Loading...

経済ジャーナリスト 片山修 | Osamu Katayama Official Website

旅・夢風景

片山修が旅について語る。
日本各地の写真とコラムによる「旅夢風景」

新潟 柳都・新潟で、粋を楽しみ「料亭文化」の伝統に触れる

niigata11 東京駅午前10時12分発の上越新幹線「MAXとき317号」に乗り、新潟駅に午後12時21分に降り立つ。


今回、中高年4人組が探検先として選んだのは、その名声が全国に轟く新潟の老舗料亭である。この「夢の企画」に、中高年たちは、いつにもまして浮き足だった。とりわけ、車内で、旅行案内書にある「古くから堀と柳と芸妓が、街の象徴だった〝柳都にいがた〟」――というフレーズを見つけた知的体育会系のYさんは、「今回は、充実した旅になりそうですぞ」と、興奮気味だ。
 まず、向かった先が、日本でも花街として屈指の歴史を誇る古町のど真ん中に構える料亭「鍋茶屋」である。「新潟に鍋茶屋あり」と知られた、伝統と格式のある老舗ときた。
 白壁に囲まれた、木造3階建ての建物は、明治43年の築という。日頃、何かと傍若無人気味の中高年たちは、いささか勝手が違うのか、借りてきた猫も同然。
緊張した様子なのだ。
 ところが、「鍋茶屋」の6代目女将の高橋すみさんの次の一言で、一同、リラックスするのである。
「昨今、お客さんの七割は、一般の方たちですよ。結納や結婚披露宴、法事、同窓会などに使っていただいています」
「高級料亭といえば、文人墨客、地元の財界人と相場が決まっていましたが、時代が変わったんですな」と、自称教養派のXさんが感想を述べれば、「いや、料亭街にも、戦後民主主義が押し寄せてきているということなんですなあ」と、一言居士のQさんは、妙な感心の仕方をする。
 女将の案内で、料亭内を探索する。よく観察すると、随所に亀甲の意匠が施されている。そもそも鍋茶屋という名の由来は、初代がすっぽん鍋料理を始めたことからきている。したがって、亀甲の意匠が多いのだ。明治のハイカラ、大正のロマン、昭和のモダンが欄干、ステンドグラス、ランプシェードなど、随所に見られる。
 料理は、地元の材料にこだわった会席だ。佐渡でとれたという寒鰤の御造りは、新鮮にして脂ののり、さすが絶品でしたな。

niigata12 次に向かったのは「鍋茶屋」と双璧をなす老舗料亭「行形亭」である。

 初代が粋人だったところから、その名がついたといわれ、創業は江戸時代中期の元禄年間。料亭街の古町から一軒だけぽつんと離れた場所に建っているのは、もともと松林の中のお休み処だったからだとか。昭和50年代まで、丹頂鶴が庭で飼われていたことから、鶴と松が店のシンボルになっている。
「元禄の創業以来、この地でずっと商売をしています。庭には、樹齢400年の松が20本ほどあります」というのは、10代目女将の行形滋子さん。
 実際、いまも、2000坪をこす敷地には、中央にある池をぐるりと囲むように客室が13室あり、それぞれ入口の違う離れ座敷になっている。江戸時代に建てられた部屋を見せてもらうと、炉がきられていた。さながら時代劇のセットのようだ。どの座敷も、有形文化財に登録されていている。建築様式も、江戸、明治、大正、昭和とさまざまである。
 名物料理は、かしわの味噌漬で、明治初期の頃から出している。「ひな鶏を酒、砂糖・露生姜などで味を整えた味噌に一日以上漬け込み、低温の油で揚げた一品です」と、若女将の貴子さん。ずいぶん手の込んだ料理で、味噌味のようで味噌味でない、かしわのようでかしわでない、じつに複雑な味がしましたな。 

新潟が育む歴史と文化


niigata14 よく知られているように、新潟に江戸時代から花街が発展したのは、北前船の航路にあたり、物資の集散地として栄えてきたからだ。現に、新潟は、日本が鎖国をといたとき、横浜などとともに、開港5港の1つに選ばれた。その当時の旧新潟税関庁舎が残っている。「まさに新潟市の港町の歴史をつくった、エポックメーキング的な建物ですね」と、新潟市芸術文化振興財団企画普及課課長の鷲尾雄二さんは語る。

 料亭探検の合間、新潟市内を散策。訪ねたのは、古町から車で10分ほどの「新潟市會津八一記念館」。會津八一は新潟の人で、すぐれた東洋美術史学者であり、歌人であり、書家でもあった。ちょうど、訪ねたときには、「新聞人會津八一」と題して書が中心に展示されていた。
 決して堅い字ではない。柔らかく、自由奔放で、なんとも味のある字である。一つひとつ見ると、バランスが悪いように感じるが、全体を見ると、なるほど、統一感がある。不思議である。
「八一は、わかりやすい字を書いています。一見、誰にでも書けるような字に思えるんですが、字の歴史に学び、その素養の上で書いているからこそ、味のある字が書けるわけですね」というのは、同記念館学芸員の湯浅健次郎さん。

老舗にいけば新潟がわかる

最後に訪れたのが、老舗料亭「大橋屋」だ。同じように、その歴史は古くて、江戸の末期の慶応年間に商売を始めたという。当初、鮮魚仲買商をしていたが、4代目の当主が大正9年に仕出し屋を始めた。幸い、仕出し料理の評判がすこぶるよいので、お座敷をつくろうと4代目が思い立ったのが、料亭の始まりという。
 4代目は、昭和10年、船大工の棟梁とともに、いまの木造3階建ての大橋屋を建てた。豪華絢爛、和風バロック、貴族趣味で知られる東京・「目黒雅叙園」を意識して建築されただけに、じつにデコラティブである。亀甲模様の天井、透かし彫りの欄干、切り株細工の廊下、各部屋の天井画や障壁画と、そのきらびやかさに目を奪われる。
 
niigata10精進料理に力を入れているという大橋屋の看板料理は、胡麻豆腐。創業以来の評判料理で、いまでも当時とまったく同じ製法でつくられている。甘味があり、胡麻の香りが口いっぱいに広がる。深い味わいがある。これまで食べた胡麻豆腐の中でも最高に美味だ。

「いや、新潟の奥の深さは、じつに深いですなあ」と、全員、感嘆しきりでしたな。

小学館『週刊ポスト』 2006年3月10日号 掲載

ページトップへ