長約2キロを棹一本で往復する船下りは、今流にいえば、スローライフだ。
 渓谷の両岸には、間違っても道路はないから、無音の世界。静寂の中に、風と水が船べりをたたくペチャペチャという音が耳に心地よい。

hiraizumi21「雪解けや紅葉時には、カモシカが顔を見せますね」と女船頭の千葉美幸さん。

「棹は三年、櫓は三月というでしょう」と、Zさんが物知りおじさんぶちを発揮。「私たちも、そういって教わりました」という千葉線は自慢の美声で、猊鼻追分を歌ってくださった。

週刊ポスト 2003年 3月19日 掲載

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