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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

館山 一望千里、鋸山 信仰の地、大房岬春の南房総を行く

tateyama1  JR東京駅を出発した特急「さざなみ5号」は、JR館山駅に滑り込んだ。


 駅レンタカー「トレン太くん」に乗り、向かった先は、南房総国定公園の名勝「鋸山」である。東京生まれの人にとっては、遠足で訪れたことがあるかもしれない懐かしい場所だ。
 ロープウェーを使えば、あっという間に頂上に着くところを、今回、「表参道管理所」ではなく、横口、あるいは裏口というべき日本寺の「東口管理所」から入山し、歩いて登ることに。
「そうだよな、俺たちは、昔から学校も会社も、すべて“横”とか“裏”から入るのが得意だったからな」と、自称教養派のXさんが中高年らしいオヤジギャグを飛ばせば、「そうそう。俺なんか、習っているお茶も裏だからな」と、うるさ型のQさん。「まあ、鋸山は、確か高さが300m前後。日ごろの運動不足の解消といきますか」と、カメラマンのGさんは、ヒマラヤにトラッキングに出かけたキャリアか、余裕の表情だ。
 管理所で、頂上への近道をちゃっかり聞き込み、イザ、出発したまではよかった。まず、目の前に現れた、日本一大きいといわれる大仏さまを拝む。石像で、高さ31mという。それから、階段800段をほぼ垂直に登るコースが、頂上に最も近いといわれたが、これは慎重に避けて、ゆるやかな大仏前参道の登り道をいく。途中、ウグイスの鳴き声に耳を傾ける。

tateyama3 さて、この後が大変。ズーッと階段を登ることに。馬齢を重ねるどころか、ひたすら怠惰な日常生活を送り、身も心も根腐れ気味の中高年たちだけに、もう、イケマセン、青息吐息。一歩、一歩、階段を登る足がいよいよ重くなる。見れば、一応“ヒマラヤ男”のGさんも、心なしか、息遣いが荒い。

 途中、奇岩霊洞に羅漢さまの石仏が安置されている。多くが風化しているが、その数は千五百像にのぼるとか。その石像のお顔は、いかにも悟りをひらいたのか穏やかな表情から、悟りの苦しさを表現したのか奇怪なものまでさまざま。

tateyama4「悟りをひらいた羅漢さまとは、われらは、月とスッポン。いまさらながら、われらは煩悩のかたまりですな」と、Qさん。

 崖をくりぬき、彫りこまれた百尺観音も見事だった。「バーミヤンの石窟仏も、多分、こんな仏様だったんでしょうな」と、Qさんは見上げる。
 漂うのは、森閑とした山の気配。全身から力がスッーと抜けていきましたな。

空中に突き出た「地獄のぞき」

 頂上からの眺めは、まさに絶景。東京湾が眺められる。房総の低い緑豊かな山並みが続く。保田の大きく湾曲した白い海岸線が見事だ。
 圧巻は、空中に突き出た岩の「地獄のぞき」だ。岩の先端から下を覗くのだ。高所恐怖症の人は、間違いなく足がすくむ。
「いやあ、俺は遠慮するよ」と、Qさん。
「だって、俺、毎日、地獄を覗いているからな」「何だ、それは?」「決まっているじゃなか、生き地獄さ」。
 いかにもオジサンの“冗句”、50点以下ですね。
 鋸山のあと、鋸南町の江戸の浮世絵師「菱川師宣記念館」に立ち寄る。師宣は、昔流にいうと安房国保田の出身。
「師宣といえば、『見返り美人図』が有名だよね。記念切手にあったね。俺、小学生の時、あの大型切手が欲しくて」「そう、昔、切手収集が流行ったことがあったな。百貨店にマニア向けの古切手の売り場があったね」と、これまた中高年の思い出ばなしに花が咲くの図。こりゃあ、年取った証拠ですわ。

tateyama9「あれは、昭和23年に発行された、記念切手の第1号なんです」とは、同館学芸員の笹生浩樹さん。「師宣の子孫は、いまもこの町にいらっしゃいます」という。

 笹生さんの指導で、特別に「見返り美人図」の版画摺の体験実習をさせてもらう。浮世絵は、少なくとも20工程以上の版を重ねて刷り上げるが、まねごとの今回は、5版摺だ。挑戦するも、はなはだ難し。不器用は、中高年の特性とあきらめる。

1300年続く信仰の聖地

 房総半島の先端に、西に突き出た大房岬がある。ちょうど東京湾の入り口にあたるところだ。
 役行者によって開かれて以来、1300年間にわたって、信仰の聖地として岬全体が保存されてきたから開発の手が入っていない。岬全体が緑に覆われているのだ。2時間ほどかけての岬回りは、中高年のハイキングにもってこいである。
「東京から100キロ圏で、これほど自然が残っているところありません。樹木と鳥の種類はそれぞれ100種類にも上ります」
 と、「NPO富浦エコミューゼ研究会」所属の大房ガイド・小林正子さん。
 岬巡りには、案内人を頼むことだ。わけても、中高年の司馬遼太郎ファンであれば、そうするに限る。歴史趣味を十分に満足させてもらえるからだ。

tateyama8たとえば、岬には、幕末の砲台があり、14門もの大筒があった。また、帝国海軍の砲台跡も残っている。日露戦争をひかえた明治33年に、日本海軍は、艦砲射撃の演習場に大房岬を指定し、岬南側の断崖を標的にした。その砲弾跡が、100年以上経た今も崖に残っている。さらに、先の大戦の軍事施設もある。帝国陸軍がつくった探照燈格納庫跡、魚雷艇基地跡等々。中高年好みの史談に事欠かないのだ。

「さすが、東京湾入り口に位置するだけに、首都の守りを固める軍事施設の遺産が多いんだ」と、司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』を二度読破したというQさんは、感心しきりでありました。

小学館『週刊ポスト』 2007年4月6日号 掲載

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