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経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

日光 老舗が伝える名物 美・気品・威厳を備える世界遺産・日光東照宮

nikkou1 日光がめっきり近くなる。


「日光は、なんとなく遠い感じだよな」という、〝都の西北〟の奥地から出てきた知的体育会系のYさんの感想を述べる。
「考えてみれば、日光は、東照宮が世界遺産に登録されるなど、首都圏の近くにある屈指の観光地だ。にもかかわらず、都の西の方に住む東京人にはこれまでは、やや遠いなというイメージがあったわな」と、一言居士のQさんもいう。
 ところが、「日光は近くなる」のである。
この3月18日からJR新宿・池袋~東武日光駅・鬼怒川温泉間の直通運転が始まる。つまり、〝新宿発日光行き〟の電車が登場するからだ。所要時間は、1時間56分。
「ウーン、われら〝都の西北〟族にとって、これは、快挙といわなければならない」とYさん。
そんなわけで、中高年4人組は、その直通運転の前祝いとばかりに、今回、とりあえず新幹線を利用して日光に出かけた次第である。
「まあ、『祝・直通運転』が旅の目的である以上、最初の訪問先は、JR日光駅じゃないとまずいわな」と、自称教養派のXさんはいう。日ごろ、「食の太道」まっしぐらの中高年組にしては、まっとうな意見を吐く。
 ダテに年をとっていないというべきか、さすが年の功というべきか、中高年4人組の選択は間違っていなかった。
 理由は、二つある。
 一つは、今度のJRと東武鉄道の「相互乗り入れ」を象徴するかのように、両社の日光駅の駅長さんが高校の同級生だという「偶然の一致」だ。
「いや、実際、偶然なんですが、お互いに地元・宇都宮の高校の同級生なんです。同じ鉄道マンとして、日光のために頑張りましょうといって、地元のテレビに出演したりしているんですよ」と、いかにも実直そうなJR日光駅32代目駅長、増渕正男さんはいう。nikkou3

「勝ち組、負け組などと殺伐とした社会で、ライバル同士が手を結ぶなんて、美しい話じゃないですか。ホッとしますな」と、真面目派のカメラマンGさんは、感動した様子だ。「今の世は、末世ですぞ」と悲憤慷慨してやまない、勝ち組とも負け組ともいえない「中流幻想」にひったってきた、残りの中高年組も、ウン、ウンとうなずく。
 さて、もう一つは、まるで明治時代にタイムスリップしたようなJR日光駅の駅舎である。ご対面の瞬間、「ヒャア、これは感動ものですな」と、ウルサ型のQさんも、感激した様子。
 明治のロマンが感じられるのだ。日光は明治期、欧米諸国の外交官たちが盛んに避暑に訪れた。多分、明治の人たちは、近代化に歩み始めて間もない日本が欧米諸国になめられては大変と、日光のランドマークにふさわしい駅舎を、と気張って建てたに違いない。その明治人の気概と同時に、近代化への志、憧れがロマンの香りとして漂っている。nikkou21

 日光駅は、現駅長が32代目であることからもわかるように開業が1890年と古く、白亜の洋館づくりの駅舎が建てられたのは1912年で、JR東日本管内ではもっとも古い木造建築物だ。
増渕駅長に、大正天皇が休憩されたという貴賓室に案内してもらう。貴賓室の中にはテーブルもイスも当時のモノがそのまま残っている。壁には大理石のガス暖炉。その上の大きな鏡は、人の顔を映すためではなく、反射を利用して陽光を取り入れるためのものだという。
 二階にあるホワイトルームは、かつて、一等客の特別待合室だった部屋だ。その広いこと。天井からは当時の豪華なシャンデリアが吊り下がっている。
 貴賓室は、普段は非公開だが、イベントの時などは公開されたこともある。。

これぞ日光 名物づくし


nikkou11 中高年4人組が昼食のため、足を向けたのは、日光駅から東照宮へ向かう参道沿いのうなぎの老舗「澤本」。昭和2年開業というから、80年の歴史を誇る。2代目の主人は、「いやあ、日光で80年は新しい方。新参者ですよ」と、おっしゃるのだ。

「うなぎは、焼きがすべて」という主人の言葉通りに、東京風の焼きで、ふっくらとして、軟らかく、舌の上でとろける印象。タレも、ほどよく甘みがある。何より上品。S級のうな重でありましたな。
 老舗といえば、お土産に買った、「日光祢り羊かん」の「ひしや」の創業は明治元年。いまも、昔と変わらぬ手づくりで羊羹をつくっている。機械を一切使わず、薪を燃やして釜で小豆を煮る。典型的な家内工業で、1日1釜しか製造しない。したがって、原則1人につき1本しか販売しない。観光シーズンになると、午前中で売切れてしまうという。
「昔のビジネスモデルを死守しているわけだ。観光地の元祖ともいうべき日光らしい。貴重ですよ」と、Xさんは、「手づくり」「老舗」という文句に弱い中高年らしい感想を述べるのだ。
 ようかんは、湿気とりや殺菌作用を考えて竹の皮にくるまれている。レトロな包装紙も創業以来変わっていない。東照宮から特別に許可を頂き、眠猫が描かれている。
 試みに、店先で一口いただく。昔流の羊羹といったらいいのだろうか、甘さ、および食感を左右するネリ加減が硬からず、柔らかからずと、じつに絶妙。
名物といえば、日光ゆばの名店「海老屋」も、歴史は古い。創業が明治5年だ。こちらも、機械に頼らず、昔ながらのやり方を踏襲し、大豆にこだわる。そして、製法については、不断の「改善」を重ねてきたという。「長年培ってきた職人的な勘所、代々受け継いできたノウハウの蓄積こそがうちの伝統ですね」と、6代目ご主人の森直生さんは語る。
 
nikkou8工場を見せていただくと、その湯気が深い霧のように立ち込め、大豆の香りが鼻腔をくすぐる。ゆばの刺身をいただいたが、食べるコツは、食の鬼になって、ひたすらゆばに集中する。すると、味がないようで、ミクロ単位であることがわかる。禅の世界ではないが、〝無の味〟といったらいいだろうか。かすかな甘みさえも感じられるのだ。


踏み入れば時を忘れる

 むろん、日光といえば、東照宮だ。日ごろ、生意気なこというQさんは、「中禅寺湖にきたことはあるが、日光の東照宮にいったことがない」と、常識はずれのことをいうのだ。「じゃあ、けっこうといえないじゃないか」と、いまや赤ん坊も笑わないオヤジギャグを飛ばすのは知的体育会系のYさん。nikkou7

 江戸時代に建てられた石の鳥居としては日本一だという石鳥居をくぐる。左手の五重塔を眺めつつ、仁王尊を両側に配した仁王門をぬけると、荘厳な気分に。三神庫や神厩舎の三猿を見ながら歩を進めていくと、やがて日光の顔ともいうべき陽明門。暮れまで見ていてもあきないことから、「日暮らし門」と呼ばれるというが、豪華絢爛、豪奢、豪勢、圧巻。ぐうの音も出ないとはこのことか。刻み込まれた彫刻の数を数えるだけでも、確かに日が暮れる。正解は508体。
 その後、唐門、本殿、回廊の眠猫を眺め、家康公の眠る奥宮までいく。「左甚五郎の国宝眠猫が、あんなに小さいとは意外でしたぞ」というのが、東照宮初体験のQさんの感想でした。
 次に向かったのは、「日光田母沢御用邸記念公園」である。大正天皇が皇太子時代にご静養のため、田母沢御用邸が造営されたのは、明治32年という。
緑に囲まれた広い敷地は約40,000㎡あり、そのうち建築の床面積は4,471㎡。三階を除くすべての屋根が一つにつながっている国内最大級の木造建築だ。
 私たちは、日ごろ、御用邸の内部を知る由もないが、しかし、「旧」とはいえ、先の戦争中、今上天皇が疎開されたという田茂沢御用邸が記念公園として公開されており、見学できるのだ。一見の価値どころか、中高年4人組は、「御殿がこんなにもまじかに見られるとは、思ってもいなかった」というので、熱心に見て回る。
 広い邸内を廊下伝いにいく。御玉突所と呼ばれるビリヤード場や謁見所、御学問所、寝室など、諸外国の賓客との交遊施設や、
nikkou4その他の公務を行うために必要な施設など、次々に現れる。また、廊下から眺める庭のすばらしいこと。あっという間に1~2時間は経ってしまうのである。

 宿泊は、春茂登ホテルグループ「日光千姫物語」。妙なネーミングではないか。
「お客様がお姫様気分でお泊りいただき、それぞれみなさんに旅の物語をつくっていただきたいと、そういう思いを込めてこの名前にいたしました」と、支配人の佐藤常喜さんはいう。
 月変わりの会席料理が一番のウリで、女性にはオリジナルのデザートがつく。さらに女性専用のエステ「日光美人」があり、酵素風呂が人気だとか。さしずめ、「千姫物語」に泊まる中高年4人組は、美女の中の野獣といったところだったでしょうかね。

小学館『週刊ポスト』 2006年3月24日号 掲載

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