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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

歴史の流れを振り返りつつ今日を再確認する港町

クラシカルな品格漂う空間に身を置く心地よさ

 

中高年にとってみれば、GHQ、連合国軍総司令部のダグラス・マッカーサー元帥といえば、泣く子も黙る存在。そのマッカーサーが泊った部屋に宿泊するというのは、感無量というか、感激というか、もったいないとい うか、贅沢というか、少し複雑な感情も入り混じり、かつ興奮させられますよね。戦後は 遠くなりにけりですかね。


横浜の「ホテルニューグランド」本館1階 の315号室、「マッカーサーズスイート」が それだ。1945年の太平洋戦争後、コーンパイプを手にしたマッカーサーが厚木飛行場に降り立ち、真っ先に訪れ、執務し、宿泊し たのがこの部屋である。同ホテルの宿泊者に は、チャプリン、ベーブ・ルース、マリリン・ モンローなど多彩。中高年には懐かしい名 前ばかりである。

部屋には、マッカーサーが執務した横浜家具製のライティングデスクがいまも使用されている。窓の外を見やれば、目の前は山下公園だ。1923年の関東大震災で、横浜も壊滅的被害を受けたが、山下公園は、そのときのガレキで埋めたてられたことを知る人は、 今や少ない。

震災といえば、「ホテルニューグランド」に、なぜ「ニュー」が付いているのか。同ホテルは、 復興のシンボルとして、当時の横浜市長が政財界に呼びかけ、「ホテル建設計画」をつくり、27年に完成した。 つまり、「ニュー(新生)」という意味が込められているのだ。

「二十年以上前、学生の時分にカクテルの勉強をしていると、世界中のバーテンダーの教科書  『サヴォイ・カクテルブック』に、このバーのカ クテルが必ず出てくるんですね。それで、いつかは必ずここで働きたいと思ったんですよ」 そう語るのは、本館一階の、「バー・シーガーディアンⅡ」、バーテンダーの太田圭介さん。おすすめの一杯は、ベルモットの代わりに、ドライシェリーを使ったニューグランド風マティーニと、アンチョビトースト。「アンチョビのオイルを、ジンが洗い流してくれるんですよ」と太田さん。そのハーモニーは絶妙で、こんな美味しいマティーニを飲んだことがないぞな。

「ご家族やお仲間と、気軽におしゃべりをし ながら楽しくお食事をしていただくのが一番いいですね」とは、同じ本館一階にあるイタリアンレストラン、「イル・ジャルディーノ」 の料理長の富澤寛さん。本格的なイタリアンレストランだ。

富と情熱を5万坪の敷地に注ぎ込んだ大富豪の使命感

横浜の国指定名勝「三溪園」は、明治から 大正時代にかけて、製糸・生糸貿易で巨万の 富をなした、横浜の実業家の原三溪が築いた、 5万3000坪におよぶ広大な日本庭園だ。庭園内には、紀州徳川家の夏の別荘「厳出御殿」であったといわれる「臨春閣」や、織田信長の弟、有楽の作といわれる茶室の「春草鷹」、二条城にあったとされる徳川家光とその乳母、春日局ゆかりの「聴秋閣」など、歴 史的にも価値のある建造物が点在している。重要文化財の建造物は、10棟にものぼる。

臨春閣には、壁に百人一首を詠んだ色紙や、欄間に竿が飾られるなど、数寄屋ならではの遊び心に富んだ意匠が随所に凝らされている。

「三溪には、廃仏毀釈の中で、荒れるに任せる状態だった歴史的建造物や文化財を残さないといけない、という気持ちがあったようですね。移築作業は、大変念入りに行われました」と、公益財団法人三溪園保勝会事業課の吉川利一さん。

移築された建造物とはいえ、開国の明治維新以来、100年近くの風雪を経て、日本庭園になじんでいる。そぞろ、心が和みますね。

また、横浜とくれば、中華街。「萬珍樓」は、明治25年から創業百二十年を超える老舗だ。料理は、オーソドックスな広東料理である。

横浜は、歴史に目覚め、郷愁を誘う大人の都市空間である。

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