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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

橫浜 「和」と「洋」が出会った橫浜に懐かしい味、香りを求めて歩く

6 昨今、リュックを背負ったアクティブシニアと言われる中高年が、駅の改札口付近で、三々五々、うれしそうに集合している光景を見かける。

 

ハイキングか、町歩きか、歴史探訪に出かけるのであろう。まだ年金生活こそ無縁だが、中高年5人組も、某日朝、JR桜木町駅に三々五々集合した。「横浜散歩」と洒落込んだのである。
「まあ、今日は、老後の楽しみのための予行演習だな」と、余裕の発言をするのは、体力に自信のある知的体育会系のYさんだ。
 ただ、そのように強がってみても、働き蜂の中高年組は、〝3大不足〟を免れない。「時間不足」がたたって、いささか「運動不足」、「勉強不足」。早い話が、単なるオッサンの集まりだ。
「いや、肝心の教養はあるぞ」と、自称教養派のXさんは納得しかねる様子だが、それは、あくまで自己申告に過ぎない。そこでNPO法人「横浜シティガイド協会」会長の嶋田昌子さんに歴史探訪の案内をしていただくことにした次第だ。実際、のっけから、素敵なご婦人の嶋田さんに教えられたのである。
「この桜木町駅は初代横浜駅で、2代目が高島町にあり、3代目が今の横浜駅です。鉄道発祥の地にふさわしく、このように駅構内に日本の鉄道建設の恩人である、英国人のエドモンド・モレルさんが顕彰されているんですね」
 
7-2なるほど、下りホームから階段を降りたところの壁にモレルさんの写真やさまざまな資料が展示されている。忙しそうに行き交う人々は、見向きもしない。その存在にさえ、気がつかない様子だ。

「モレルさんは、結核をわずらっていて、明治5年の新橋―横浜の開通時には、お亡くなりになっていました。お墓は、山手の外国人墓地にあります」
5人組は、うなずくばかりである。
 桜木町の駅周辺には、このほか、「鉄道発祥の地記念碑」や、開業時の駅長室跡のプレートがある。
 同記念碑を読むと、ダイヤは上りが午前8時と午後4時、下りが午前9時と午後5時とある。「ということは、横浜―新橋間は、およそ1時間だったわけか」と、一言居士のQさん。「結構、速いじゃない」と、カメラマンのGさん。「途中の駅が少なかったからじゃないかな」と、教養派はすかさず口をはさむ。「当時、横浜から品川までが35分、新橋までが50分でした」というおば様の説明で、一同はようやく静かになる。
 料金は片道50銭のほか、犬1匹につき25銭とあるではないか。
「横浜は洋犬発祥の地ですからね。ペリーが連れてきたんだそうです。ダルメシアンが多かったそうですよ」
 と、嶋田さんはいう。3

「そういえば、黒船が横浜に来航した際、日米和親条約の調印式をするため、ペリーが上陸して、日本側の使節が迎えてね、海岸にはラスト・サムライと米海兵隊の両者が整列している、有名な絵があるじゃないか。あの中に、犬が2匹ウロチョロしているじゃない。どうして、犬がわざわざ描いてあるのか、これまで疑問だったが、ひょっとすると、あの犬は、ペリーの愛犬かもしれないな」
 と、一言居士は、ひとりで頷くのだ。
「犬のことを、日本人はその頃、“カメ、カメ”と呼んでいたそうだ。外人の呼ぶ“come here”がカメに聞こえたんだよ」
 と、Qさん。さすが教養派を自認するだけのことはある。

本格中華のテーマパーク

 このあと、左にランドマークタワーなど、みなとみらいの高層ビル群を眺めながら、汽車道を歩いて、横浜赤レンガ倉庫、さらに大桟橋へと散策を続ける。
 かくするうち昼時になる。食欲の鬼ともいうべき5人組は、今回ばかりは何を食うかを決めるまでもなかった。足は自ずと、山下公園を経て中華街へと向かっていたのだから。1_2

 およそ200軒あるという中華料理店の中から、今回選んだのは、チャイナテーマパーク「横浜大世界」。ここの「美食中心街」にある、日本初出店という本場の飲茶の店だ。
まず、上海を代表する老舗点心専門店「上海老飯店」の豚肉入り小籠包を食する。飛び出した熱い汁、やわらかい豚肉の団子、かすかにあまみを帯びた皮とが渾然一体となって喉に流れ込み、脳髄を突き抜けるのだ。
 次に向かったのが、これまた日本初出店どころか海外初登場で、創業110年という台湾の名物屋台ラーメン店「度小月」だ。定番の担仔麺をいただく。オッと声を出るほど、スープ、麺とも、じつに優しい味だ。聞けば、スープのダシはエビの頭。その優しさを邪魔しない、肝心の肉味噌は、秘伝中の秘伝だという。軽く合格点でしたな。

お座敷でフレンチを楽しむ


8 横浜にきたからには、食後、港を散策しようではないかと、クルーズと洒落込んだ。乗ったのは、ポートサービスのレストラン船「マリーンルージュ」(683トン)。日頃、口うるさい中高年たちは、デッキに出て、日が沈み始めて金色に染まる、海面を凝視する。意外とナイーブなのですな。

「横浜たそがれ――ですな。わてらも、たそがれ……ではないか」
 と、Qさんは、つぶやいたのである。
 このあと、すっかりファッショナブルな街に変身した元町へ。一本裏道の仏蘭西料亭「霧笛楼」で、〝横浜フレンチ〟を楽しむ。いただいたのは、二階のお座敷だ。横浜の遊郭「岩亀楼」を模したというが、大正ロマン風でもある。
「このエキゾチック空間で、座ってフレンチを食べるのは、得がたい体験ですな」(一言居士)
「味は、今流行のフランス現地そのまま風と違って、和魂洋才風のフレンチですな」(食通の教養派)
「〝横浜フレンチ〟と称するだけあって、何か懐かしいフレンチだよね」(カメラマン)
 かくして、横浜の夜は少しずつ更けていったのである。

小学館『週刊ポスト』 2005年4月8日号 掲載

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