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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

塩山 歴史・温泉・ワインに酔う武田信玄ゆかりの甲府盆地

enzan13 JR新宿駅午前9時30分発の「かいじ101号」に乗り、キオスクで買い込んだ朝刊3紙を丹念に読むうちに、塩山駅に着いた。約1時間半の短い列車の旅である。
 甲斐とくれば、戦国の武将武田信玄だというので、まず向かった先が、甲州塩山にある、信玄の菩薩寺として有名な恵林寺だ。塩山駅から、車で15分である。
 臨済宗妙心寺派の古刹である。黒門を入ると、信玄公の霊気だろうか、ただならぬ気配。静まり返った参道を進むや、身中を涼しい風が吹き抜ける。ググッと禅林特有の気を、全身で感得しましたね。
 信長によって焼かれた後、家康によって再建されたという赤門が、他を圧するように堂々と建っている。さらに、その先に三門が現れる。三門には、快川国師の有名な遺偈「滅却心頭火自涼」がかかっている。
 この言葉に、ここで出会うとは……感無量。確か、高校時代に漢文か古文かの先生から習った。なんと恐ろしい心境か。「滅却心頭」など、およそ凡人には不可能とギブアップして、早ウン10年。いまだ迷っていますわなぁ。
 境内にある歴史博物館信玄公宝物館を訪ねると、校長先生のような風貌の館長・田代孝さんが迎えてくださった。
「この宝物館で最も珍しいものはなんですか」
 と尋ねると、館内の正面に飾られていた旗竿の前に案内された。
「これが、有名な『風林火山』の本物の軍旗なんですよ」
 と、田代さんはいう。
「ずいぶん大きいものですねぇ」
「長さが3・8m㍍あります。材質は絹です。絹地に藍染をしています。それに、金粉をニカワに溶かした金泥で書いてあるんです」

enzan4 このあと、田代さんは恵林寺も一緒に回って、付きっ切りで開設をしてくださった。寺の廊下を歩くと、ピヨピヨと足下から面白い音が鳴るのに気づいた。「うぐいす廊下」と呼ばれているそうだ。その先を右に曲がると、京の仏師が信玄をモデルに彫った不動明王が。信玄の熱い思いが光背の炎からヒシヒシと伝わる。

 本堂の裏には、武田信玄公墓所がある。
「53歳で亡くなった信玄公の命日の4月12日には、毎年、供養が行われています」という田代さんの言葉に、甲斐の国の人々の信玄公に対する敬愛の深さを感じた次第である。
 恵林寺のもう一つの見どころは、開山・夢想国師の築庭だ。京都の西芳寺(苔寺)、天龍寺と並び夢想国師が手がけた庭として有名で、庭園は国の名勝に指定されている。甲斐の国の奥深さを実感できる庭園である。上段が枯山水、下段が池泉回遊式で、大自然の姿を表現している。しばし瞑想の時間を過ごしたかったが、次の機会に譲ることに。

絶景と無作為の感動
「ほったらかし温泉」


enzan3 山梨市にとんでもない名前の露天風呂があった。「ほったらかし温泉」がそれである。しかも、「あっちの湯」「こっちの湯」というのだ。ずいぶん“ふざけた”名前の温泉ではないか。

 いったい、こんな温泉をつくったのは、いかなる“ふざけた”人物かと気になった。
 急ぐ旅でもなし、帰りによってみる。甲府盆地を走る道路から6㌔ほど上に登る。その途中の果物をテーマにした都市公園「山梨県笛吹川フルーツ公園」は次回のお楽しみにと、さらに上に登る。
 すると、西部劇にも出てきそうなおよそ飾り気がない小屋が並ぶ平らな場所に出た。駐車場は、舗装されていない。西部劇を連想したのも、そのせいだろう。
 株式会社ほったらかし温泉代表取締役の常岡通さんの話を聞くと、ほったらかし温泉のネーミングのなぞは解けたのである。
「温泉を始めたのは、8年前です。京都の某ホテルの社長をしていたんですわ。ところが、訳があって、人でに渡っちゃったんです。人生、浮き沈みがあるじゃないですか。たまたま30年前に買った、この山の土地26万坪があったんです。で、この土地の活用を考え、温泉をスタートさせたんですな。ただし、カネはないわけですよ」
 常岡さんは、そのとき65歳だった。スタッフは当初、常岡さんを含めて、わずか3人。お湯の世話をするのが精一杯だった。
「サービスは、もうゼロ。お客さんは、文字通りほったらかし。名前付けるのも面倒でしたので、そのままほったらかし温泉とした。ついでに、各源泉も、こっちの湯、あっちの湯とね」
 常岡さんの飾らない性格そのもののストーリーである。しかし、過剰サービス時代に、この素朴さが受けた。「いや、マイナスが全部プラスに転じただけですわ」と、謙遜するが、「ピンチはチャンス」とは、よくいったものです。

enzan6 入浴料600円を払って、山中の銭湯といった趣のある、プレハブ小屋風の脱衣場へ。まあ、素っ裸になるのだから、飾りっ気なしは当然としても、「温泉の原点」は、こんな風情だったんでしょうと思わせるところが、超高度のニクイまでの演出とみました。

 それにしても、この無作為こそに、「感動の瞬間」があるというべきか。奥が深い。勉強させられますな。
 露天風呂からの眺望は、正に絶景だ。眼下に甲府盆地が広がっている。盆地を囲む山からは、富士山が堂々たる顔をグイーッとのぞかせる。富士山の朝焼け、夕焼けに加えて、夜は星空が天井になるそうだ。こんな贅沢な露天風呂は、滅多にあるものではない。
 泉質は、アルカリ性単純温泉だ。あっちの湯の源泉は、深度1500㍍の深層の破砕帯から湧き出ているという。
 山梨には武田信玄ゆかりの温泉が数多くあることはよく知られている。信玄が長期間湯治したといわれる、今年開湯1200年を迎えた湯村温泉はそのひとつだ。河浦温泉にある、武田24武将の一人の子孫が営む掛け流しの湯・山形館も是非訪ねてみたい。
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鉄道ファンがあこがれる
明治の赤レンガトンネル

甲州といえばブドウ、ブドウといえばワイン。甲州市勝沼町の原茂園を訪ねた。大正14年の設立で、生産量はボトル計算で年間約5万本。小ぶりなワイナリーである。
「甲府盆地はすり鉢状で、勝沼は山の手に位置します。盆地特有の気候で、昼間の気温は高いのですが、夜は低くなります。この寒暖の差が、ワインのブドウづくりに適しているんですね。現在、勝沼には、ワイナリーがおよそ32~33軒あります」
 と、原茂ワイン株式会社専務取締役の古屋真太郎さんはいう。
 古屋家は、代々養蚕業を営んでおり、築100年以上の民家と、築200年以上の蔵が原茂園の風情を感じさせるのだ。
「最近では、2004年産のワインがビンテージですね」という古屋さんのアドバイスを受けて、赤ワインを購入する。
 勝沼といえば、中央本線大日影トンネル遊歩道が面白い。明治36年に開通した国鉄時代の赤レンガのトンネルが保存され、遊歩道としてよみがえっているのだ。
「昔は、東京にブドウを出荷するのに、馬の背に乗せて、3日から6日かかりました。ところが明治36年に中央本線が開通すると、わずか半日で大量に運ぶことができるようになったんです」
 と、甲州市観光産業部観光課資源整備担当主幹の三森哲也さんは説明する。
 明治の赤レンガのトンネルは、平成9年に新トンネルが完成したのを機に引退する。現在、現地には、珍しいことに新旧3つのトンネルが並ぶ。明治、昭和、平成のトンネルである。

enzan9 平成17年にJR東日本から無償譲渡を受け旧勝沼町(現甲州市)がトンネルを遊歩道化した。トンネルは全長約1400㍍で、ゆっくり歩いておよそ30分だ。仔細に観察すると、トンネル内の天井や壁面には、黒い煤が付着している。これは、鉄道ファンには、たまらない場所だろう。

 同じ時に無償譲渡された、もう一本の深沢トンネルは現在、ワイン貯蔵庫として活用されている。いかにも、甲州らしい話だ。
「トンネル内の気温は15度前後で、一定していますので、熟成庫として最適なんですね。収容能力は100万本で、現在60万本預かっています。個人にも、年間3万円で貸し出しています。東京のレストランのオーナーの方も借りていらっしゃいます」(三森さん)


ワインにぴったり
甲州牛のステーキ


enzan10 山梨は食も豊かだ。甲府市内にある「奥藤本店」は創業大正2年の老舗。甲府界隈でそば屋を尋ねると、「奥藤」の名が出るほど知名度がある。北海道産のそば粉と富士山系の湧水で打ったそばは絶品。

 甲府市の先の韮崎市に、「甲州牛」の名店があるというので訪ねた。畜産農家が経営する「和こう」である。
「甲州牛」とは聞きなれない銘柄だが、甲州で育てられた極上の和牛だ。
「枝肉をチルドの状態で1~2か月間熟成させています。そうしますと、脂の質が違ってきます」というのは、ご主人の向山和夫さんだ。
 なるほど、サーロインもヒレ肉にも、見事なほどサシが入っており、桜色に肉が輝いているではないか。甲州ワインと一緒に、網焼きでいただいたが、舌の上でとろけました。

小学館『週刊ポスト』 2008年5月2日号 掲載

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