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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

盛岡 啄木、新渡戸、原敬 岩手「先人」と「食」を探る

 東京駅を午前8時52分に発った「はやて7号」が盛岡駅に着いたのは、同11時22分。そろそろ昼めし時である。

 

いまや、「食」にしか喜びを見出せない、中高年組は、駅からレストランに一直線である。 
 訪ねた先は、昭和2年に建てられた、岩手県公会堂。何故ゆえに、「食」に公会堂か。その古い公会堂の地下に、フレンチレストラン「公会堂多賀」があるからだ。 
 公会堂の落成と同時に、このレストランもオープンしたというから80年弱の歴史を有するわけだ。なるほど、地階に降りていくと、東京・西麻布あたりのコじゃれたレストランに比べて、いかにもクラシックな印象。赤絨毯、白い壁、壁にかかる泰西風名画、ウエイトレスの古風とも思える制服……。 
「いいねぇ、こういう由緒正しきレストランは、残念ながら、東京ではすでに絶滅しているね。わたしゃ、懐かしさで涙がこぼれるよ」 
 と、インテリを気取る一言居の中高士年Qさんが吼える。 

tour-m-p1 いただいたのは、「新渡戸稲造博士が食したメニュー」。新渡戸さんといえば、散々お世話になったが、せんだって、樋口一葉さんと交代したばかりだ。そう、5千円札でお馴染みだった新渡戸さんは、岩手出身である。 

 その新渡戸さんが、昭和初頭に「公会堂多賀」で、食したメニューの再現をいただく魂胆だ。先人記念館に出かける前に、新渡戸さんに「食」から不遜にもアプローチするわけである。海の幸ブイヤベース、平目とホタテのポッシェ、岩手志和牛ヒレ肉のポアレ、色々なきのこのクリーム煮など。味は、店内の雰囲気と同様、きわめて格式高いものでした。 
 ちなみに、盛岡の人たちにとっては、「公会堂多賀」といえば、ハレの日に食べるビーフシチュー、ハヤシライス、カレーライスという。確かに、食してみると、ビーフシチューは、濃厚にして、まろやか、かつとろけるような肉の味が、いまも舌に残っていますな。 

渋民村の原風景 


tour-m-p2 「盛岡市先人記念館」は、岩手県がいかに人材の宝庫であるかを教えてくれる。「130人にのぼる先人を顕彰しています」と、同館主幹赤澤真一氏はいう。  

  うち、特別に記念室が設けられているのは、新渡戸稲造のほか、米内光政、金田一京助の3人である。「金田一京助といえば、『明解国語辞典』を思い出すよね」と、Qさん。さすが、中高年というべきか、発言がどこか少し古臭い。 
 平民宰相として、名高い原敬に記念室がないのは、彼の場合、別途、近くに原敬記念館があるからだろう。彼は、大正10年に65歳で、東京駅頭で兇刃に倒れるが、遭難時に着用していた洋服が展示されている。レプリカながら、血染めのワイシャツは生々しかった。 
 「岩手は、文学者も少なくないですよね」と、赤沢さんに尋ねるのは、元文学青年のXさんだ。
 「おっしゃる通りです。山田青邨、鈴木彦次郎、野村胡堂、石川啄木、宮沢賢治など、岩手県は多彩ですね」と、赤澤さん。 
 啄木、賢治に特別室がないのは、やはりそれぞれに記念館があるからに違いない。石川啄木記念館は、出身地の姫神山の麓、渋民にある。 
 「ここには、20歳で代用教員をつとめた母校の渋民尋常高等小学校の校舎と、啄木一家が一時、身を寄せたことのある茅葺きの斉藤家も移築されています」というのは、同館長の嶋千秋さん。元渋民小学校の校長先生である。 
 斉藤家の茅葺きの屋根を見ると、草が生えている。「ああして草のほか、花ならば百合から始まって、桔梗、そして萩と屋根で咲く。鳥が種を運んでくるのです。これこそが、啄木が生きていた頃の渋民村の原風景なんですよ」と、嶋さんはいった。多分、それは、渋民村に限らず、つい100年ほど前の日本の農村の原風景ではなかったのか。 

tour-m-p3 

 近くの渋民公園には、啄木の歌碑が立っていた。「やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」と刻まれた、大きな花崗岩の歌碑の向こうに、彼が「ふるさとの山に向いて 言う事ことなし、ふるさとの山はありがたきかな」と謳った、南部富士の岩手山が静かに、優しく聳えていた。 

盛岡に名店あり


tour-m-p4 盛岡の郊外とくれば、岩手山の麓、小岩井農場を訪ねなければならない。明治24年の開設というから、110年有余の歴史を有する。「明治40年につくられたレンガサイロや、昭和9年に建てられた牛舎など、この農場には、国登録有形文化財が9件あります」と、小岩井農牧展示資料館長の野沢裕美さんはいう。 

 同農場に4代勤め、「小岩井から出たことがありません」と笑う野沢さんに、農場内を案内してもらう。中高年組は全員、浮世離れした世界に浸り、命の洗濯である。 
 最後に、盛岡に名店あり――の話。同市内の鉄板焼「和かな」でいただいた前沢牛、あわびときたら、美味の頂点。また、盛岡の奥座敷のつなぎ温泉「四季亭」の料理は、さすが「料理に特化しました」と、同旅館専務の林晶子さんが自慢するだけあって、旅館料理をはるかにこえていましたね。旅の要諦は、いつの時代も「食」の充実ですな。 

小学館『週刊ポスト』 2004年12月17日号 掲載

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