盛岡・角館 秘湯「鶴の湯温泉」 山菜、盛岡冷麺みちのくに遊ぶ
JR秋田新幹線の開業10周年を勝手連的に祝して、盛岡から角館周辺へ出かけた。
JR東京駅を午前8時56分発の「こまち9号」に乗り、午後12時12分にJR角館駅に降り立った。
秋田県のほぼ中央に位置する角館は、先の「平成の大合併」で、旧角館町、旧田沢湖町、旧西木村が合併して誕生した仙北市に属する。「古くて、由緒ある町名が消えていくのは、わが身に照らして、じつに忍びないのう」と知的体育会系のYさん、「これも時代の流れというものですよ」と一言居士のQさん、「我々も時代に流されないようにしなきゃいけませんねえ」自称教養派のXさんがもっともらしいことを言うと、すかさず漂泊派のZさん「すっかり流されていると思いますよ」「だったら先取りしちゃえば良いんじゃないの」とYさん――中高年4人組は、例の如く、喧々諤々である。
角館駅から歩いて、「料亭稲穂」へと向かう。まず、「めし」から始まるのが、中高年の旅の高齢、いや恒例である。
「料亭稲穂」は、〝角館懐石〟を売り物にしている。そういえば、角館は、「みちのくの小京都」と呼ばれている。「角館の料理は、京料理に似ています。かつて、藩主が京都からお嫁さんを迎えたことが影響しているんですね」とは、ご主人の後藤悦朗さんの話。
さりながら、そこはみちのく、山菜料理がメインである。そして、「いぶりがっこ天ぷら」「八(はち)杯(へ)豆腐」「きりたんぽ田楽」など、郷土色豊かな料理が並ぶ。これからの季節の旬は、ジュンサイ、鮎だ。
「八杯豆腐」の味付けは、まるで薄めの麻婆豆腐のよう。これが、なかなかの美味。「昆布と鰹の出し汁に、お醤油と味醂、それに生姜汁が入っています。地元では、昔から祝い事や法事の席には、欠かせない料理なんですよ」と、女将の瑞子さん。
名物の燻し沢庵の「いぶりがっこ天ぷら」も、がっこであってがっこでなし、天ぷらであって天ぷらでなし、名状しがたいというか、塩抜きした沢庵と天ぷらの取り合わせのミスマッチにこそ、珍味の根源が潜んでいるというべきか。
「いやあ、沢庵を天ぷらにするという発想からして珍しいですな」と一言居士がコメントすると、「がっこの甘露煮もありますよ」と、女将さんはいう。
試しに、これも食したが、やはり珍味である。まあ、天ぷらよりは、珍味度は低く、強いていえば、福神漬に似た味である。むしろ、おつな食べ物に入るだろう。
「いやあ、地方にくると、このように思わぬ山海の珍味をいただけるのが楽しみでげすな」と、Yさん舌なめずりをする。
乳白色の神秘的な露天風呂に浸かる
角館の観光スポット、武家屋敷通りなどを散策した後、乳頭山の山麓にある乳頭温泉郷「鶴の湯温泉」へ。
田沢湖を右手に見て、山道を登っていくと、関所のような時代がかった門と、茅葺きの大きな建物が目に飛び込んでくる。
もともと、藩政期に本陣があったところである。茅葺きの建物は、藩主の警護の侍が詰めていたという長屋で、昔のたたずまいがそのまま保存されている。目の前に山々が迫り、鄙びたランプの一軒宿。いかにも秘湯の風情が漂う。
「おお、久し振りだな」。4人組のうち、2人が「鶴の湯」のリピーターだから、中高年も侮れない。結構、あちこちを荒らしまわっているのである。
「正確にはわかりませんが、秋田藩主が湯治にきた年から考えると、370年ほどの歴史があることがわかりますね」
と、ご主人の佐藤和志さんはいう。
乳頭温泉郷のなかでも「鶴の湯」は、最古の出湯といわれ、古文書には、寛永15年(1638年)に秋田藩
主の佐竹義隆公が湯治にきたと記されているというから、確かに並の古さではない。
湯宿の歴史は、旧田沢村の六衛門とその子太左衛門によって元禄14年(1701年)によって始められ、これまで13代にわたって引き継がれてきた。その13代の好意によって、現在のご主人の佐藤さんに、経営が委ねられているのだという。
「やっぱ歴史がある温泉郷は、どこか落ち着きますなあ」とQさん、「人間と同じですわ。年輪を経ていないと味がでてきませんな」とZさん、「今の若い者にはなかなか出せませんね」とXさん――。
中高年たちは、乳白色の露天風呂に浸かりながら、己の醜さ、たとえば中年太り、たとえば頑固一徹、たとえば図々しく恥知らずを棚に上げ、好き勝手なことばかり。
これも、温泉に逆上せ上がった結果でしょうかね。
見る、触れる、創る「盛岡手づくり村」
かくして、ひと風呂浴びた後、「鶴の湯温泉」を出て秋田県と岩手県の県境の仙岩峠を越え、雫石町を経て、盛岡市に入る。
今夜は、盛岡の奥座敷といわれる、つなぎ温泉「愛真館」に宿をとる。こちらの湯は透明、体が芯から温まった。
盛岡では、つなぎ温泉の近くの「盛岡手づくり村」にいった。ここが、意外に面白い。「ドキドキ!ワクワク!体験ワールド!!」とあるから、てっきり子供相手の遊園地かなと思っていたらば、大人が十分に堪能できる、盛岡地域の伝統的な地場産業振興育成を目指すスポットなのだ。
何と言っても面白いのは、職人の技が「体験」できることだ。たとえば、陶器、竹細工、郷土玩具、わら細工などの各教室があって、手づくりを体験できるのである。
広い園内には、南部鉄器、南部煎餅、天然藍染、駄菓子などの工房が軒を並べる。岩谷堂箪笥の家具、チャグチャグ馬っこや金のベココなど郷土玩具の工房もある。しかも、それぞれの工房では、実際に職人さんたちが、作業をしており、それを見学することができるのだ。さらに、人と馬が同じ屋根の下に住んだ南部曲がり屋も、復元されている。
「美術館なども含めて、地方の観光施設の充実ぶりは、目を見張りますな」と、教養派のXさんは、感嘆した様子。
さて、中高年組が選択した「手づくり体験教室」は、「盛岡冷麺」だ。
よく知られているように、「盛岡冷麺」は、いまや盛岡を代表する名物である。昭和29年に「食道園」が開店し、初めて盛岡で冷麺を提供したのが始まりで、その後同40~50年代にブレイクしたという。その冷麺の麵づくりに、団塊の世代の〝ソバ打ち男〟よろしく、挑戦しようというのだ。
冷麺の本場盛岡で麺づくりに挑戦!
園内の「ぴょんぴょん舎冷麺工房」では、常時製造工程が見学できると同時に、冷麺づくりが有料で体験できる。麺づくりの先生は、「ぴょんぴょん舎冷麺工房」製造販売部体験インストラクターの辻窪芳春さんだ。
まず、ボールに小麦粉とジャガイモのデンプンを入れる。割合は6対4。「デンプンの量によって、あの冷麺の独特のコシが生まれるんですね」と辻窪先生。そこに、熱湯を注ぎ、練り込む。腰を入れて、しっかりと錬らないと、麺にコシが出ないと注意される。「粉っぽさがとれて、しっとりとしてくるまで練って下さい」、さらに「もっと腰を入れて!」と、先生に叱咤激励されるが、日頃、何事にも腰が入らぬというか、定まらぬというか、不器用の身。が、指導がいいのか、10分近く練り上げるうち、麺のタネは次第にしっとりとしてくるではないか。
練り上がったタネを製麺機にかけ、ハンドルを引いてギューッと押し出すと、アラ、不思議、ちゃんと麺になってヌルヌルと出てくる。それを2分ほど茹でて、流水でモミ洗いをする。このあと、麺をどんぶりに入れ、キムチ、酢漬けのキュウリ、スイカ、牛肉、茹でタマゴを盛り付けて用意されているスープをかければ完成だ。「うまい!」。やはり、自分で打った麺は格別の味でしたな。
考えてみれば、盛岡は、わんこそば、冷麺、じゃじゃ麺と、日本でも有数の麵どころではないか。加えて、岩手県とくれば、近年評判の前沢牛の産地だ。
総仕上げに、創業が明治32年という盛岡市内の精肉店「肉の米内」に出かけ、焼肉、ステーキをたっぷりと堪能した次第である。