Loading...

経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

銚子 黒潮流れる犬吠埼 灯台の光と霧笛魚と醤油の町・銚子

tyoushi  ローカル線でのんびり、ゆっくり旅に出ようというので、千葉県銚子に出かけた。


「黄昏を迎えた中高年なんだから、たまには、近場で、少しはのんびり、ゆっくりしようよ」
 と、相談がまとまったのだ。
 東京から銚子までは、特急「しおさい」に乗って2時間弱。
 特急とはいえ、乗車した東京駅午前11時40分発の「しおさい5号」は、驚くべきことに成東駅から銚子駅まで普通電車になるのだ。ゆっくり旅にふさわしい列車ではないか。
 東京駅地下に新しくできた「グランスタ」に出かけて、まず駅弁を買う。のんびり旅には、駅弁は欠かせないからだ。買い求めたのは、NRE大増の「銀の鈴幕の内弁当~日本ばし~銀幕」。これが、当たり。東京・日本橋の老舗の味が詰め込まれているのだ。大きな「神茂」のはんぺんをはじめ、「大増」の野菜のうま煮、「山本海苔店」の焼海苔まで入っている。駅弁の三ツ星でしたな。

tyousi3 もっとも、一本前の特急「しおさい3号」で先発した美食家のZさんや、カメラマンのGさんたちは、JR銚子駅に着くや、ケシカランことに、駅近くのうなぎ料理店「茂利戸家」に飛び込み、うなぎ料理を堪能していたのである。「重箱からはみ出すほどの大きなうなぎで、蒸しにこだわるだけあって、あくまで柔らかく、タレもしっかりしていましたね」と、Xさんは舌なめずりするのだ。


360度の展望愛宕山の頂上から地球の丸さを実感する


 例のごとく、駅レンタカーのトレン太くんを借りて、「地球の丸く見える丘展望館」に出かけた。銚子の観光目玉のひとつである。太平洋にグッと突き出た犬吠岬の台地に愛宕山の頂上があり、そこに展望館はあるのだ。山というより下総台地にできた瘤といった趣だ。標高73・6㍍。展望館の屋上90㍍。「何だ、そんなに低いのか」と馬鹿にしてはいけない。
tyousi2 登ると、確かにぐるりと360度、展望がきく。かくも、遮るものがないということは、こんなにも気持ちがいいものか。ウーンと、思わずうなったね。立ち尽くしたよ。「俺たちの前には、いつも高い壁が立ちはだかっているものね」と、自称教養派のXさん。「地球の丸さが実感できるというけど、俺は、こうして眺めると、フラットに見えるぞ。グローバル時代を迎えてさ、やっぱり、地球はフラット化しているんだな」と、一言居士のQさん。「いや、それは、中高年になって、目が悪くなっただけだよ」と、知的体育会系のYさん。
 次に、展望館から屏風ヶ浦に向かう。一帯の起伏のなだらかな丘には、見事なキャベツ畑が気持ちよいほどに青々と続く。これが、展望館で案内して下さった江畑武館長がおっしゃっていた「灯台印キャベツか」と納得する。収穫期は10月上旬から6月末までで、シーズン中、ずっとやわらかいのが特徴という。
 屏風ヶ浦は、延々10㌔以上にわたって、海抜40~50㍍の断崖絶壁が続く海岸線だ。太平洋から押し寄せる大波が洗う、絶壁直下の海岸線に沿って、遊歩道(一部立入禁止区域あり)が設けられている。冬の海は、人影がまばらだ。犬を連れて散歩中の地元のおばあちゃんが、「あそこは、去年崩れたのよ」と、赤土がむき出しになった崩壊の痕跡を指差して教えてくれる。砂岩質のため、崩れやすいのだろう。鎌倉時代には、海岸線が今より2㌔とか、6㌔も先にあったというから、海食の結果とはいえ、自然の力の大きさを教えられるのだ。

むせび泣く霧笛の圧倒的な迫力


tyousi12 さて、犬吠埼とくれば、灯台だ。

 わが国の航路標識は5500基以上あるというが、その中でも犬吠埼灯台は、最も有名な一つであろう。我が国最大級の灯台ではあるが、しかし、それだけで、多くの人に知られているのはなぜだろうか。。
 考察するに、犬吠埼は、日本で最初に初日の出が拝める場所(山頂、離島を除く)として知られているからではないか。そういえば、犬吠埼は、ヨーロッパ最西端のポルトガルのロカ岬と、姉妹関係にある。なるほど、地球をぐるりとめぐると、ロカ岬に行き着くわけだ。いや、美しいからかもしれない。真っ白な美肌と、長身の姿形が、青い空にまぶしいほど映える。幾つかの灯台を見てきたが、これほどの美人の灯台はないと断言していい。
 それもそのはずというべきか。犬吠埼灯台は、明治時代、お雇い外人のイギリス人の灯台技師ヘンリー・ブラントンの設計および施工監督のもとに建てられたのだ。明治5年着工、同7年に完成、点灯された。高さが31㍍あまりある。
 案内してくださった銚子海上保安部交通課長の浦島弘巳さんに誘われて灯台に登った。99階段あるという。「ブラントンは、九十九里浜を愛していたので、99階段にしたといわれているんですよ」と、くるくると回る狭い階段を登りながら説明してくださる。運動不足の中高年たちは、精神一到何事もならざらんと、ひたすら磨り減った階段をみつめながら登りつめる。上から眺めると、目の前の黒潮流れる太平洋は、果てしもなく、青く輝いていた。
 犬吠埼灯台のもう一つの呼び物は、併設されている霧信号所だ。
「霧笛が危機なんですよ」と、語るのは、ホテルニュー大新総支配人の関根清二さんだ。犬吠埼一帯の観光のまとめ役だけあって一生懸命にいろいろと説明してくださる。。犬吠埼灯台がライトアップされるようになったのも、関根さんの尽力によるところ大とか。今度もまた、「この3月で霧笛が全国一斉に廃止されるというので、今、地元では、存続運動をしているんです」と、彼は力説するのだ。
「霧笛というのは、もともと電子航海計器を備えていない船舶を対象に、必要に迫られて設けられたんですね。ところが、いまや、小さな船でも、レーダーやGPSを備えていますからね」(関根さん)

tyousi12「一度、聞いてみますか」と、関根さんはいってくださるではないか。中高年たちは、大喜びだ。「霧笛がむせび泣くとかさ、霧笛が俺を呼ぶぜとか……。いいよな、裕次郎の映画の世界だな」と、Xさん。

老朽化し、維持費もかかる。費用対効果からいって、廃止されることになったというのだ。<br” style=”color: #4a4a4a;”> かまぼこ型の霧信号所の外に出て、屋根の上に飛び出たラッパをひたすら見つめる。どんなロマンチックな音が飛び出すのか。ところが、タンクに空気が溜まったかなと待つうち、「シュウ……」。さらに、待っていると、「プシュ……」。「やっぱり、歳をとっているのでしょうな、音が出ませんね」「身につまされますな」「いや、ウォーミングアップなんでしょな」――。勝手に与太をとばしていると、突如、鳴った、鳴った。地の底から一気に「ブォーツ」と、この世の音ともおもわれぬ、大音声が海上へと響き渡ったのだ。その想像を超えた圧倒的迫力に、みんな、一瞬、顔を見合わせましたよ。
霧笛がなくなるとしたら、名残惜しいの一言に尽きるな。デジタル時代だからこそ、このアナログの霧笛の音は貴重に感じてしまう。

銚子漁港は水揚げ量日本一

tyousi4保存といえば、度重なる赤字から経営危機に陥った、「銚子電鉄」は、地元民はじめ、インターネットの呼びかけに応じたサポーターのおかげで、かろうじて残った。銚子駅から外川駅まで、わずか6・4㌔のローカル私鉄で、駅員もぬれ煎餅を売ってまで資金稼ぎをしたというのが、美談として受けたのだ。
犬吠駅で、その濡れ煎餅の手づくりに挑戦した。といっても、コンロの上の金網で、煎餅を焼いて、醤油につけるだけである。が、さすが、つくり立ての煎餅はうまかったですな。
醤油といえば、江戸時代から銚子の特産物だ。
「銚子は、もともと醤油屋さんの町で、昭和40年代までは、この中央町も醤油屋さんがズラリと軒を並べていました」
というのはひ志お醸造元「山十商店」のご主人の室井房治さんだ。ひしおといえば、醤油よりずっと古くて奈良時代の調味料。今日、〝おかずみそ〟として生きているところが、いかにも醤油の町・銚子らしい。
旅のしめは、銚子市内のすし屋「勝の家」でおすしをつまむ。2代目の高尾勝さんは「銚子漁港は、魚の水揚げ量が焼津を抜いて日本一。サバ、サンマ、イワシだけでなくて、キンメ、ヒラメも生きがよくて、うまいよ」と、威勢がよかった。

小学館『週刊ポスト』 2008年2月15日号 掲載

ページトップへ