出羽三山 聖地・羽黒山を訪ね、いも煮を食す、秋の出羽路
「あれから四半世紀が経つか……」
JR羽越本線で鶴岡駅に向う車中、感慨が胸に迫ってきた。
月山に登ったのは、確か25年ほど前のことである。居酒屋で飲むうち、何のはずみか、「月山に登ろう」という話になったのだ。金曜日の夜、男3人、上野駅から夜行列車に乗った。あいにく、月山の頂上は、ガスっていた。
今回は、当時、まだ姿もなかった上越新幹線に乗って新潟に入り、まず一泊。翌朝、羽越本線の特急「いなほ」に乗って、鶴岡に向った。出羽三山に出かけるのであれば、夜行列車はムリにしても、昔のように鉄道で行きたいと考えたからだ。
旅の道連れは、例のごとく、中高年4人組である。鶴岡駅に到着するや、食い意地の張った人組は、まず、いつものように腹ごしらえである。「奥の細道」ならぬ「食の太道」をまっしぐらである。向った先は、鶴岡市内の和定食の店「滝太郎」だ。
山形の郷土料理といえば、ご存知、いも煮、別名いも子汁。内陸部が牛肉と芋の醤油仕立てに対して、庄内は豚肉と芋の味噌仕立てである。
これが、大~当たり。美食家兼怪食家Zさんも、思わず短く叫ぶ。
「うまいねぇ」
いも煮は、雑多にして複雑、かつ野趣豊かな味にこそ魅力がある。鍋の中で、芋、こんにゃく、ネギなど、いろいろな具が己を主張しあい、せめぎあい、混ざりあって、活発にして複雑怪奇な味を構成するのが普通。
ところが、このいも子汁は、じつに端整にして優雅、かつ上品な味がする。それぞれの具が、我を捨て、適度に己を主張し、味噌の香りが鼻先をくすぐるなど、全体的に軽やかなハーモニーを奏でている。とりわけ、豚肉が必要以上に自己主張していないのがいい。
「〝庄内豚〟を使っています」というのは、「滝太郎」を経営するアサカツ社長の佐藤勝義さん。〝庄内豚〟は、知る人ぞ知る有名なブランドだ。
「これは、何杯もお代わりがしたくなりますな」
と、知的体育会系のYさん、大食漢ぶりを発揮する。
それから、名物の口細カレイも、忘れられない。「口細というのは、文字通りに口が細いところから付いた名前です。なかでも、庄内浜は由良であがる口細は、ブランドなんですね。値段も高いんですが、うまいですよ」と、佐藤さんがおっしゃるように、ピーンと焼きあがった白い姿、おちょぼ口の姿からして、セクシーではないか。キリッとした身のしまり、ほのかな甘さ。口の中で、きめの細かい白身が踊った。
出羽三山での三つの願い
まず、羽黒町の「いでは文化記念館」を訪れた。
「出羽三山は、羽黒山、月山、湯殿山の順で、参拝していただきます。羽黒山は現在の幸せ、月山は死後の幸せ、そして湯殿山は生まれ変わりを願います」
この学芸員の鈴木理恵さんの説明を聞いて、中高年4人組は、いつになく神妙な表情である。口には出さないまでも、自分は、三山のうち、どの山でお祈りすべきか。願うべき幸せは現世か、死後か、はたまた輪廻転生か……。決めかねているに違いない。人生の夕暮れ時を迎えて、決着のつけ方にかかわるだけに、思案が必要だ。
羽黒山斎館支配人の大川晴夫さんによれば、「江戸時代の表の伊勢参り、裏の奥参りといって、東北地方では、出羽三山参りが盛んに行われたのです。ですから、羽黒山には、33坊も、宿坊がありました」という。
昔も今も、まさしく「人生いろいろ……」、みんな迷ったに違いない。
参道途中にある、国宝の羽黒山五重塔を見物した。この五重塔には、圧倒された。まるで大地に根を張っているかのように、屹立している。威厳があるのだ。
その後、時間と体力のない中年4人組は、車で山頂に向う。
幸い、羽黒山(414メートル)の山頂に鎮座する出羽三山神社は、羽黒山、月山、湯殿山の三神合祭殿になっている。したがって、出羽三山神社でお参りすれば、現世からあの世、転生の世まで願をかけることができるのだ。
しかし、待てよ、どちらの神さまにお参りするか。私は、羽黒山の出羽神社にお参りをした。神さまからお叱りを受けるかもしれないが、月山、湯殿山は、次の機会に残しておくことにし、遠くから手をあわせることにしたのだ。
藤沢周平の定宿
鶴岡の庄内藩といえば、思い出されるのが、作家藤沢周平である。彼は、鶴岡の奥座敷といわれる湯田川温泉の近くの在の出身である。旧山形師範学校(現山形大学)卒業後、湯田川村立湯田川中学校に赴任した。わずか2年に過ぎなかったが、そのときの教え子が女将の「九兵衛旅館」が湯田川温泉にある。
湯田川温泉は、軒を並べる旅館がわずか10数軒で、木造旅館ばかり、懐かしさがこみ上げてくるような温泉街だ。1軒も、コンクリート造りの大型旅館はないのだから。
「藤沢先生の教え子で、女将である母親は、10代目です。先生が取材で庄内にみえたときには、うちに泊まっていただいていました」と、同旅館専務の大滝研一郎さん。
玄関脇には、藤沢周平コーナーが設けられ、ゆかりの資料が展示されている。
いつも泊っていたという「桂の間」を見せてもらった。
いかにも市井の人々の哀歓や、下級武士の生き方を好んで描いた作家らしく、こじんまりした8畳の部屋だった。床の間に、周平の書軸がかけられていた。
「軒を出て 犬 寒月に 照らされる」